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もうええて。いい加減、てめえの人生デストローイ。

29歳。会社を辞めた。これからどこへいこうか、何をしようか。

新卒で入社した会社を先日辞めた。次の仕事は決まっていない。
私は自由だ、何にもなれる。だが、何になる?何をする?

自己理解コーチに落ちて、人生大迷走期突入!

最近、じわじわと知名度が広がっている自己理解プログラムをご存知だろうか?八木仁平氏が提供する、簡単にいうと「本気の適職診断」である。
自分の人生を幼少期から深掘りして、「価値観」「得意」「好き」を再確認し、そのすべてを満たすものがあなたの「やりたいこと」ですよ、というものだ。私はこれを1月~4月で受講し、私の「やりたいこと」を無事、見つけた。

私のやりたいことは「自分の個性を受容し、個性で躍動出来る人を増やす。」ことである。そして「これってイコール自己理解コーチやん!」となり、それを私をコーチングしている自己理解コーチにも確認してもらい、最終結論としてやりたいことは「自己理解コーチ」になった。

ほんで今時点で2回受けているが両方1次面接で落ちている。ちーん。人生そんな簡単にはいかないようだ。おそらくだが、私にはアクションが足りていない。何となく自分でもわかっている。まだ、足掻きが足りない。
とりあえず落ちたものはしょうがないので、自分なりに何かしら活動しようと思う。でも、何を?わからない。ただ、動き続ける。動いてれば、道が見えると信じて。このnoteもその一部。

でも今まで安定志向サラリーマンで生きてきた私にとって、無職状態は限りなく不安だ。このまま一生、経済力のない人生だったらどうしようという気持ちが肺中に霧のごとく充満している。人生大迷走期だ。

おい、自分に自信がねえぞ!

自己理解を受けた人の感想によくあるのが「自分に自信が持てました!」というものだ。私も先日までそんな気がしていた。だがしかし、こうやって落ちた今、私はまた自信をどん底まで無くしている。これは自己理解プログラムが不十分なのではなく、私自身に深い問題があると思っている。

私はいわゆる「機能不全家族」で育った。暴力、暴言、ちょっと性的なこと。子どもにやってはいけないことのオンパレードだった。「お前には価値が無いから自殺しろ。」なんてほぼ毎日言われたし、実際「今日、殺されるんだ。」と思ったことも何度かあるし、首を吊ったこともある。(本気で死のうとしたわけではなく、テストだったのだが…。でもマジで死ぬからやっちゃダメ☆)

そんな家族からは就職と同時にほぼ縁を切り、カウンセリングも3年以上通っている。その結果、私の受けてきた言動は虐待に当てはまるとのことだった。
そうでしょうね。と思ったのが率直な感想。まあそんな環境なので、自己肯定感や自己受容なんて当たり前に育まれている訳もなく。で、言いたいのは私がそういう悲劇的な境遇であるということではなく、こうやってカウンセリングに3年通って、家族のエクストリーム暴言がいかに間違っており、子どもの私は何も悪くないということ、私は客観的に「普通の人」なので、家族から言われた暴言は捨てなさい、と時間をかけて心底言われているのに、い・ま・だ・にそれらの言葉が捨てられないということ。
(例えば、「価値がないから自殺しろ」とか「頭が悪いから障碍者」とか…)
捨てたいのに、捨てれない。なぜだろう、なぜだと思いますか?

なぜ私はいまだに捨てたい言葉を握りしめてしまっているのだろう。

もうええて。いい加減、てめえの人生デストローイ

そこでタイトルに戻る。なんかもうええて、と思いまして。風で風化するみたいに過去の記憶は消えていかないようだから、積極的にデリートしましょう、という気持ちになった。今までの私は、自分に自信が無く、積極的に外界に行動する気になれなかった。でも、それでは変化しないのだ。
私は、もういい加減私にうんざりしている。もううんざりなのだ。だからデストロイ。破壊したい。これももうずっとずっと思っている。いまだに破壊行動に移せてないのは私の弱さだ。だから、もう、行動する。ちょうどよく無職なので、自分の人生、自分で舵取りしていこうと思う。

なんかまとまってないけど、いいや。書き続けてれば文章うまくなるっしょ。とにかく私は自分の人生好転させたいので、そのためにアクションしていこうと思う。

このnoteにはそういった記録を残せていければと思う。

以上。

デストロイ拷堕






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