期待すること、されること。
「期待」って、なんだろう。
いままで割と"言葉"には触れて生きてきたが、
撫でる程度にしか触れてこなかった。
そのため、本を読んでいても、人と話していても、
改めて考えると、言語化できないことが、多くある。
そんな私の、「期待」についてのお話に、ちょっぴり時間をいただきたい。
「期待」すること
私はよく、人に対して勝手に期待をしてしまう。
この人ならこんな素敵な返し方を、
この人ならこれくらいできるだろう、
この人なら、この人なら、と。
そのため、その「期待」を裏切られたときは、
わりと、かなり、ショックがくる。
そのショックを味わう度、相手から一歩引くと同時に、
「もういいや」と、自ら諦めてしまう。
こんなことが続き、気づいたら
「期待」することは悪いことなのかもしれない、と思い始めてきたのが、最近の話。
それでも、
私は人が、動物が好きで、特に、私の周りの人達なんて、もう、大好きなのだよ。
だから、期待しちゃうし、理想を抱いてしまうのだ。
でも、それって、エゴなことなのかもしれないな。
そんなことを、ずっと考えているのです。
そんなとき、「される」側を体感した!
「期待」されること
学校の先生に、注意を受けた。
授業中にコソコソと喋りすぎだと。
そんなこと言われてしまったら、何も言えない。
マジで喋ってたし(笑)
反省♪反省♪という感じだけれど、
それに加えて、
人の話を聞くときのリアクションが無い、と。
正直、私はこれに対しては未だ、納得していない。
その先生は、結構小難しい人だと悟っていたから、
私なりに、うなづきながらメモをとっていたし、愛想笑いだって浮かべていた。
しかし、目つきが悪いのだと。
これを聞いて、いろんな感情がやってきた。
ちゃんとやってたし!?っていう怒りも、
あぁごめん、っていう反省も、
でも何より大きかったのは、ショックだった。
何か、とても、ショックだった。
なんでこんなことが起こったのだろうと、冷静になった後に考えてみた。
そこで出てきた答えが、「期待」だった。
私は「期待」されていたんだと、気がついた。
飯田なら、これぐらいリアクションするだろう、
飯田なら、沢山うなづいて聞いてくれるだろう、
と。
そこで、少し、「期待」されることの苦しさを覚えた。ちょっぴり、ちょっとだけね。
私はこの「期待」に応えたほうがいいのだろうか。
オーバーリアクションだって、沢山うなづくことだって、別に、やろうと思えば出来る。
でも、いつか苦しくならないだろうか。
こうやっていろんな人の「期待」に応えて、
自分を自分で変えていく、抑えていく。
その先の未来が怖くて、
その「期待」から、その小さな障壁から、
また逃げてしまうのです。
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