#Quarantine 20200522~20200527
いきなりの余談だけどつい最近Quarantaine(隔離、検疫)が「約40日」から来ていることを知った。そしてコロナは隔離期間がほぼ14日(14=quatorze)なので、quatorzaine カトーゼンヌという新しい用語が生まれたらしい。ちなみにこれはフランス語の話。英語はどうなんだろう。
参考: https://ovninavi.com/896-covid-vocabulaire/
(適当に使ってたけど Quarantineが英語でQuarantaineがフランス語だね。)
5月22日(金)
ちょっと論文やろうと思ったけど、なにやったらいいかわからなくなって、Netflixでセックスエデュケーションを見始めたら止まらない。アメリカのドラマかと思っていたけどイギリスのドラマだった。ちょっと不良にみえるけど哲学やフェミニズムに精通している女の子メイヴがめっちゃかわいい。
あっという間にS2見終わった。はやくS3が観たい。
アマゾンで頼んでいた本がいくつか届く。
夜は『鬼滅の刃』を見始める。アニメあまり観ないけど、理由の一つはやたら長いイメージがある、なので、すでに完結したと聞いてチャレンジ。
5月23日(土)
9時から勉強会。ただZoomをつないでミュートして勉強するだけの会。わたしはフランス語を少しやって、昨日届いたアンソニー・ヴィドラーの『不気味な建築』を読み始める。本を読むだけなら一人でやればいい、けど、なんとなく部屋と部屋がつながっているのは不思議な感覚がした。普段気軽に世間話をしていた研究室の仲間たちとこうでもしないと世間話ができない。
ターナー展がオンラインで観られるというので、挑戦。360度カメラで展覧会がおさめられているのだけど、う〜〜〜ん、わたしはこれでは「観た気」にはならないなとやはり思ってしまった。取り組みとしては面白いけど。カーソルをぽちぽちと押す作業と、身体感覚を伴う鑑賞とはやっぱり別物だと思う。はやく展覧会とか行けるようになるといいなあ
展覧会はこちらからどうぞ https://www.musee-jacquemart-andre.com/fr/decouvrez-visite-virtuelle-lexposition (これはこれで、解説が聞けるので、リスニングの材料とかにしよう)
悲しい訃報が届いた。顔の見えない他人がどれだけ好意を持っていても、少数の尖った言葉からは救えないのだと思う。顔の見える、触れられる、手を伸ばせる場所で大切に思ってくれる人が近くにいて、やっと繋ぎとめていられるのだろう。隔離されている今でなければ、体温の通ったやさしさのひとつやふたつが、と思わずにはいられないけれど。
鬼滅の刃はEp8。
5月24日(日)
夜寝るのが遅かったのでいつにも増して遅めの活動開始。
フランス語のテキストを開くも集中できず、とりあえず本を読むことにする。ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』。〈いま〉〈ここ〉というアウラがあらゆるものから剥奪されたquarantine期に読むのは示唆的でおもしろかったし、まさに映像(映画)の編集の話、まなざしの話、奪われたアウラを演者に「スター性」として与えて回復しようとしている話など、今日の今日読む意義があったような気になる(アウラ)。あと本の紙の色と書体がすきです。
夕方自転車でとなりの駅の商店街まで行く。目的はない。有酸素運動。古い商店をリノベした新しい珈琲屋が二軒できていて、ひとつは浅煎り、ひとつは深煎りらしい。今度買ってみたい。自転車屋さんで空気を入れてもらって、帰宅。
夜は、『スパニッシュアパートメント』を観た。
5月25日(月)
妹とともに早起きプロジェクトを決起した。day1。成功。社会人の皆様方におかれましては、ドン引きされるかもしれませんが、今週の目標は9時です。
公約通りフランス語を1時間半。めでたく30日連続学習を達成しました!(たぶん途中1日くらいさぼっているけど...)3日坊主の卒業!これはけっこうな喜びがある。テキストでいうと44/52章まできたので、引き続きもうひと月くらいは続けたい。(語学のテキストをまるまる終わらせたことは人生いまだかつてない。)
ボードリヤールの『世紀末の他者たち』が積ん読になっていたので、もう一度手をつけるけど、通しで読めるほどは読みやすくない。むず。SNSの普及とあわせて、他者を他者として距離を保てる人が希少になってきたのかもなあと考えたりする。現代においては、他者を自己に投影しがちだし、自己の規範を他者に押し付けがちだ。同一(La meme)なんかじゃないのに。
昼ごはんはコンビニの冷麺。コンビニ飯がとても久しぶり。なぜなら、昼ごはんはいつもは食べないから、と思ったけど、いつも朝昼兼用なのだった。9時から活動してるからね、今日。(自慢げである。)
次の次のゼミがわたしの担当なので、予習がてら担当パートまでの文章を読む。最近、構造主義、ポスト構造主義、脱構築、ポストモダンあたりをぐるぐると読み返している感じなので、また出会ったね...という感じ。学びが深くなっているといいのだけど。「わかった気がする!」というふわっとした感覚を積み重ねている。(たぶん完全にはわかっていないし、すぐ忘れる。)併読する本を探さなきゃいけないけど何かな。ロランバルトとかにするのが無難でしょうか。
修論をやる気でいたけど、うっかり資格試験の本を開いたので、ためしにちょっと見てみることにする。(古い参考書をメルカリで買った。すぐに受けるわけじゃないし、新しいのは受ける年に買うつもりなんだけど、2013年が7年も前でびっくりする。古すぎたか?!)3ページやるのにめちゃ時間がかかった。薄めの本、とおもって要点集みたいなのを買ったけど500ページ超ある。っていうか本来なら法令集とかも合わせて20冊セットみたいなのを予備校で買うんだよな。絶!望!(しかも、計画分野は自分の専門なのでまあまあいけるっしょと思ったが、まあまあいけないので調べたりしていて、とても悲しい。わたしの6年とは。ちなみに、構造や環境の人に言わせれば計画分野は知識が茫然としているので勉強しづらいと聞いたことがあるけど、絶対嘘だ。小難しい構造や環境が余裕でできるんだから計画なんてへへいのへいだろ、と思っている。)
休憩がてらテレビをつけたら科捜研の女がやっていたのでつい見てしまう。
散歩がてら本屋さんに、取り寄せた本を取りに行く。取り寄せた本、というと聞こえがいいけれど漫画である。ゼミ用の分厚い図鑑はまだ届いていない。間に合うのだろうか?!
ところで、昨日は隣の駅に自転車で行き、今日は最寄りの駅に行ったわけだけど、こんなに人出が違うのか、と驚いた。リニアに続く昔ながらの商店街の街と、駅ビルを中心とした住宅地の駅。今日のいつもの最寄り駅は、人出が増えたとはいえ、まだ比較的穏やかで、基本マスクをしている人たちが多かった。これが「世間」かと思っていたのだけれど、こうしてみるとやはり昨日の商店街の賑わいはすごい。昨日の商店街はめちゃくちゃ、めちゃくちゃに賑わっていて、商店街沿いの団地やその前にある公園でのんびり座っているおじいさんなんかもいて、とにかく人が多いうえ、道も狭いから密集して見える。(ちなみにマスクしている割合も低かった。6割くらいだろうか...。体感だけど。)
たった一駅だけど、こんなにも違ったのか。わたしも商店街のある街に住んでみたいなあ、COVIDがどうこうということはさておいて。
今日で緊急事態宣言は解除された。なぜなのだろう。なんで?って思っている。
夜は録画しておいた『名探偵ピカチュウ』を見た。
5月26日(火)
日に日に日記が長くなっていく。もっとさくっと書きたい気持ちはあるんだけど。手癖かな。
9時起きプロジェクトday2。成功。ナチュラルローソンで妹が仕入れてきた500円(?!)の高級スープを飲みながらバスサンドをみる。かしゆかが出ていたので。スープは、高すぎ。
定例会+ゼミ。『複製技術時代の芸術』、多木訳があるのか。佐々木訳と言葉の選びが違って困惑。
昼ごはんを食べて、『A子さんの恋人』5巻と6巻を読む。わざわざ5巻取り寄せたんですよ。どんなに言葉にしても足りない。耐えられなくて6巻の前半で感情が決壊する。Aくん。。。Aくん。。。落ち着いていられず、部屋の窓を開けて足を投げ出して読んでいたら蚊がやってきた。もうそんな季節である。小雨が降り出して場所を変える。テラスのハンモックで放心したまま動けない。Aくん。。。
夜。相談があるらしい友人と電話。平日毎日働いているだけで本当にえらいのだから、意識高く土日も暮らせ、なんて野暮すぎる。
5月27日(水)
9時起きどころか7時に目が覚めてしまう。ワイドショーもネットニュースも本当にくだらない。けれど、昨日からいろいろ考えてきて、わたしの気持ちだけははっきりしたし、わたしが大事にしたいものもわかった。15年間、距離感はいろいろあったけれど、でもずっと変わらないものがあった。愛と感謝。勝手に期待して、勝手にがっかりして手のひら返して責めて批判して裁いて消費して、って実際に家族や恋人にするだろうかって考えたら、しないんだよね。わたしがすべきことではない。わたしの役割ではないな、って思う。手を握っていたい。実際には握れないんだけど。手を握っているような気持ちでいるよ。
フランス語を勉強。ここ二日、わずかしか時間が取れていないので明日から立て直したい。
遠隔でアルバイトを請け負うことにした。いかんせん暇なので、自分の存在意義を感じたくて。あと、お金が必要なので。打ち合わせをする。一案件目は緊張する。みくりちゃんが平匡さんの家を掃除に行く初日みたいな気持ちだ。これで採用が決まる、という引き締まる思い。
1時間半ほどで作業は終わり、息抜きがてら楽器屋に電話をしたら時間を言えば予約を取ってくれるということだったので、1時間後の予約をとる。久々の遠出で新宿まで行くことにした。きっと今日はじっと座っていても無理だろうからちょうどよい。2か月ぶりに化粧をしてワンピースを着た。春物のコートがたいして役に立たないまま初夏の気候である。チェロは、魂柱(内部で表面の木と裏面の木を支える、8cmくらいの木の棒。たった一本でなんてことない木にみえるけどとても大事、らしい)が大幅にずれており、どうりでD線のF音がやたらめったらウルフ(ぶいんぶいんって弦が暴れて鳴る音)を鳴らすわけである。あとは魂柱の移動によって表面にわずかにクラックのような亀裂が入っており、膠の接着剤を流し込む修理をお願いした。完全にバキッといっていないので、メンテでどうにかなりそうらしい。よかった。5年間ほったらかされた楽器が哀れに思える。ほんとごめん。加えてペグが歪んで削れて楕円形になっているので、直したほうがいいらしい。1本1000円で4000円。魂柱立て直し1000円、膠3000円、弓の毛替え6000円、税込でしめて15000円ほどである。(高い。けど2万越えを想定したのでなぜか安いな、と思った。でも絶対高い。15000円分練習するのだろうか、わたし)
紀伊国屋とMUJIに寄って帰宅。高架を走る電車から覗く夕焼けがまっかに燃えていて、なんだかしんみりした。
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勝手に期待したのは君なのに、勝手にがっかりするのですか
期待してがっかりして言葉にして消費して
晒したままに去ってゆくのですか
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