神様へのお願いの仕方
ただ単に、「神様、人生が苦しい! なんとかしてください!」という願い方・・
— ᕼIᖇOᑎOᗰIᑕᕼI🐧🎥っ〜💨 (@hirono_michi) March 2, 2025
「神様、私の人生が苦しいのはなぜですか? 他の人のことはどうでもいいので、その代わり、私のことだけ何倍も助けてください!」
・・こういう願い方は、あなたが思っている以上に、無数に寄せられている。…
昨晩、激頭痛の中でもとても気になったひろのさんのポスト…
当時は「他の人のことはどうでもいいので」というワードにひっかかった。
これは、私にとってはありえないことなんです。
これが「当然」の世の中ならば、その世の中が狂ってる!!
(そのうち私がなんとかしてやる!という戦闘モードに入ってしまう)
そして、私がひっかかる言葉というのは私に何か教えてくれている、ということもある。
「他の人のことはどうでもいい」というのが嫌いなのならば。
私は他の人の事に首をつっこみすぎだ、という事を気づいた。
道行く人、すれ違う人、その人について大きく社会問題にまで思想を広げがちだった…
物事の意味は幾重にも重なっている。
だから、要するに、私は自分の事より、人のこと考えているようで、
自分が見つめるべき問題が見つめられなくて、我知らず実はめちゃくちゃ苦しんでいるのにもかかわらず、他人にそれを反映させて、
あーでもないこーでもない、社会が悪い…と一人でうなっている、ややこしい人だったわけです。
自分の問題が大きすぎて、深すぎて、莫大すぎて、膨大すぎて、当時の自分では抱えきれなかったわけです。
そして、物理的にも抱えているものが多すぎた。
それを、だんだん、エイブラハム学び始めたあたりから(3年前)、薄く削れていくようにはなっていた。
そして爆進したのは、やっぱり2024年の「ひろの式カタカムナ」との出会いでした。
神様は色んなものをこそげ取ってくださっていたのが、今ならわかります。
そして、いよいよ、自分が見つめるべきものを見つめて進める「入口」まで来た。
昨年5月にイメージに湧いた「大きなグレーの岩山」はまだ私は超えておりませんでした。
冒頭に引用しましたひろのさんのポスト。
私がいまひっかかっているのは
ただ単に、「神様、人生が苦しい! なんとかしてください!」という願い方・・
です。
この願い方、ひろの式カタカムナと神の絵やっていれば、「おかしい」とすぐに分かるはず…
「人生が苦しい」のはなんででしょうか?
なぜ、急にあなたは神にお願いしたくなったのでしょうか?
「苦しい時の神頼み」という批判の気持ちがこもった言葉は、
二重の意味を持っている。
・苦しいとき「だけ」神様にお願いするなんて…:苦しい時だけではなく、喜びの時も、普通の時も、どんな時でも神様に感謝し、いつも「よろしくお願いします」とかんながらの精神でい続けなさいよ、という教え
・苦しくなって初めて自力だけの無力さを思い知る:
ああ、頑張って来たけど、もうこれ以上手は尽くせない。万事休すだ、南無三だ…もうお手上げだ…など、頑張り尽くした末の、絶望を感じる瞬間
「なんとかしてください」とは何事だ、と思う。
そして「他人の事はどうでもいいから、私の事だけ何倍も助けてください」という願い方、そのマインド…
私がこんな願い方にもやっとするのは、神様も同じような印象を抱いておられるのではないかと思う。
そんな事いわれたってなあ…と困惑しているような気がする。
(「待機リストが長くなる」というところに、私は神様の深い慈愛を感じる。弾いたりはしないのだ、ただ、待たせるけどね、という事。叶えない、とは一言もおっしゃってはいない)
「神様、私の人生が苦しいのはなぜですか?助けてください!」
この想いでカタカムナを始めたのは確かです。
私は相当追い詰められていましたので
「なぜですか?」⇛なぜなのかまず教えられた。なので叶えていただいた事になる
「助けてください」⇛真剣にカタカムナをやる。眼の前に起きてくる現実と格闘する⇛答えが見つかる。助けられている、と実感できる
私の場合は神の声が聞こえてくるわけではない。
初期、台風の中で実況中継しながら、誰が読むかわからないnoteで自分の騒ぎを書き起こしさらしながら、どうやって進んだのか書きました。
カタカムナもひたすら読んだ。
そうしたら、雲が晴れて、答えが見つかった。
物理的、現実的には「自分で見つけた」となる。
しかし、自分の中では察する。
「ああ、これは神様のおかげであった」と。
それが、とてもありがたく、癒やしとなり、本当に幸せな気持ちになっていく。
これが神様の与えてくださるものであると。
だから、なぜ、私は呼ばれて、ここで書き続けるのか。
『人生リンチ』を変えるためには?
— ᕼIᖇOᑎOᗰIᑕᕼI🐧🎥っ〜💨 (@hirono_michi) March 2, 2025
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1. 本人が真剣に「自分の人生を変えたい!」と思ってること
ただの願望や愚痴ではなく、本気で現状を変えたい! と
強く願ってるかどうか? 神はその決意を見極める。
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3.過去の自分に勝つこと
「過去は振り返らない」ではなく、一度しっかり振り返り、失敗の原因を分析する。
最悪な出来事ほど、振り返りたくない。できれば封印して、なかったことにしておきたい。
でも、『神の追い風』を受けた自分なら向き合えるはず。
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今、多くの出来事の記憶が沸き起こってきます。
トラウマ、それを刺激するのは「禁じ手」ではある。
しかし、その「禁じ手」すら、あのネオのように軽くいなせる自分になっているのであれば?
そんな「禁じ手」なんて気にしてる場合ではなく、
自分が封印した過去は『未解決事件』として、謎を解かれるのを待っている
「解決してくれ」とドアがドンドンと叩かれている。
ドンドンと、ずっと、ドアが叩かれている。
眠っていた自分は、それにやっと気づいたのである。
あなたは多くのダンジョンを乗り越えて、ここまでやってきた。
あなたが抱えているものは、期待されているものは。
あの30首を思い起こす。
トヨクモヌ フツ サカルツミ フトナ シメシウタ
マリタバネ カブシ ウキフヌ
メグルマリ ウヒチニホロシ カタカムナ…
タカマカ ムスビヌシ イモイククヒ カミ ワク サトリ
私は、これと深く深く関わっていると思う。
「行っておいでと背中をなでる」(米津玄師「地球儀」)
私は、こうやって、ここに送り出されたんだ…
そう思うと、涙が出てくるんです。
おかしくなったんでしょうか?
私の家族は、社会問題の縮図みたいなもんです。
書きたくなかったよ!そういう叫びも心にあります。
でも、やらねばならん、そういうものも感じています。
だから、書き続けます。
謎が解きたい!!!!!
私の謎、絶対に絶対に解きたい!!!!!
そういう願望が湧いています。
すごく難しそう。
だけど、解きたいの!
そんな感じです。
さて、どうなるんでしょうか?
全くわかりません。