私の奈良・北版
19歳から23歳まで奈良に住んでいました。
12月15日、西宮の同窓会(というか忘年会)があったので、奈良に立ち寄りました。というより、西宮より奈良に居た時間の方が長い。
今回、三島発朝一番の「こだま」に乗ります。そのため熱海で東海道線在来線に乗り換えたのですが、211系5000番台。JR東海発足直後、電車が足りなくなって国鉄仕様の車両を作った中の1つです。車掌側の前面窓が大きくなっているほか、座席が国鉄製の車両より、ふっくらとして掛け心地がよいです。もしかしたら今日が乗り納めかもしれない。
N700A。このロゴいいな。
例によって「EXこだまグリーン早特3」なので、三島から京都まで9860円。こだま自由席は10780円。色々制約はあるものの、1000円弱高い料金を払って自由席に乗りたいとは思いません。
浜名湖付近。このあたりは太陽光パネル多いな。
名古屋。315系!
パノラマスーパー!
東海道新幹線でも、沿線に田畑が多い。都市部ではそうでもないけれど。
「こだま」ですが、三島から京都まで3時間かかりません。長い時間楽しめる分だけ、ある意味、お得かもしれない。
ここでチャレンジです。こだまから近鉄特急、6分で乗り換えられるか?
勝算はあります。新幹線を降りて「中央改札口」を出れば、目の前は近鉄京都駅。「中央改札口」に近いのは7号車なので、7号車から新幹線を降ります。
上の写真に既に写っていますが、近鉄京都駅改札。
楽勝です。これでも駅構内を全く走っていません。
もし乗れなかったら次の急行に乗ればいいと思っていましたが、出来れば特急に乗りたかった、その理由は「ビスタカー」だから。私が奈良に住んでいた頃から走っていましたが、その後2回リニューアルをしています。
確かに、エントランスからして別物になっていました。
座席が昔と違うだけでなく、窓は2倍くらいに広くなっていました。
座席の紋様。意味は分かりませんが、「この特急が奈良に行きます」「この特急が伊勢志摩に行きます」と言われても、何となく納得してしまう。
宇治川を渡ります。近鉄京都線宇治川の鉄橋って結構長いのですが、実は橋脚がありません。大きなトラス橋です。その経緯は「民営鉄道の歴史のある風景」という本に詳しく書いてあります。
大和西大寺を出ると、平城宮址を突っ走ります。大極殿、1990年にはまだ礎石しか復元されていませんでした。
奈良に着きました。
キンナラって、いつの間にこんなに「エキナカ」出来たん?昔は殺風景な空間がひろがっているだけで、修学旅行生が整列していました。
御室もなか!分かる人には分かるぅ!
昔、ここに奈良漬け屋がありました。バイトしてました。お店からは見えませんでしたが、坪庭に柿の木がありました。
バスに乗ります。「大仏殿・春日大社前」を通るバスなら何でもOK。
奈良公園の、大仏殿への参道の入口です。そう見えないかもしれません。
小雨が降っていて、若草山も半分雲に隠れていました。
角切を終えた雄です。5歳くらいかな?
この辺、あまり風景変わってないな。
暇そうやな。
なんか、フレンドリーな奴が来ました。
鹿せんべい買いました。200円。
束のまま食うな!
鹿達って、おなか空いてるんです。鹿せんべい、高いものではないのですが、あまり買っている人がいない感じでした。買おうよ鹿せんべい。人気者になれるから。鹿たちの間では。
他の鹿にも。君、でかいな。
君も食べよう。
すまん、もうない。
ポーズ決めてくれた鹿。
鹿のお尻は白いのです。
大仏殿参道。でも実は、奈良に住んでいた時に大仏殿に行ったことって、ほとんどありませんでした。市役所でも図書館でもないですし、買い物に行くところでもないので。実は、奈良に住んでいた4年間、鹿せんべい、1枚も買ったことがありません。スーパーで豆腐を買った回数の方が桁違いに多い。
南大門。平安時代に強風で倒壊して、鎌倉時代に再建されました。昭和の終わり頃に大規模修繕を施工していたと思うけれど、構造そのものは鎌倉時代の設計じゃないかな?
東大寺ミュージアム。これは昔はなかった。
なぜ東大寺に行ったのか、その理由の1つは、これです。
1987年頃に買ったこの土鈴をずっと掛けていたのですが、今年、ぴいよが着陸しようとして落ちて割れてしまいまして。それから色々よくないことが続いていたような気がするので、やっぱりこれ欲しいな、と思ったのですが、東大寺の通販で売っていないんです。色々調べてみると「東大寺ミュージアム」で売っているらしい、ということまでは分かりました。ミュージアムは入館料が必要ですが「ミュージアムショップ」は無料で入れます。ところが、ミュージアムショップの陳列棚に「土鈴がない」。それでお店の方に質問してみたところ「あります」と。隠してたん?「お手洗いの前のショーケースに飾ってあります」
35年来のユーザーとしては重要なアイテムなのに、なぜに「売る気が感じられない」のでしょうか?実は「知る人ぞ知る強烈アイテム」で、「分かる人にしか売りたくない」のでしょうか?
私は、スペアを確保するために2個買いました。1個、玄関の高いところにヒートンを取り付けて吊り下げました。
工事中のところがあって、生コン車も奈良ナンバー。
昔より外国人観光客は増えていると思います。かなり。
大仏殿。実はその手前にある金属製の大きな灯籠みたいなやつも、国宝です。
大仏殿の入口にお線香をお供えするスペースがあるのですが、
それゆえ大仏さんを撮ろうとすると、もわもわに煙ってしまいます。
「今年は大変な年でした。来年は良い年にして欲しいです」
「お前の心がけ次第やな」
※大仏殿は撮影OKです。ただし、三脚の使用と、集合写真の撮影はダメです。
大仏像のパーツなのだそうですが、
こういう手仕事、凄いな。職人さん達が必死で彫ったんやろな。
大仏様の隣にも、実は「かなり大きな」虚空蔵菩薩像があります。
だいぶっちゃんの秘密「実は後光の部分は後ろから鉄の棒で支えてます」
大仏様の背後を回り込んで虚空蔵菩薩像の反対側に来ると、これもかなり大きい「如意輪観音像」があります。あるんですが、大仏様の後ろにお土産売り場とか「柱のあなくぐり」とかあって、ここまで来る頃にはほとんどの人がエネルギーを使い切ってしまうのか、虚空蔵菩薩像よりお参りしている人は少ない。
大仏殿といえば大仏様と南大門の仁王像が有名ですけれど「それだけではありません」。
大仏殿を出ようとしたら、雨が止んでいて、空が明るくなっていました。大仏様の御利益さっそく炸裂です。
ここでの日常。
鹿を怒らせる奴が悪いと思います。
大仏殿を出て、戒壇院方向に向かいます。
一見するとただの古い塀ですが、
パーツが専用仕様!
大仏殿裏手。
奈良の秋。
戒壇院
戒壇院から大仏殿を望む。青空が現れました。
「東大寺戒壇堂」というのは、戒壇院のことです。
戒壇院付近。
戒壇院
柿は奈良の名物とも言われますが、実は私、生の柿って苦手なんです。干し柿なら食べられます。
東大寺大工作業所って、やっぱ、木造建築の交換パーツとか作ってるのでしょうか。「関係者以外立ち入り禁止」という表示が、秘密感を漂わせています。
坂道
落ち葉。「モミジでもイチョウでもない落ち葉なんか撮って何が面白いん?」んー、分かってないなー。いいです。分かっていただくために写真を撮っているのではありません。分かっていただけない方にはむしろ「永遠に分かっていただけない」ほうが嬉しいです。
もう閉店しているようですが、クールミントガムのパッケージがキています。
こうしないと鹿がたべてしまう、という一面はあるものの、他の町同様カラス対策は必要で、別に奈良だからこうしている、という訳でもないと思います。
バス停「今小路」。奈良では普通の風景です。
かなり新しい建物だと思います。あえてこの形にしたのでしょう。
街中に「動物の飛び出し注意」の標識。
転害門(てがいもん)。大仏殿からいったいどこに行こうとしていたのかというと、1つは、この転害門。東大寺の中でも数少ない「天平時代創建時から残っている建造物」。南大門は鎌倉時代の再建で、それは1200年前後ということになりますが、こちらは700年代。
観光ボランティア?らしき初老の男性がやってきました。
「よかったらご案内いたしますが」
「いえ結構です」
「ご案内を」
「不要です」
私これでも「元・地元の人」なので。転害門の由来は知っていますし、昭和末期頃には案内どころか観光客に見向きもされていなかったことも、存じております。
さらにバス通りを歩きます。
大仏殿、転害門に続く本日3箇所目の目的地「向出(むかいで)醤油」。奈良に住んでいた時、ここの醤油を買っていました。なぜか。使ってみれば分かります。33年ぶりに買いました。
という訳で、あとは、昔住んでいたあたりを歩いてキンナラまで戻ろうと思います。
「でかい美容室」じゃないですよ。「てがい美容室」。転害門のあたりの町名は手貝町(てがいちょう)。
検索してみたら、元治元年=1864年だそうです「新しいお店やな」
住宅街。普通にお寺があったりする。
言いたいことは分からないでもないですが「説教臭いな」。いやでもそれが仕事ですよねお寺って。
カレー屋
住宅街。
奈良では珍しくないタイプの建物。
お地蔵さん。あちこちにあります。
この近くに住んでいました。私が住んでいたアパートは、今は建て替えられています。
カネウマ。昔は雑貨だけでなく食品も売っていました。野菜とか果物とか乾物とか。桃の箱買いとかしてました。実は桃って、奈良でも作っていまして、かなり熟れて遠くに出荷出来そうにない桃が、1箱15個くらい入っていて480円とかで、でもそれが熟していて美味しくかった。もう、ここでは買えないけれど。
昔、このあたりに銭湯があったのですが、さすがにもうないみたいです。
このクリーニング店は、昔からあった。クリーニングを頼んだこともあったと思う。
ぱっと見、普通の町ですが、奥に見えるのは金色の鴟尾を載せた大仏殿と若草山。
奈良女子大。
1989年7月の奈良女子大。
1990年2月の奈良女子大。
このあたりは風景変わったような気がする。昔あった「削り節屋さん」が見当たりませんでした。
みかん高いな、大粒だからかな。湯河原でも無人販売所でなくスーパーで買うとこのくらいするか。
花芝商店街
ここから「東向北(ひがしむききた)商店街」。金物屋さん、まだあった!昔住んでいた時にここで買い物をした時(何を買ったかは忘れました)、お店の方から、この建物は幕末に建てたと聞きました。
本屋さん。ここも昔からあった。
完全に見落としていました。今日は「若宮おん祭」の初日。「元・地元の人とか吹かしてた奴、何か言えよ?」すみません知りませんでした。
しばらく列が続きます。
列はここまで。
奈良東向(ひがしむき)郵便局。この建物変わってないな。
お地蔵さん。
Googleストリートビューで知っていましたが、エルムンドまだあった!
1階の古本屋さんも健在。
こだわり。
ブレンドを頼みました。注文を請けてから豆を挽いてくれました。
昔はなかった「アナログオーディオ」。凄く音がいい。
エルムンドから東向北商店街を望む。
エルムンドから東向北商店街を望む。1990年1月。
とりあえず、これで「今日行きたかった、私の奈良」ツアーは終了です。
近鉄奈良駅より北なので「私の奈良・北版」。
時間を見たら14時くらいでした。近鉄奈良を出るのは夕方でOK。
という訳で、一休みしてから「私の奈良・南版」を続行することにします。もちろん「南版」も、名所旧跡めぐりとは限りません。
(続く)
サポートをいただければとても嬉しく思います。 写真を撮ったり、書き物をしたり、そういう活動に活かします。