神様へのお願いの仕方

昨晩、激頭痛の中でもとても気になったひろのさんのポスト…
当時は「他の人のことはどうでもいいので」というワードにひっかかった。

これは、私にとってはありえないことなんです。
これが「当然」の世の中ならば、その世の中が狂ってる!!
(そのうち私がなんとかしてやる!という戦闘モードに入ってしまう)

そして、私がひっかかる言葉というのは私に何か教えてくれている、ということもある。
「他の人のことはどうでもいい」というのが嫌いなのならば。

私は他の人の事に首をつっこみすぎだ、という事を気づいた。
道行く人、すれ違う人、その人について大きく社会問題にまで思想を広げがちだった…

物事の意味は幾重にも重なっている。
だから、要するに、私は自分の事より、人のこと考えているようで、

自分が見つめるべき問題が見つめられなくて、我知らず実はめちゃくちゃ苦しんでいるのにもかかわらず、他人にそれを反映させて、
あーでもないこーでもない、社会が悪い…と一人でうなっている、ややこしい
人だったわけです。

自分の問題が大きすぎて、深すぎて、莫大すぎて、膨大すぎて、当時の自分では抱えきれなかったわけです。
そして、物理的にも抱えているものが多すぎた。

それを、だんだん、エイブラハム学び始めたあたりから(3年前)、薄く削れていくようにはなっていた。

そして爆進したのは、やっぱり2024年の「ひろの式カタカムナ」との出会いでした。

神様は色んなものをこそげ取ってくださっていたのが、今ならわかります。
そして、いよいよ、自分が見つめるべきものを見つめて進める「入口」まで来た。

昨年5月にイメージに湧いた「大きなグレーの岩山」はまだ私は超えておりませんでした。


冒頭に引用しましたひろのさんのポスト。

私がいまひっかかっているのは

ただ単に、「神様、人生が苦しい! なんとかしてください!」という願い方・・

です。
この願い方、ひろの式カタカムナと神の絵やっていれば、「おかしい」とすぐに分かるはず…

「人生が苦しい」のはなんででしょうか?
なぜ、急にあなたは神にお願いしたくなったのでしょうか?

「苦しい時の神頼み」という批判の気持ちがこもった言葉は、
二重の意味を持っている。

苦しいとき「だけ」神様にお願いするなんて…:苦しい時だけではなく、喜びの時も、普通の時も、どんな時でも神様に感謝し、いつも「よろしくお願いします」とかんながらの精神でい続けなさいよ、という教え

苦しくなって初めて自力だけの無力さを思い知る
ああ、頑張って来たけど、もうこれ以上手は尽くせない。万事休すだ、南無三だ…もうお手上げだ…など、頑張り尽くした末の、絶望を感じる瞬間


「なんとかしてください」とは何事だ、と思う。
そして「他人の事はどうでもいいから、私の事だけ何倍も助けてください」という願い方、そのマインド…

私がこんな願い方にもやっとするのは、神様も同じような印象を抱いておられるのではないかと思う。

そんな事いわれたってなあ…と困惑しているような気がする。

(「待機リストが長くなる」というところに、私は神様の深い慈愛を感じる。弾いたりはしないのだ、ただ、待たせるけどね、という事。叶えない、とは一言もおっしゃってはいない)


「神様、私の人生が苦しいのはなぜですか?助けてください!」

この想いでカタカムナを始めたのは確かです。
私は相当追い詰められていましたので

「なぜですか?」⇛なぜなのかまず教えられた。なので叶えていただいた事になる

「助けてください」⇛真剣にカタカムナをやる。眼の前に起きてくる現実と格闘する⇛答えが見つかる。助けられている、と実感できる


私の場合は神の声が聞こえてくるわけではない。

初期、台風の中で実況中継しながら、誰が読むかわからないnoteで自分の騒ぎを書き起こしさらしながら、どうやって進んだのか書きました。

カタカムナもひたすら読んだ。

そうしたら、雲が晴れて、答えが見つかった。
物理的、現実的には「自分で見つけた」となる。

しかし、自分の中では察する。
「ああ、これは神様のおかげであった」と。

それが、とてもありがたく、癒やしとなり、本当に幸せな気持ちになっていく。
これが神様の与えてくださるものであると。


だから、なぜ、私は呼ばれて、ここで書き続けるのか。

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3.過去の自分に勝つこと
「過去は振り返らない」ではなく、一度しっかり振り返り、失敗の原因を分析する。
最悪な出来事ほど、振り返りたくない。できれば封印して、なかったことにしておきたい。
でも、『神の追い風』を受けた自分なら向き合えるはず。
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今、多くの出来事の記憶が沸き起こってきます。

トラウマ、それを刺激するのは「禁じ手」ではある。

しかし、その「禁じ手」すら、あのネオのように軽くいなせる自分になっているのであれば?

そんな「禁じ手」なんて気にしてる場合ではなく、

自分が封印した過去は『未解決事件』として、謎を解かれるのを待っている

「解決してくれ」とドアがドンドンと叩かれている。
ドンドンと、ずっと、ドアが叩かれている。

眠っていた自分は、それにやっと気づいたのである。


あなたは多くのダンジョンを乗り越えて、ここまでやってきた。
あなたが抱えているものは、期待されているものは。

あの30首を思い起こす。

トヨクモヌ フツ サカルツミ フトナ シメシウタ
マリタバネ カブシ ウキフヌ
メグルマリ ウヒチニホロシ カタカムナ…
タカマカ ムスビヌシ イモイククヒ カミ ワク サトリ

https://hironomichi.jp/K80/K30-katakamuna.html

私は、これと深く深く関わっていると思う。
「行っておいでと背中をなでる」(米津玄師「地球儀」)

私は、こうやって、ここに送り出されたんだ…

そう思うと、涙が出てくるんです。
おかしくなったんでしょうか?


私の家族は、社会問題の縮図みたいなもんです。
書きたくなかったよ!そういう叫びも心にあります。

でも、やらねばならん、そういうものも感じています。

だから、書き続けます。


謎が解きたい!!!!!
私の謎、絶対に絶対に解きたい!!!!!

そういう願望が湧いています。

すごく難しそう。

だけど、解きたいの!

そんな感じです。

さて、どうなるんでしょうか?
全くわかりません。


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