渡辺道治先生の語りの凄さ

ある本で『「すべき」と「したい」』という項目を読んでいると、ふと渡辺道治先生のことが思い浮かんだ。

渡辺先生のVoicyでの語りや書籍での語り、学級通信からは『内から「したい」が湧き上がる』と思ったのだ。
こう感じるのは、私だけではないはずだ。
実際に、渡辺先生の語りを聞いた多くの方が、自発的に行動に移されているのがその証だろう。


私はこれまで、子どもたちに語るときに、価値や意図の説明をあまり入れず

私「先生方と廊下で会った時には挨拶をしましょう。」
子「はい。」

のような形式的なやり取りをしていた。

そして、語ったことができていない時には、
「いま、○○先生とすれ違いましたよね。なんで挨拶しないのですか?」
とイライラしてしまうようなこともあった。
苦い思い出だ。

今思えば、子どもたちができていないのも仕方ないよなと思う。
なぜなら、子どもたちの中でそれをする意味が理解できてないのだから。
子どもたちが、価値や意図を芯から理解し、内から「したい」と感じることができていれば、自然と行動に移せるのだろうと思う。

逆に、価値や意図の理解を伴わない外側から一方的な「すべき」は、行動を起きしにくいのだろう。
もしくは言われた直後はするけれど、長続きしない。


その点、渡辺先生の語りは一味、いや百味も違う。

1つ目は、様々な視点から価値を語っていることだ。
それは自身の経験からだったり、映画やドキュメンタリーなどのコンテンツからだったり、本で得た知識からだったりする。
それでいて論理的に話を組み立てていらっしゃるから、毎度「なるほどなぁ…」と腑に落ちる。

2つ目、ここが特徴的だ!(自分と違う!)と思ったことがあるので言わせてほしい。
それは、渡辺先生の語りは"価値の種まき"であるということだ。
具体的には、結びに「だから、○○しましょう。」とは言わないことだ。例えば、

「つまり、挨拶をすることで、〜〜〜ことができるのですね。」などと価値をまとめたり、
「人のために行動することで、〜〜〜になっていくのではないかと(わたしは)思っています。」とIメッセージで伝えたりして終わっていることが多い。

語りで即効的な行動変容を求めるのではない。
語りはあくまで行動変容のきっかけづくり、という視点は自分には欠けていた。
私がやっていたのは「語り」ではなく、「指示」だったのかもしれない…

渡辺先生の語りについて考えてみて、自分に生かしていきたいことは3つである。

価値や意図を必ず入れて語ること、
価値や意図を自分の中で腹落ちさせてから語ること、
語りは価値の"種まき"という視点を忘れず、行動変容を急がないこと。

渡辺先生のVoicy


渡辺先生の著書


p.s.
全然関係ないけれど、
僕と渡辺先生との思い出。

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