昨日の渦「🌀」の記録(重め)※一人さんいわく「おかしい」と言いなさい🍋
昨日、私は専門家の方と面談した。
子どもたちのことを受けて、私自身(DV被害当事者)に話をしたい、とのことだった。
子供等について今どう思うか…
私はいい方向に行っているようにしか思えず、そのことについて話した。
しかし専門家からすればまだ子どもたちの傷は大きく、懸念事項は多いと。
それはそうだ。もちろん。
私はまさか「カタカムナでどんどん心が癒やされている」とも言えず、
ただただ先生方の話に必死についていくだけであった。
しかし、「甘える」というワードが来ていた。
私はもっと”状況”に甘えてもいいのではないだろうか、と数日前から思っており、娘にも話していた。
私がなぜこんなに悩み苦しみ、心や身体にもムチ打ってがんばってきたのか。
それは「頑張らざるをえない」「頑張らないと」「頑張ってあいつを見返してやる」とかいう気概であった。
それが、どれだけ子供らにも負担をかけていたか…
それを考えることができるようになっていた。
私が意地を通し「頑張る」ために子供らにも我慢や負担を強いていた。
先生方に言った。
「私らがなぜこれだけ苦痛に耐えてまだまだ頑張らざるを得ないのか。
あの人はもっと私らに”賠償”をすべきでないのか」
「いつも生活のことに追われている。子供等のケア、私自身のケアが最優先であるにもかかわらず。そのことがやっと腑に落ちたから、あの人にそれに関してでも、生活に関してでももっと”弁償”してほしい」と。
これは私の今の本心を伝えた。
カタカムナ続けて出てきた心境なのである。
私や子供らが、これだけ頑張っているのに、あの人は何をしているんだろう…もっとこちらを支援してくれてもいいのに…
👆️このことを今までどうしても言えなかった。
頭にも浮かんでも消そうとした。
それは「甘え」だ、こんな人生を選んだのは私だから…とか。
でも、こんな人生を選んだのが私であっても、
子供らとの長い話し合いの中で、彼らがどれだけ長く苦しんできたかを改めて知るにあたり、
その諸悪の根源を作ってきた人物にふつうに責任取ってもらってもいいんではないか、
そういうことを要求して良いんでないか、と素直にあっけらかんと思えた。
「甘えて」いい、「甘えた考えかも」……他からの意見を忖度しなくていい。
私たちはもう十分頑張った。
私たちの困難を作った、あんたがもっとなんとかして。
心の底からそう思えた。
ずっとそう思っていた。
やっとそれを表に出せるようになってきた。
心も身体も傷つけられた私たちは
これだけ頑張ってきたのです。
弁償してもらってもいいよね。
そう言って良い。
この現実を私が作ったとて、相手に要求したってバチは当たらない。
素直に「もっと弁償して」と言ってやろう。
これは娘も専門家の先生に言っていたことらしい。
私たちの受け取るべきものをちゃんと受け取ろうではないか。
それが自己価値を受け取ることだし。
「私は甘えることができませんでした
人に頼ることができませんでした
だからそのことで子供らにも大きな負担を強いていました
子供らのためにも、あの人にもっと弁償してほしいと思っています」
やっとこういうことが言えるようになった。
こういう、当たり前の疑問が浮かばないのが私でした。
一人さんが「おかしい」と言いなさい、と言っていた。
わたしはわたしの今の状況に関して「おかしい」と言っていい。
頼る、甘える、もらう。
もらってもいいもの、受け取ってよかったのに受け取ってないもの、
みんな、全部受け取ると決めた。
それはあの人から直接でなくてもいい。
自分たちで稼いだり創り上げたっていい。
そのアイデアや運や縁が運ばれてきますように。