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宗教別・死んだらどこに行くのか調べてみた

なっちゃんロスは、私より、ひなさんの方が大ダメージです。
育ての親だし、なっちゃん、ひなさんになついていた。

私は、ひなさんがなっちゃんのところに行く時には「お留守番」。ぴいよを一人にすると呼び鳴きをして大変なので、家にいる。ぴいよはぴいよで、メモ帳とかハミハミしたり、私の麦茶を飲んだり、肩に飛び乗ってきたかとおもうと、二の腕でぱちくりと昼寝していたりします。最近PCに向かうことが多くて疲れ目というか目のかゆみが酷くて、私は目薬をよくさすのですが、直後にハンドタオルで余分な目薬を拭く、ということを、ぴいよがすっかり覚えてしまって、私が目薬を手にすると肩に飛んできます。目薬を拭くハンドタオルで「頭を撫でろ」と言っているのです。頭を撫でると喜んで「ぴいよちゃん!かわいいよ!ぴいよちゃん!ぴいよちゃん!ぴーぼ!」。ぴーぼって、何?

猫は可愛いです。でもオカメインコは「喋る」のが楽しい。
いや多分ぴいよは「喋っている」つもりは、あまりない。
そもそも人間が「言語」を使っているということを理解していない。人間もオカメインコ同様「鳴いているだけ」と思っている節があります。「鳴く」のもコミュニケーションの一種なので、確かに「大差ない」というぴいよの認識も、ある意味否定は出来ない。
ただ、時々「ぴいよ」とか「かわいい」という「人間の鳴き声」を聞いて、「ぴいよ」とは自分のことである、「かわいい」というのは、何か特別な「良いこと」に関連がある、という認識はあるようです。

6月(といっても式に出席したのは7月)には同級生、8月になっちゃん。
ロス感半端ないですが、ぴいよにどれほど救われていることか。

私はあまり興味が無いのですが、というより、地理学科出身ゆえ「行ったことのない場所のことは、わからない」という以上のことを言わないようにしていますし、そう考えています。

ただ、同級生が「無宗教葬」だったこともあって、そういえば、宗教ごとに「死後の行き先」ってどうなってるのかな?と、大雑把に調べてみた。

・仏教→死後「お釈迦様の弟子になる」
・神道→五〇日後に家に帰ってきて、その家を守る「神様」になる。

弟子と神様って、立場違いすぎません?

・キリスト教→とりあえず天国に召される(昇天)、けれど実は、個人の死ではなく「世界の最後」に「最後の審判」が下されて、天国と地獄に振り分けられる(プロテスタントとカトリックで違うのかもしれないけれど、キリスト教関係者との縁が薄いので、よく分からない)

・イスラム教→ごめんなさい、知り合いが全くいないのでわかりません。

・無宗教→検索しても出てこない。

イスラム教は分かりませんが、その他に上げた3つの宗教に言えることは、初代はともあれ、後継者達があれこれ分裂して派閥を作ったり、何かに付けて集金したり、宗教「団体」というのは「現世における組織維持システム」という一面が否定できない。その点、宗教が大嫌い、と言っていた同級生の気持ちは、何となくわかります。でも彼が本当に嫌っていたのは「宗教」ではなくて「宗教団体」だったのかもしれない。

実際、キリスト教は、教徒の幸福感維持ゆえ「荘厳」を維持するためにお金が掛かる。お坊さんは一人で読経、神官も一人。牧師だって一人じゃん?いやいや聖歌隊が……聖歌隊は無給かもしれないけれど、練習場所とか伴奏のオルガンとか設備が……。聖書も出版しないといけない。いや、仏教でもお寺によっては「ふりがな付き」の般若心経貸し出しがあって、みんなでお経読んだりしますけど、基本的に全部漢字という強み。漢字の情報圧縮効果で印刷物が薄くて済む。けれどじゃあ仏教はお金掛からないか?というと、それは違う。本堂の屋根というのが一般家屋より大きい上に雨漏りが始まると洒落にならず、15年に一度くらい発生する「雨漏り修理」だけでも莫大な費用が掛かります。あと仏教で最近お金がかかるのが「椅子」でして。昔は正座が当たり前でしたけれど、今、椅子生活云々以前に高齢化が進んで「膝が曲がらない」人が増えて椅子が必須に。事務用のパイプ椅子という訳にもいかず、数もそろえないと行けない。その点キリスト教は最初から教会に椅子でした。神道では「死は穢れ」なので、神社内で葬式は絶対にやらない。ゆえに葬儀用の設備は元々ない。一般的な斎場や家庭に神官を招いて式を執り行います。

で、同級生が死後「どこに行っているのか」問題は未解決なままなんですけど、実は「朔」は曹洞宗のお寺でお経を読んで貰ったので、お釈迦様のお弟子さんになっているかもしれません。あの世で仏典を囓ろうとしているネズミに噛みついたりして、徳を積んでいるのかもしれない。なっちゃんも同じお寺でお経を読んで貰う予定なので、そちらに行きそう。朔も、なっちゃんも、動物を捕まえる能力が凄かった。敷地内のトカゲ絶滅。クマゼミゲット。オニヤンマを捕まえて、シャクシャク食べていたこともあった。なっちゃんは鳥に強い。コザクラインコを「生きたまま」捕まえてきたことがあった。なっちゃん、ヒヨドリを何匹捕まえたか。木の下で「にゃ……にゃ……にゃ……」と、何となく鳥の鳴き真似っぽい声を出して、隙を見て一気に木を駆け上る。母屋血だらけ羽根だらけ、何度あったか。

同級生なんですけど、「神式」、知ってただろうか?
五〇日祭りで家(の神棚)に帰ってきて、それから家族を守ることが出来るって。彼は奥さんもご子息も大切にしていたので、悪くない選択肢に思えるのですが。ただ、神式の難点は「五十日祭」で盛大に飲み食いをするというのがあって、そこでお金がかかる。ただし五十日祭りに呼ばれた人は「玉串料」に加えて「五十日祭」の飲食代も出すのが原則。問題は、その「原則」を知らなくて、飲食代を「踏み倒す」奴が続出しやすいことでしょうか。

母屋に最後に一匹残った三毛猫「みい」はまだ13歳。
ぴいよ2歳半(オカメインコは猫より長生きするみたいで、20~25年くらい生きるという)。

この後は当面、身近に落命しそうな生命体がいないので、喪が明けたら新しい時代が始まるのでしょう。もう始まっているか。



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