
日々と写真,2001年(6)
2001年は、不動産の写真をよく撮った。2001年より後には、もう、家の設計図から起こしたパースや、営業マンがデジタルカメラで撮った写真をチラシに使って経費を節約して、その分、少しでも多くのチラシを撒きたい、という、不動産会社の意向もあったようだ。よほど高級なマンションでもあれば、大型カメラを持ってベテランが丁寧にディティールまで撮るのだろうけれど(そういう仕事は多分今でもある)、私のような、駆け出しクラスのカメラマンを使って銀塩、まだ出来上がっているかどうかも分からない物件を銀塩で撮りに行かせるという仕事は、もう、今は多分ないだろう。
何だよ。
永福町。
指定された物件に行ってみるとこういう状態だったりすることもあって、それでも1件撮影のギャラは入るので私はいいのだけれど、不動産屋的にはたまったものではないだろう。
荻窪。
これも荻窪。荻窪は1回しか行かなかったと思う。
こういうのも不動産屋泣かせの写真だろう。「基礎がしっかりしています」とか言ったって、お客さんは「家」を見たい訳だから。
「周辺環境」と言って、こういう写真は結構重宝されたりしました。
ぎょうざを作るひな。
綜合写専の同級生アヴェちゃんは時々遊びに来た。うちは割と速くからADSLを引いていて、ネット見放題というのもあったかもしれない。後にアヴェちゃんも同じ@niftyでADSLを導入した。まだ月額7000円くらいした。
不二家のお菓子がお土産。
撮影とはいえ朝のラッシュは避けられないこともあった。
こう撮るよりね、
この角度でもっと寄った方が綺麗に撮れる、両脇の建物が邪魔だから。だから35mm銀塩の広角レンズが必要だったんです。
西新宿。
西新宿。
土地の写真を撮ってくれ、というリクエストもあったけれど、雨の日とか、水たまりの写真になってしまう。
これも広角の方がよい例。
確か三軒茶屋。
うちの向かいのドラッグストアに買い物に行くひな。
プラムが好き。
「屋上を撮って欲しい」というリクエストもあった。そういう時、背景というか、周りをいかによく見せるかというのが、結構難しい訳です。
その夜、ひなが体調を崩し、急遽、夜の東海道線で湯河原まで送った。
翌日は曇天だった。
何だよ。
こういう家を、
これよりちょっと正面向きにして、広角で画角に収めてしまうのが私の仕事。
どこだったか思い出せない。
彼はオリンパスペンを持っていた。ハーフの、露出計の付いたタイプだったが、露出計は機能していないようだった。
二階建て時代の東京駅。
東京駅。これはこれでよかったと思うのだが。ある意味で、戦後日本の象徴のようで。
東京駅。
雑踏の元住吉をしばし離れて、湯河原に向かう。
ひなは、元住吉で暮らすのは難しい。私は、湯河原には仕事がない。
どうしたもんかな。
この頃、東海道線の快速アクティーは2階建てだった。
朔、1歳。少しずつ私にも慣れてきてくれたようだ。
オカメインコのさくらちゃん。湯河原には、ひなの居場所があるのだと思った。
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