実は飛行機に乗ったことがない
写真は1989年「名古屋デザイン博」の時に走っていた、ロンドンから運んできたという2階建てバス。実は日本のバスより背が高いため、本来は日本国内では走らせることが出来ないそうです。ただ、この時には「頭をぶつけないルート」を走ることを条件に、期間限定で特例を認めてもらったそうです。
ロンドンって行ったことないです。
ロンドンだけじゃない、NYも北京もベルリンも。
ベルリンといえば、この年の11月9日にベルリンの壁が崩壊したんですね。その時、私、大学3年生。翌年春、同級生が「卒業旅行」と称してベルリンに行き、壁の破片を拾ってきて見せてくれました。
私、JRで「かつて国鉄であった路線で、乗車時に廃線となっていなかった線」は、北海道を除いて全部乗りました。行ったことのある県庁所在地は、北海道、本州、四国、九州、の全て。あれ?沖縄がない?なぜ?
飛行機が怖いから。
というのは半分冗談(ちょっとだけ本気)で、本当の理由は「青春18切符または夜行高速バスで行けなかったため」というのが大きいです。あと「旧国鉄線の乗車」を優先していたため、沖縄県にご縁がなかった、ということもあります。
「旧国鉄線の乗車」にこだわったため、海外にも行っていません。仕事的に用事がなかったというのもあります。ただし日本国外に出たことはあります。青函連絡船に乗ったから。青函連絡船って国内やん、と思うかも知れませんが、領海法で設定する12海里ではなく、特定海域として領海を3海里までとしているため、一応日本国外に「出た」ことはある、ということになります。そういえば青函トンネルの固定資産税って、どうなっているんでしょうか?
今はどこに行っても通勤電車で、しかも整備新幹線の開業で並行在来線が第三セクター運営になって、青春18切符の使い勝手も「うーん」になってしまった感じがいたしますが、30年前の東海道本線の静岡には「ボックス席4両編成ただし冷房なし」とか走っていました。東北本線には「寝台特急電車を無理矢理改造した普通列車」があり、これがボックス席部分は特急時代そのままで、めっちゃ快適でした。運転台付きの車両が不足したため無理矢理運転台を取り付けた車両とかあって、鉄道ファンからボロクソに叩かれたりしたのも、今となっては思い出です。
青春18切符1枚で、千葉県柏市から青森県三沢市とか、千葉県柏市から岡山県倉敷市までとか、そういう乗り方をしていました。
「かつて国鉄であった線」に乗るのは、九州を最後に止めました。久大本線の「夜明」という駅でした。その時思ったのは「これって結局、何の意味があるのだろう?」と。1978年に宮脇俊三氏が「時刻表2万キロ」というベストセラーを出版して以来「国鉄全線に乗った」という人が続出して、もう珍しくも何ともない、っていうかもう「国鉄」ないし、みたいな。あと、残る北海道の未乗線区があまりにも膨大であり、正直、もう疲れました。
本州最後は「大嶺」。大嶺駅はもう廃止になってしまいましたが、その時に乗った「キハ23」という車両が、私と同じ昭和42年生まれ。寂れた終着駅で、なんだか、しょぼーんとした気分になったのを覚えています。写真は、キハ23の運転手さんに撮って貰いました。
最近は、あまり「乗り」には行っていません。2017年まで猫を飼っていたため家を空けずらかったということもありますが、その後2019年になってオカメインコを飼い始めまして、これがまた可愛くて。いやそういう話だけでもなくて、もう、乗りたい線にはだいたい乗ってしまった、行きたいところにはだいたい行ってしまったので、無理に出かけることもしない、ということです。
最近お気に入りの鉄道車両と言えば、たまに東京出張の時に乗る東海道本線普通列車の2階建てグリーン車でしょうか。あれって凄いんです。車内で居眠りをしても「首が痛くならない」。東海道本線で伊豆・湯河原あたりというと「特急スーパービュー踊り子 2階建て展望グリーン車」がありますが、あの車両もいかんせん30年前の設計で、座席が広くてゆったりしているのは事実ですが、背もたれの設計に今ひとつ詰めの甘いところがあって、小田原から品川まで居眠りすると「首が痛くなる」。近鉄の「しまかぜ」とか、はやぶさの「グランクラス」は、凄いのかもしれないけれど、乗りに行く用事がないですし、高い料金を払って快適なのは、ある意味「当たり前」。そこそこの価格で質の高いサービスを提供してくれる東海道本線の普通列車グリーン車が好きです。
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