考えることを放棄してるつもりはない
それを言われちゃ会話終わりよ、と思う言葉がある。
なにか議題があって意見を出しているときに、「難しいねえ」と言われること。
言ってる本人は終わらせるつもりがないのかもしれないけど、私は「この話題はもう終わりにしよう」の合図に感じている。強制終止符。
先日、ご自身はあまり意見を出さず「うーん難しいよねえ」とよく言う人と話をしていたとき。(Aさんとする)
Aさんの考えと私の考えは違うよ、という方向になっていたけど、Aさんがどうも私に納得して欲しそうな感じだったので、つい「難しいねえ」と言うと、「議論を放棄しないで!」と言われた。「難しいねえって、考えることやめてるじゃん!」と。
正直めんどくさくなってて、もう他の話にしたいなーと思っていたのでハッとした。
私自身は普段、難しいねえは使わないように気を付けているんだけど、その時は話している途中で「あ、この人はいま私を論破しようとしているな」と感じたので一歩引いてみようと思って出た言葉だった。が、捕まってしまった。笑
「議論を放棄しないで」って、あんたが言うんかい!となったんだけども、もしかしたらこの人にとって大事な価値観の話をしているのかなと思った。
放棄されたくない話だったんだなと。
人と話しててめんどうになるときって、
・これ以上話しても平行線だな
・この議題には興味ないな
・そんなこと考えても仕方ないよ
あたりだと思っている。
(3つめは私が人によく言われるやつ)
なので、難しいねで終止符を打つ人ってあまり考えることが好きじゃないか興味ないかだと思ってた。
このかたとは、付き合いは長いけれど深い会話をしたことがなく、正直どうゆう人なのかあまり知らない。
おしゃべりが上手で明るくて楽天的だという印象を抱いていたし、周りからもそう言われているので、失礼ながら物事を深く考えない人だと思っていた。
でももしかしたら、興味関心のポイントがどこかにまとまっているのかもしれない。議題によっては深く話せる人なのかもしれない。私が普段難なく付き合っている人たちと違う世界かも=私の成長の機会かも!なんてとこまで考えが発展した。
期待を込めて。
これからは強制終止符を打たれても、響かない話題だったのかも〜と軽く考えて、むしろ相手から話題を引き出す能力をつけていかなきゃなと思った。
会話を深めていくと相手の意外な面を見つけて、今まで以上に好きになったり嫌いになったり、憧れたり失望したり、自分の価値観がわかっておもしろいなとつくづく思う。
結局、人と話すのは自分のためだな。自分とはどうゆう人なのか?を発見するため。
そしてもうひとつ、価値観や思考についてちゃんと話をしようとするなら、脳が疲れていないとき、せめて夕方くらいまでにやったほうがいいよね。と。
この議論がおこなわれたのは深夜。
私が強制終止符を打ったのは、「もう頭働かないからちゃんと向き合えないよ」という脳からの指令だったのかもしれない。(言い訳)