蝉の声のする町
1か月と1週間を超える大旅から帰ってきた。4日間の休息。まだ旅の途中だけど、どうにもこうにも「帰ってきた」という気持ちが強い。海辺の蝉の声のする町で、小さな甥っ子たちのやかましい声を聞きながら、あたたかい家族の中に混ぜてもらう。窓からは海が見える。昨日はこの町の独立記念日だったらしく港で花火が上がった。湿っぽくない空気と、高台から見下ろすように眺める花火は、日本のものとは全然違う。音も、色も。もっとさっぱりした、「エンターテインメント」に見えたりするものだ。
日本に帰った同期から連絡が来る。無事に自宅についたらしい。日本はどんなだろうか。暑いだろうなあ。雨が降っているのだろうか。台風?こうして自然災害の中にある日本にわざわざ住んでいた自分、不思議な気持ちなる。地震台風津波土砂崩れ火山噴火大雨。「日本には地震があるでしょう?」と、昨日も91歳のおばあちゃんにフランス語で尋ねられた。そうだね、どうしてわたしは日本に住んでいるのだろう。それでも湿った人の多い花火大会が好きだし、あの蒸し苦しい夏の思い出が大事だったりする。
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日が変わって今日は、姉夫婦と1歳を過ぎた甥っ子ちゃんと車で隣町まででかけた。マレ・ステヴァンの建てた別荘。意図せぬ訪問だったけれど、アイリーンがエヴリン・ワイルドと作ったカーペットが敷かれていたらしい。こういうヴィラに、彼女の息吹が宿っていたんだなあと感慨深い。
どうしてわたしは1920年代後半から30年代頭の建物に惹かれてしまうのだろうか。モダニズムの建物は、ただの白い塊に見えることが多くて、内装や家具を取り払われた状態ではディテールと呼べるディテールも少なく、そんなに面白くないと自分でも思うのだけれど、妙な嗅覚が働いて、いいな、と思ってしまう瞬間がある。1年もフランスに住んだくせに、理由は全然わかっていない。かといって30年代後半からのモダニズムは、そんなに面白くないんだよなー。コルビュジェなんかも、ある程度までは面白く見えて、その先はつまらなくなってしまう。(コルビュジェは理論の勉強としてはよいのだけど。。)保存状態うんぬんの問題ももちろんあるけれど。
コルビュジェよりもっと、洗練されていない、迷いのあるモダニズムが20年代後半に現れる気がする。先駆けの時代に、開口を大きく開けて、薄いガラス越しの光が白い部屋に満ち溢れる、そういう、よろこびが、なんとなくある気がする。
Villa Noaillesは、植栽もとてもよかった。糸杉がエントランスの横にすっと伸びていて、空に視線が抜けていく。町を見下ろすテラスに、色とりどりの服をきた人々が座り込み時間を過ごす姿は、きっと100年前も同じようだったのだろう、と思える。
ところで、わたしは20年代の女性のポートレートがめちゃくちゃ好きらしくて、つい目で追ってしまう。史上ではきちんと評価されてこなかったけれど、いくらか自由を切り拓いた彼女たちが、眩しく、自分の世界を悦ぶように活躍し始めた時代なのだろうな、といつも思うのだ。やっと好きな服が着れて、やっと好きな街に旅に出られて、やっと自分のやりたい仕事を始められる。そして、100年経ってやっと評価されようとしている気がする。彼女たちに目を向けたら、持ち得なかった自由の入り口に立っていることに気づく。彼女たちは、よろこびの時代にいたんだと思う。
そこから思ったようには世界は変わっていない。でも、今はなんとなく、小さな火種を感じるのだ。彼女たちがよろこんだ世界を実現するための、二度目の契機に、私たちはいると思う。
22/8/2019
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