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大学生活の初夏とともにやってきたセリカ・リフトバック1600ST

私の2台目のクルマとなったのはトヨタセリカ・リフトバック1600STだった。1980年代の後半に差し掛かっていた頃だ。1台目のランサーセレステと同じく、元のオーナーから半ば捨てられた体のもので、このクルマも生産年から10年が経過しようとしていたが、最後の2年車検が1年ちょっと残っていた。それを手に入れてしまったわけだ。

一浪を経て大学生にはなっていたものの、まだアルバイト収入もなく、故にお金もない当時の私にとっては不服などあろうはずもなかった。

セリカLBと通称されたこのクルマはスマートなスタイルを持っていた。「ダルマセリカ」と呼ばれた2ドアクーペも人気があったが、私は外連味のないリフトバック(LB)のスタイルを甚く気に入った。車体色はホワイトだったが、全体の造形がいいために引き締まって見えた。フォード・マスタングのモノマネだったことは事実だとしても、セリカのスタイリングはそれを超越した独自性があったように思う。

STグレードのエンジンはGTに搭載されたDOHCの2T-G型ではなく、OHVの2T-U型だ。つまらないエンジンと思われがちだが、実は半球形の燃焼室を持ちセンタープラグという形式は、DOHCの2T-Gと実質同じだと気がついたのはずいぶん後になってからのことになる。そういう意味では、シリンダーヘッドにカムシャフトを一本追加したことで、ツインカムという大きな付加価値を付けた当時のトヨタの戦略の巧みさが感じられるところだ

私の元に来たのはおそらく初夏の頃だったと記憶している。父親が経営する工場内で、汗を書きながら誰かからもらった小径ステアリングに交換したところからがこのクルマとの付き合いだった。力任せにノーマルステアリングを外してしまったためにセンターがわからなくなってしまい、何度もつけたり外したりして調整したことを記憶しているからだ。本来ならナットを緩めた状態でストッパーとして使えばよかったのだが、そんな知識もなかった。

引き続きクルマをとりあえず手に入れたとしても、さすがにガソリンは自腹で調達しなければならない。裕福とはいえない家庭だったが、実家住まいで衣食住に困らないということが、どれだけ恵まれてたかということは、そのときにはわからないものだ。私はバイトで稼いだいくばくかのお金を家に入れ、残りをガソリン代に費やすことができた。

ぼくがセリカLBのことを懐かしく思い出すのは、実質的に短く終わった大学生活の一番楽しかった時期と重なっているからかもしれない。


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