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気合いでは治らない

……で書いたネタですが、抗うつ剤アナフラニールを一挙に1/3、しかも10mmとかならまだしも75mm→25mm。これ、やっちゃいけないの、知ってました。処方はあくまで「75mm→50mm」。抗うつ剤を中止、あるいは入れ替えするときには「少しずつ様子を見ながら」進めるのが大原則。知ってました。知ってるつもりになって、ナメていた。
やっぱ、あきまへん。体調最悪。一時は何か「すっきりした」ような気がしたのですが、それは一時的なもの。一挙50mm減という暴挙がじわじわ効いてきまして、起き上がるのも辛い状態に。

今日、明珠堂(鍼灸)に行ってきました「明珠堂行く元気はあるんかい!」すんません月に2回のお楽しみなんです、肩こり腰痛酷いんで。で、明珠堂の鍼灸師さんにも抗うつ剤の話をしたのですが、彼は私の背中の真ん中辺に触れて「夢は見ますか?」と。「え、あ、見ますけど、悪夢は見ません」「眠れては居るようですね」「はい」「そうか。ちょっとこのあたりが詰まってるとあれなんですけど、大丈夫そうな感じではありますね、まあ、そのお薬の急減は良くないです、処方通りに飲みましょう」と。あんた中医学の人ちゃうんかい?とはいえ、西洋医学の精神科医に訊ねても結論は同じだと思います。

なぜ私が抗うつ剤の減薬を焦ったのかというと、1つには「ナメていた」というのもあります。15年くらいでしょうか、飲み続けて。慣れすぎて、たまに1回くらい飲み忘れたこともあったりしますが、まあ何とか大丈夫だったもんで、所詮大した薬じゃない、という認識の甘さがあった。1回ごときの飲み忘れと「バッサリ中止」は違う、ということを、真面目に考えていなかった。
もう1つには、便秘が酷くて、しかし今、私、「センナ」製剤が使えないんです、センナ製剤の長期連用で腸の機能が劣化してしまい、薬を変えるよう、胃腸科医に指摘されました。ところがこの新しい薬というのが、どうも微妙というか……身体がまだ薬になれていないということもあるのかもしれませんが、そもそも「効き方」が違うようで、センナ系が「とにかく出す!」って感じでおなかの中をクリーンにしてくれてた感じですが、新しい薬は「身体の本来の機能を調節して腸の活動を『邪魔しないようにする』」という、一度効いただけではよく分からない機序なのだそうで、効き方がなんとも微妙と申しますか……

細かい話は略しますが、結局、(1)抗うつ剤は処方通りに飲むべし(2)便秘薬も含めて「薬の切り換えを焦らない」、の2点を、改めて痛感した次第す。医学界では常識なんでしょうが、患者というのはいかんせん素人な訳でして……

精神疾患って、未だに「気持ちの問題」「精神論、気合いで乗り越えられる」みたいな認識が結構深く残っていて、いやいやそうじゃないんですよ、と説明しても、なかなか分かって貰えない悩みがあります。

例えば、膵臓が調子を崩してインスリンが分泌できなくなったら糖尿病になりますよね?
胃が調子を崩して、胃酸が出過ぎて胃が痛い時には、制酸剤で胃酸を抑えますよね?
それと同じです。
脳が調子を崩すと、脳内の神経伝達物質、ドパミンとかセロトニンとかノルアドレナリンとか(正確にはもっと複雑な分類があるのですが、ここでは患者レベルで理解の範囲ということで)、が「出過ぎる・出たりない」あるいは「その物質に反応する器官が敏感すぎる・鈍すぎる」といった現象が脳の中で起きると、いわゆる精神疾患というものに罹ります。そして現代、特に1950年代あたりから、その脳内物質の加減を調整するという薬が開発され、それも1990年代後半あたりから色々画期的な薬が登場している、というのが精神科系の薬の現状です。

そうか、じゃあ薬さえ飲めばいいのか、と言われると、それもちょっと違うのですが、その点も他の病気と同様。胃の調子の悪いときに「でも旨いもの喰いたい」と言って大食いしたら、やっぱり胃の不調は治らないですよね?そういう意味で「生活環境・生活習慣を見直す」ということが必要になりますが、精神疾患も同様。例えば「職場の環境が酷くて鬱病になった」場合には(法律的なことはここでは一旦おいておいて)その職場から脱出する、ということも非常に重要な選択肢となります。どんな病気も、環境(生活習慣)を改善しながら薬の力を借りて直す、というのが原則な訳です。

とまあ、偉そうに講釈を垂れた飯島はどうなのかというと「アナフラニール1/3、気合いや!」とナメていた節がありまして「お前まず自分をなんとかせい」、まったくその通りであります、すみません。

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飯島 正樹
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