生活 20201029~20201113
10月29日(木)
現像した写真は無事、まっきいろになってデータ化された。古いフイルムを使ったからね。でもどうやらカメラ自体は問題がなかったみたいだから、ISO400の新しいフイルムを買って週末に備える。たのしみだ。
神楽坂からずるずると歩いて大学まで行く。なかなか歩けるものだな、と思いつつ、最近はずっと歩いていなかったので、健康によさそうだな、続けたいな。半年ぶりくらいの大学で図書館の本を返し、同期のプレゼンを聞く。
10月30日(金)
フランスのテロが絶えない。心が傷む。
10月31日(土)
配信ライブを見た。デビューして10年目の演出、貫禄がある。今月は配信イベントが詰め詰めで、どうしても比較してしまうけど、はじめてのライブと10年目目前のライブ、全く性格が異なり、すごく興味深かった。端的に言うと「メッセージ」と「パッション」の違いかな、と今は思っている。
11月1日(日)-11月3日(火)
社会人の友人と院生謳歌する友人の二人とともにGoToキャンペーンを使って温泉旅。このことはまた別で書くか、写真をまとめるか、何かしたい。
11月4日(水)
午前中は、資格の勉強に充てた。資格学校に通う友人曰く平日は一日3時間勉強してくださいね、とのことらしい。無理だ!わたしは1時間半くらいで飽きてしまう。しかも毎日なんてとんでも無理だ!と思いつつ、今日も1時間半くらいだけがんばった。
午後は、しばらくぶりにバイトをはじめることになり、初シフト。さながら大緊張していたけど、ぽわぽわとしている店長を差し置いて、8年目だというバイトさんが話しかけてきてくれて驚いた。「名前はxxxです。趣味は、ミュージカルとアニメと、なんとかとなんとかで、長所はまつげが長いこととなんとかで、短所はそれ以外全部です!よろしくね!」まで一息だった。もっと長かったと思う。突然のことで唖然としているうちに、彼女はすべての自己紹介を終えていた。バイトってこんな感じだったかしら?とぽかんとしながら、一応挨拶をする。あとせっかくなのでわたしもミュージカル好きです、と話したら話はぽんぽんと進んでいき、「この方は元宝塚なんですってー!!!」とほかのバイトさんまで紹介された。元宝塚、このへんに溢れすぎている。元宝塚にもいろいろいらっしゃるので、もしかしたら肩書が重く感じているかもしれぬ、などと邪推しつつ、ご挨拶した。
以前のバイト先と同様、女の人が多い職場のようだ。気が楽。ついつい女の人が多い職場を選んでしまいがちである。余計なことを気にしなくていいから、本当に楽。
商品の名前とレジ打ちまでを覚えた。変わったのは販売するお菓子の種類くらいで、それ以外は前職とたいして変わらないので、意外と覚えが早かった。でも、前職は製造補助もしたり洗い物もしたりしたからそういう意味では単純作業が多くて好きだったかな~。今度は販売だけだし、ずっと店頭に出ずっぱりなので気が休まらないといったら気が休まらないかもしれない。商品説明と販売と通販と箱詰めと...徐々に覚えていけるだろうか。
11月5日(木)
木曜日は語学学校の日。時事問題を扱うクラスなので、その準備のため、と思って世界情勢やニュースに目を向けるようになったことはよかったなあ、と感じる。普段ならスルーしてしまうことも多いけれど、今はちょっと気に留める。それでも人生の長さと知識の量が圧倒的なクラスのお仲間たちには到底かなわない。この世にはまだまだ考えなければならないテーマが散乱しているのだろうな、と痛感させられる。
昨日から開票がはじまったアメリカ大統領選は、まだ開票が終わらない。日本の選挙の感覚から言うと、かなり長い闘いだ。いわくつきの「郵便投票」の締め日はどうやら州によって違うらしく、最長15日くらい待つところもあるらしかった。なぜなら選挙日当日の消印の郵便がそれだけ遅く届くかららしい。郵便局仕事しろ。
というか、そもそも「郵便投票」でそんなに堂々と「不正」を行うことができるのか?「郵便投票」ってそもそもなんなのか?ツイッターのあらゆる情報がうさんくさすぎるのはなぜか?結局政策より人間性評価が先行しているように見えるのはなぜか?なぜ半分もの人々はトランプに投票してしまうのか?わたしがおかしいのかと思って今一度政策を確認したけど5秒でわかる、絶対トランプじゃないじゃん、感。(だからといってバイデンだ!とも思わんが。)どうしてこんなにも多くの人が分断の助長を望むのか?分からなさすぎる。分からないことが多すぎる。
11月6日(金)
なにもない日だ。内定先からもらった宿題を考えながら、立ち上がらなくなったMacBookと格闘している。プレゼンに使いたい資料はこのなかに入っている。
お茶を淹れて、お線香を炊いた。思い出したように、#好きなもの100 をRollbahnに書き出した。昔書いたものはどこにあるかな。忘れてしまったから比較できないけど、多少なりとは変わっているんじゃないかなと思う。これ、時々やりたいね。と、いつも思っている。が、できてはいない。100個くらい書くと、わたしが何を好きだったか思い出せて、それはわたしがわたしを思い出すような感じで、心地いい。偏愛だけでなく最近の関心ごとも混ぜたので「死刑制度について考えること」とかも一覧にあって物騒だけど、考えることは好きなので嘘ではない。「僕の思考は自粛しない。」このコピーが心に沁みる。
久しぶりに田中宗一郎のPodcastを聴きながら作業している。まさにホモソを感じる瞬間も多い番組ながら、女子回もあったり、タナソー自身はやはりアップデートされた批評家であるがゆえに過去の自分のミソジニーさを俯瞰して語ることもあったりと、文化の歴史を歴史として聴くことができる番組ではある気がする。番組自体はそういう感じだとして、今回のテーマ『ポスト鬼滅の刃』で語られた過去のジャンプ話は、「ジャンプならびにその時代の少年漫画(ないしは広げると昭和の少女漫画も)は、日本の男女観を形作った」と強く思わされた。最近も漫画カルチャー界隈で燃えたと思うけど。当時の感覚からすると、作者にも作品にも罪はなかったであろうが、現在の視点からすると、圧倒的アウト感がすごいし、そのままに語ることはNGだなあと強く痛感するのである。漫画も小説も当時の時間を閉じ込めたような世界だから、歴史を修正せずにそのままであってよいと思うけど、読者はそれをすべて受け入れるのではなくある程度批評の視点を持つべきだな、と感じる。最近だと例えば『のだめカンタービレ』の二ノ宮先生も、体罰的表現があるけれど現代では許されるものではありません、と言及していたし、大和由紀の『はいからさんが通る』にしても、現代とは異なる時代背景である、という前提を強調するような注意書きがあったと記憶している。そうあるべきだな、と思う。
しかしやっぱりそういった各論とはまた別で、どの作者を指さして批判する、ということではなく、少年漫画・少女漫画界が過去に描いてきた価値観の功罪は大きいな......と感じる。少年誌と性の目覚めについてPodcastで語られていて、理解できるし、きっと多くの人がそうだったのだろうな、と想像できるが、そこで得た情報と価値観からずっと離れられず現代にまで引きずっているたくさんの有象無象を思い浮かべると、かなり生きづらい。は~~~やだやだ。少年漫画のつくったエロや暴力、少女漫画のつくったロマンスや男尊女卑、変えていきたい。
本題で触れるほどではないんだけど、ATSUGIのタイツキャンペーンの件は本当に残念だった。さらに言えば、示唆が深い、と言えるほどの議題でもなかったことが本当に残念だった。
11月7日(土)
朝起きて資格の勉強やるつもりが全然できなかった。とりあえずバイト2日目に行き、帰ってきてやる。3時間/日が理想です、とか言われたけど、1日3単元、時間半がわたしの集中力のリミットである。
そういえば気づけば仏検までもあと1週間しかなく、え!過去問とか解かなきゃ!という焦り。
11月8日(日)
友人ズと恵比寿のWESTINでアフタヌーンティー!チョコレートのタワーにテンションがあがるけど、食べきれなくなっている身体に驚く。甘いもの続き、食べきれない年齢なのか。
先に社会に出ていった彼女たちとはいつも未来の話をする。勝手に数年後に共同出資で起業することになっているけど、実現するかはまったくわからない。ここに住みたい、ここで働きたい、生活の理想はあふれるけれど、実現性だけはついてこない。でもこの時代に同じ仕事一つだけを続けることなんてありえないだろうし、漠然としていても夢を見られる未来のために資格の勉強を頑張ったり、自分のキャリアプランを考えたりする時間は楽しい。しっちゃかめっちゃかのキャリアプランだけど。っていうか始めてみないとキャリアプランなんて考えたって仕方がない。
11月9日(月)
空白の月曜日。夕方くらいに重い腰を上げて祖母を訪ねる。よくしゃべる祖母の前では全部自分の言葉が引っ込んでしまう。この間叔母と3人で会ったときは叔母が一番会話を占有していて、すごいな、と思った。あの祖母よりおしゃべりな叔母。
11月10日(火)
オンラインで繰り広げられる後輩の卒論発表会を横目にバイトに行った。担当だった後輩のは間に合わず見れなくて残念だったけど。オンラインの発表会は、気軽に参加できるけど、全く没入できないので、何か自分から意見が生まれることもあんまりない、という点で残念だった。オンライン学会とかもきっとこんな感じだろうなあ、と思う。顔の見えない虚空に言葉を投げかけ続けることもずっとむなしいことに思える。だからこそ、そのなかでも他者の顔を想像し、愛を想起し、歌って踊れるアイドルは、すごいなあと思うし、どんな気持ちでいるのだろう。失って初めて気づく、有象無象の持つ力。
ところでアメリカ大統領選、バイデンに落ち着いたみたいだった。よかった。定年超えて体調がたがたの老人に政治を任せることがよかった...とは思わないけど、とりあえずいい方にかわるい方にかはさておき「変化」はありそうでよかった。
11月11日(水)
最近よく夢を見る。ので、どうしてももぞもぞ二度寝してしまうんだと思う。今日は小学生時代の淡い記憶を持っている人が出てきた。今でも思い出すということはいよいよ、好きだったんだろうな、という気持ちになる。なんじゅうねんも経ってはじめて、客観的に自分の好意を認められた。なつかしいなあ。
午後はバイト。昨日はいなかったけど、今日はぐいぐいいろんなことを教えてくれる先輩がいたのでどんどん新しいことを学ぶ。
夜のごはんの予定は、楽しみにしていたけどお友達の体調不良でリスケ。急激に冷え込んできて、もうほんとうにヒーターがないとやっていられないし、朝布団から出るのがいやになってきて冬を感じる。こんな時期だから、体調気を付けないといけないなーと思う。
11月12日(木)
木曜日なので語学学校の日。今日だけが週で唯一焦って起きる日。今日の感想は、「すげえみなさまがたウィーンフィル聴きに行くやん......!」だった。文化力が高すぎる。最近巷で話題になった、なぜかこの状況でもウィーンフィルだけ入国可能問題、さらに言えば音楽に支障が出るので舞台上では絶対にソーシャルディスタンス保ちません宣言、ぜんぶどこかの違う星の話だと思っていたけど、6か月も前からチケット購入していた方が何人もクラスにいて恐れおののく。オーケストラ、こういう客層が足を運びますよね、ですよね。
急いで帰宅して、オンラインミーティングに出る。いつもよりは面白かった。どうやらこれでもう最後、4月までないようだ。重箱の隅をつつくようなことは言いたくないけど、社会人側で出席されたのが男性陣のみ!で、相変わらずだな、と感じてしまう。わたしだったらパリテでキャスティングするのになあ。「女性だから選ぶ」ということはしたくないが(過去たくさん経験してきた)、「女性だから選ばれない」ということもしたくない。
東京の感染者数が300人超だった。
11月13日(金)
昼前に家を出て学校へ行く。珍しく登校日。書類仕事と、図書館に行きたかった。見つけてしまった読まなくていい本を読みつつ、資料を集めたり。就職のために必要な形ばかりの「推薦書」は、復学してからしか発行できませんよーて一度断られたので再申請しにいったわけだが、「新しくはんこもらい直してきてくださいねー」と言われ、ここではハンコ文化が滅びていないのか、形式だけの儀礼はもういい加減にしろ、と思わず思ってしまう。と、いうわけで今日だけでは書類が揃わなかった。また登校しなくてはいけないのか。
ついでに友人の修論のエスキスを頼まれていたので一時間半ほど費やす。惜しいところまでいつも考えられているのに、直前で匙を投げているんだろうなあと思って勿体ない。「問題意識がないことが悩み」といつも言う彼女は、わたしとは全然違う人物で、興味深い。考えて考えて考えすぎてしまい、社会のあれにもこれにも言いたいことが生まれてきてしまうわたしからは、彼女に見えている世界がどんなものか想像するのは難しい。でも何も考えていないわけではないらしいので、余計に不思議。
21時からはブイの配信が見たくて備えていた。よかった。25年続けてきた人たちの代々木体育館。代々木体育館の造形がすばらしいということを何度も何度も痛感しながらも、演出自体も「配信」という形に合わせたすばらしいクリエイションだった。このひと月でたくさんの配信を見てきたけれど、1年目には1年目の、9年目には9年目の、25年目には25年目のやり方があり、背負うものがあり、物語があり、一つとして同じものにならないのが本当に面白いなあと思ったのだった。
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