過去に戻れても乗りたくない列車
過去に戻れたら乗りたい列車、DD51牽引の旧型客車かなあ、オハ61とか。
という「まともな回答」を一応出しますが、逆を考えてみた。
「過去に戻れても乗りたくない列車」。
・常磐線朝ラッシュ103系
前代未聞4扉車15両編成にもかかわらず、とにかくぎゅうぎゅう。摩擦静電気集めたら電車走れるんじゃないか?レベル。乗る位置にもよります。私はいつも朝寝坊ギリギリだったので、日暮里で階段前に停車する位置に捻じ込んでいた。それでも乗客が乗ってくる三河島。乗ってくる乗客のために一旦ホームに出たら「閉め出されて戻れなくなった」経験あり。もういや。緩行線103系1000番台モハ102非冷房時代の夏ラッシュ「停車するたび床下の巨大抵抗器から廃熱地獄」には、幸いにして、通勤時間帯に乗ったことがありませんが、これも乗りたくない車両の一つ。
・夏の0系冷房温度設定21.5度
0系に乗った、しかも東海道新幹線の「ひかり」、いいなあ、と羨ましがられるかもしれませんが、特急料金払って転換クロスとは何事か!とお怒りでいらした方々、いかがお過ごしでしょうかby185系。0系は元々転換クロス。シートピッチ940mm。それは大した問題じゃない。夏の冷房温度が「スーツを着込んだビジネスマン」を基準に設定されていたため、室内の温度計が21.5度を示していた。長袖着ないと風邪引くレベルでした。小学生の頃だったかな。
・183系0番台北斗、函館-札幌間立ち詰め
青函連絡船に乗れたのはいい思い出。青函連絡船には食堂車があって、そのラーメンがとても美味しかった。
しかし函館で乗り継いだ「当時最新型」183系0番台(スラントノーズのあれ)、ぎゅうぎゅうの満員で立ちづめ4時間。辛かった……
※補足 183系0番台おおぞらキロ182の売店、弁当が不味かった。駅弁の弱点「冷めている」「高い」と、ほか弁の弱点「しょぼい」を融合。
・20系銀河3段B寝台東京ー静岡間説教詰め
20系時代に急行銀河に乗りました、3段寝台です、もちろん最後尾ナハネフ22にも行きました、展望室には椅子一つなく、ジャンパ線がごろんと放置されていた、それもまあよしとして。
酔っ払った教員団体と同席、東京から静岡まで初老の男性教員から説教を食らったのには参りました。しかもですね、彼らは何でも山口まで帰るとかで朝の新大阪で下車したんですけど、私に説教していた男性教員、昨夜のことなどすっかり忘れて、私が挨拶しても目を合わせないんです。同僚の白髪の先生がニコニコしながら「さようなら」と。彼はいつもこうなんですよ、と言いたげなお顔。忘れられません。
・土讃本線キハ47猪ノ鼻トンネル煙責め
「蒸気機関車時代はもっと大変だった!」と叱られそうですが、峠越えの長いトンネルで室内に白煙と煤煙が入ってきまして……当時の土讃線(土讃本線)普通列車、冷房なし。
猪ノ鼻トンネルで煤を吸い込んでしまい、喉を腫らして発熱。
あの痛みは一生忘れませんDMF15HSA。
・ロングシートぎゅうぎゅう詰めで下る横軽
軽井沢から乗った普通列車が、全車ロングシートに改造された115系3両編成。ぎゅうぎゅう詰め66.7‰。偶然座れたものの風情も何もあったものではありません。箱根登山鉄道80‰ロングシート休日はぎゅうぎゅう詰めですかそうですか遠慮させていただきます。
・空気バネのパンクした203系モハ202
帰りの千代田線、1990年代前半だったと思う。空気バネがパンクしていたんですよモハ202。横軽では毎日やっていること、空気バネにはストッパーがあるから危険ではない、それは知っていても、横軽は時速45km/h、千代田線70km/h「なんや走れるんや」いやそういう問題じゃ無くてですね、すんごいゴツゴツするんですよ、脳震盪起こしそう。ですから下車の際に車掌に告げました「9両目上原方の台車、空気バネパンクしてます、あそこ、屋根が隣の車両より一段下がっているでしょう?」「あ、そうですか」。
ぶーたれはこのくらいにして、これだけ乗っていて(長距離通勤とか)一度も事故に遭遇したことがなかったことを感謝しなくてはなりません。それはいつも意識いたしております。
(おまけ)食堂車ネタはこちら