塩害に耐えきった185系
我が町湯河原にも停車する特急「踊り子」。
登場時の、鉄道趣味の方々からの惨憺たる悪評が、今となっては懐かしい。
・(1981年時点での)今時、特急なのにリクライニングシートでないのは許せん!
・関西の117系新快速とほぼ同じ座席で特急料金を取るな!「有料新快速」
・斜めストライプが斬新だなどと言って一般人を馬鹿にしている。斜めストライプ塗装は既にオランダ国鉄が1968年にやっとるわい!(←「一般人」という「上から目線」なところが何とも)
・食堂車が無い!(183系からすでにそうでしたけど)
・「踊り子」という名前はストリップ小屋の「踊り子さんにはお手を触れないでください」を連想させるので下品であるから許せん!
・ヘッドマークのデザインがクズである、人物の顔の前の空間は非常に重要なのに、無駄に手を書き足したためにデザインが破綻している。そして女の子の鼻は鼻づまりのように見える鼻で、けしからん!(いや元々このあたりは箱根も含めて杉林が非常に多くございまして、さらには小田原から伊豆にかけて蜜柑の産地で、蜜柑って風媒花なんで花粉が飛ぶのは昔からでありまして……by湯河原町民)
他にももっとあったような。忘れた。何分39年前のことゆえご容赦を。
そのくせ、「XX時XX分発の普通列車は185系を使用しているのでお得である」と言ってホクホク乗っている鉄道趣味人(←私とか私とか私とか……)
とまあ、そんな日本むかし話はさておきまして、そういえば平成になってから「スーパービュー踊り子号」251系が登場したよね?185系より10年くらい後に造られた車両なのに、先に廃車されちゃったのってなぜ?
という疑問をお持ちの方もいらっしゃるかと存じます。251系という形式名は知らなくても「新しい奴を先に壊しちゃったのなぜ?」と。
答え:185系があまりにも頑丈だから。
185系に限らず旧国鉄車両は極めて頑丈に造られる傾向が強かったのだが、157系やサロ152など、一部の車両は急速に劣化したという失敗があった。その失敗経験から「国鉄車両の弱点」を洗い出して、その部分を徹底的に強化して「思い切り長持ちする」車両を開発した。特に、伊豆半島特有の「潮風」による塩害対策として、車体の一部にステンレスを使用した。ステンレス部分にも鉄板部分にも同じペンキが塗ってあるので見ただけでは気がつかない。
「一部国鉄車両の急速な劣化」の原因は、「一段下降窓」。窓の上辺の出っ張りを押し下げて、上から下方向にガラスを下げて開けるタイプの窓。
1981年当時、「普通電車や通勤電車は、春秋には窓を開けて走るのが当たり前」だった。ゆえに185系に「固定窓」は許されなかった。だが、通勤電車から急行まで当たり前だった二段窓もまた、「国鉄特急列車に中桟のある二段窓」は許されなかった。
「急速な劣化」で失敗した例は、157系、サロ152、サロ165、キロ28など。それらの車両はみな、寿命が短かった。
なぜか?
一段下降窓は、窓から侵入する雨を車外に流し出すように造り、かつ小まめなメンテナンスを継続しないと、車体内部に残った雨水で「内側から車体を腐食させてしまう」。
「いや阪急電車はみんな一段下降窓でしょ?特急料金なしの通勤電車なのに」。
それは「阪急電車だから出来るのです」。利益が出ていてブランドイメージ維持向上のための投資が可能であった「阪急電車」だから出来たのだし、今でもやっている。「赤字国鉄」にはその「お金問題」がクリア出来なかった。
編成の長さの差≒窓の数の差、というのもあります。阪急電車、1981年当時最大8両編成。185系に限らず東海道線東京口15両編成。窓の数が膨大。これを全て一段下降窓にすると莫大な費用が掛かり続けることになる。ますます無理。
で、185系。「蒸気機関車時代の特急『燕』みたいに、一段上昇窓にしましょう」。
一段上昇窓というのは、窓枠の下の方にツマミがついていて、それをつまんでロックを外して車体上部にガラス窓を押し上げるタイプの窓。これは雨が降っても「車体上部に雨が逆流」することはほとんどなく、暴風雨とかで希に多少の雨水が入っても、下方向に隙間があるので勝手に流れ出てくれる。そして「車体下部」は塞いであるので雨が入らない。これが185系ご長寿の秘訣の一つであった。
あれ?平成のデラックスタイプ踊り子号(251系)は、窓、固定だよね?雨水入らないじゃん?雨水関係ないじゃん?
その通り。でも、座席とか展望室とか2階建てとか、そいういうところに重点的に費用を割り振り、ステンレスを使った塩害対策をしなかった、鋼製車体、その車体の腐食が予想以上に速く進行してしまった。実際、晩年の251系って、パテごとペンキの剥げ落ちたところにペンキを塗り足して、車体のあちこちが継ぎはぎのようになっていた。
……という事情も大きかったけれど、それだけではなかった。
実は今、踊り子号、1980年代に比べると全然空いている。
伊豆方面への旅行客が、高速道路に流れている。
これは踊り子号だけの問題ではなく、日本全国そう。高速道路網の急速な発達というのは、鉄道に対する強烈なプレッシャーとなっており、西日本では近鉄特急なども同じ問題を抱えている。
ノーマルタイプの在来線特急、たとえグリーン車といえども、クオリティとスピードでベンツ・BMW・レクサス&高速道路に太刀打ち出来ない。
コストでは格安高速バスにかなわない。
環境に優しい鉄道、という話でさえ、プリウスどころかテスラまで登場して説得力ががくんと落ちてしまった(それは本当か?という検証問題は、ちょっとここでは一旦脇に置いておく。世の中の「雰囲気」がそうじゃないかな、というくらいのイメージ)。
という訳で、あらゆる意味、あらゆるシーン、あらゆる人々にとって「旅行の移動手段が鉄道で無ければならない理由」が、急速に希薄化してしまった。
「だからこそ」唯一列車ではなければ出来ない乗車体験を提供できる「グレートハイクオリティのフラッグシップ特急」E261系を投入して、251系を早急に代替する必要性があった。
じゃあなぜ185系の新型への切り替えも急がなかったのか?というと……
ごめんなさい、今日はもう疲れました。Google先生とかで検索してみてください。
あー、今日もまたどうでもいい記事を、ぐだぐだと書いてしまったなあ。
お読みいただきました皆様、まことに申し訳ございません。
最後に、一言だけ書かせてください。
185系、ありがとう。本当に長い間お疲れさま。
君の車内で食べた東華軒「小鯵押し寿司」の味ともども、決して忘れないよ。