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日々と写真,2001年(4)

4月8日、湯河原に行った。

上生なども持って行った。

この時間に元住吉を出ているということは、急なことだったのかも知れない。

横浜。

久しぶりに湯河原の景色を見る。

駅の桜はもう終わり気味だった。

朔は何となく私を覚えていたように見えた。
ひなと復縁した。

神田珈琲園には、Webの更新の関係もあって、よく言った。

そうこう言っているうちに不動産撮影の仕事も5ヶ月目くらいになっていた。

多分奥沢あたり。

君たちにも初夏が分かるかい?

こんな家も撮っていた。

もう誰か住んでいるだろう。

機材。現像待ち。

渋谷。

どこだったか、多分納品先。

神田には、Webの記事を書かねばならないので週一くらいで行っていた。

神田。

石川台。不動産撮影の合間。

不動産撮影の仕事は、とにかくよく歩いた。

場所、思い出せない。多分不動産の合間。

多分洗足のあたり。

多分下神明あたり。

この金魚とうか鯉は、どこだったろうか。

その日は4月24日で、なぜか横浜にも行っている。この頃の私の行動はどうもよくわからない。

桜木町。

4月28日、突然ハイになって早起きして、普段行かない方に行ってみる。

朝の商店街とか。

この駅もだいぶ変わったそうな。

この写真も、高架化工事が完了した今、もう撮れない。

快速に乗って小田原に行く。

5月になると小田原城に藤が咲く。

ひなに会いに行った。

あまり体調は良さそうではなかったかもしれない。

この頃は私も結構忙しかった。神田珈琲園には色々な新聞があった。

神田明神の祭礼になると(2年に一度)、珈琲園も提灯を下げる。

そういう話題を書くのも仕事だったわけです。

この頃だったと思うが、元住吉にドトール出来た。

5月に、突然栃木に出張に行ってくれと、神田のデザイン事務所から依頼を受けた。

朝からの取材だったので前泊が付いた。それで前日は街を歩いた。

このあたりはかんぴょうが名産なんだ。

凄そうなタクシー。

商店街。

遊んでばかりいたわけじゃありません、一応取材会場の下見にも行きました。

夜は淋しい街。


ツインリンク茂木。こういう仕事。慣れてはいないですけどね、仕事ですから。

相変わらず不動産の仕事もしている訳ですよ。ここは京王線沿線だったか。

休日はひなに会いに行ったり。

朔がまだ若猫。1歳くらい?

散歩に出たらこんな猫も居た。

おかめインコのサクラちゃん。かなりコミュニケーションが取れる感じがした。今はもう死んでしまった。

この頃、湯河原の階段堤防には、なぜか白い猫がたくさん居た。

このあたりに、大正時代まで軽便鉄道の「門川駅」があったという。

不動産撮影の合間に通った公園。「秘密の花園?」

多分永福町あたり。

神田珈琲園のネルドリップ。この頃、仕事は結構忙しかった。2001年(平成13年)の確定申告書を見ると、今の私(そうとうふにゃけている)に比べて売上げが少ないんです。しかも白色なんで税金が今より高い。例の「自殺の見通し」は、ペースは落としつつも着々と進んでいた訳ですよ。なのに今より忙しかった。ここには書かなかった、芸能関係の仕事とかもありましたが、それもあまり儲からなかったし、そこの事務所とはトラブルを起こして、後でけんか別れをしたこともあって、あと、権利関係とかも色々あって写真も出せなかったりする訳ですけど(後味悪くて、ネガを全部送りつけたというのもある)、そういう事情で、忙しいけれど儲からない、そんな暮らしをしていました。

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飯島 正樹
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