振り返り
ありがとうございます。
感謝しかありませんm(_ _)m
私のためにここまで書いていただいた…という気持ちと同時に、
これは今後ここを訪れる人々にとって、非常に重要なポイントとなるような気がしております。
私もこれから何度も挫けそうになるかもしれないから、
何度も何度も読もうと思っています。
感謝と畏れ多い気持ちが大きく、
ありがたい気持ちを表現することが難しかったです。
本当に感謝しております。
さて、そんな私は11月からの自分には本当に、違和感しかありませんでした。
11月から、自分の言葉がフィットしてない感じ。
そして12月のインフルにかかった辺りでの、
「自分が発信してはいけないのではないか?」
「もう「オワコン」じゃね?」みたいな感じ…
あれは何だったのでしょうか?
私はもう「お役目終了」とまで思ったのです。
もう書いても仕方ない、他の人がやってくれてるし…みたいな。
インフル回復あたりで、私はXにてひろのさんに1回警告されたことがあります
「危なかった」と。
それがいまだにはっきりとは分かっていないのですが、
何が、どう危なかったのか…
私的な理解は「たぶん、めちゃくちゃエネルギーが減ってた、人様に何かするなんて、とんでもないくらいにエネルギーが減ってた。
ダムで言うなら取水制限かかるくらいになってた」です。
いったん引こう。
そう思いました。
年末から年始、そして今月始めにかけて、自問自答するような文章を書きました。自分と自分とのガチンコ対話みたいなのをやったのです。
こんがらがって、わけわからなくなった自分を解きほぐすためでした。
そして、これは今思うと非常に重要なので書きます。
私は、ここで発信できないと思って落ち込んでいた間、
決して、他のスピリチュアルやメソッドには目を向けませんでした。
それは、私はさんざん「やり尽くして」からのカタカムナとの出会いだったからです。
それらに私を救う力など無い事を、重々思い知っていたのです。
これはカタカムナ読みしかない…
ごめんなさい、自分で自分の事やらないといけない…
そう思い、皆さんに手を合わせながら、自分の事だけに集中させていただきましたm(_ _)m。
思い立ってから、正確には1月に入ってから。
少なくても1回、多くて5回読みました。
それは、もしかしたら神様と離れてしまっているかもしれない自分を、なんとか自分から神様にしがみつかせるための、唯一の手段でした。
回数が大事ではないと思います。
神様と離れてしまっているかもしれない自分を励ますために、数えていた部分があります。
だから、数を数えたら「目安」になるし、後から読む人が「参考」になる。
あくまでも「参考資料」として記録しているのです。
エネルギー不足、なぜかそれがありました。
なんでかはわからない。
いつも神様に話しかけました。
かんながら、とつぶやきました。
10句くらいまでなら勝手に出てくるから、家事しながらとか休憩時間に呟いたりとか、洗濯干しながらとか、つぶやきました。
全体的には落ち込んでいる。
発信しようと思ってもできない。
「まだまだ」という気持ちになる。
そんな中でもカタカムナを読むたびに、眼の前のしんどい事象にも落ち着いていられる自分に気付けました。
確実に根は太くなっていたようです。
(だから、どんなに暗い時期でもカタカムナ読みは続けるの、本当におすすすめです)
地に足が埋まるくらい、地に足ついたと思います。
そして辛かったのが自分から自分への攻撃です。
やっと気づいたのです「精神的自傷行為」に。
チャットGPTに聞きました。「精神的自傷行為ってあるの?」って。
あるそうです。
斎藤一人さんが音声で言ってた「悪徳裁判官」ですね。
いつまでも過去の事などを引きずって、自分をいじめ抜くんです。
それが続いていました。
自己否定、自己を不当に低評価すること、不安を自分に煽って常に暗い気持ちにさせること…
これが1ヶ月くらい続きました。
その間、シンクロするように娘も具合悪い事があり、親として情けないとか無力とかに苦しむ時期もありました。
アレは何だったのでしょうか…
先程の「つぶやき」にも書きましたが、柳田さんの100達成と、ひろのさんの「浄化」、そして私の再奮起からの改めての100達成とシンクロしておりました。
嘘のように、晴れたのです。
最近、心の芯がくたびれて、自分に常に負荷をかけて山登りをしているような気分でした。
事あるごとにため息が出た。
あえて深呼吸しないといけない瞬間が多かった。
それも無くなりました。
それと他にも興味深い事があります。
仕事のことです。
多くを担ってくれていた人が無期休暇になり、私は一部代役を務める事となり、数人でヒーヒー言いながら慣れない事をこなす毎日でした。
しかし、「大変だった」とはいえ、乗り越えました。
なぜか?強力な助っ人が現れ、存在してくれていたからです。
忙しいけど、何らかの「助け」が入っていた。
それをいつも感じていました。
実際にもカタカムナのある句にまんま出てくる苗字の方が本当に強力な助っ人で、バリバリこなし、むちゃくちゃ助けてくださったのです。
そして、従来いた人たちもマインドが変わり、問題という「大波小波」を皆で乗り越えた。
今までくすぶってた部分も大きく業務改善された。
真面目で全てを背負っていた方は、大病という理由は残念だけれど、その肩の荷が降りるように半ば強制的に職場を去った。
その穴を埋めるべく、どんな人でもできるようにできるだけ業務改善しながら、残った我々で必死になって働いた。
結果、良かったのです。
神様が助けてくださっていました。
私はまだまだ乗り越えるものがあり、階段を登っていきます。
カタカムナ読むごとによく自分を見ると、落ち着いている、根が太くなっている自分に気付けます。
これはとても不思議です。
眼の前に色んな事起こりますが、学びも気づきも多いです。