④出世街道

好きだけど大嫌いな父親

私が保育園の年中の頃、1年弱県外へ出たことがある。
全国展開している着物屋さんで働いていた父親が、出世して転勤になったから。結果的に、私が小学生になる前に母と私だけが戻ってくることになり、そこから父親の単身赴任生活が始まる。

栄転ということで張り切っていた様子だったのは、幼い私でも何となくわかった。でも、友達と離れる寂しさの方が大きかったもの確かなので、引っ越しは嫌だった。
今思えば、結婚してまだ4,5年で離れて暮らすこと、それもいつまで続くかわからなかったことに不安を感じた母の気持ちが強かったんだと思う。

その後、1年弱でははと私だけが地元に戻ってきたかというと、父親のわがままだったらしい。営業職だった父親からすると、会社やお客さんとの付き合いをしていく中で、妻と子の存在が邪魔だったそうだ。多分、妻というより、子の存在が邪魔だったように私は思っているが・・・。

父親が亡くなる数日前に父親から聞いた話だと、このころはファンクラブみないなものがあって、父親と行く着物の展示会ツアーが組まれることもあったとか。そこでどんどん売り上げをあげていったそうだ。
その後も、他の県の店舗へ移動になったり本社へ転勤になったりと忙しくしていた。

もちろんお盆と正月のお休みは無いので、帰ってくるのは1年間に4回くらい。離れて暮らすことに慣れていた私は、たまに帰ってくる父親にどう接したらいいのか、どう甘えたらいいのかもわからず、人見知りをしていた。

ただ、しゃべって人を楽しますことが好きな父なので、父親が家で滞在する3日間のうち、前半はぎくしゃくとした時間を過ごし、最終日は楽しく過ごせたていた。

そんな父親の単身赴任期間中、一度だけ母が泣き崩れた時があった。
ある夜、父親から電話がかかってきてしばらくした時だった。
どうも父親が親しくしていた女の人がいて、その女の人には付き合っている人がいて、その付き合っている人がヤ〇ザであったと。その人から慰謝料を求められている。とのこと。

後に母は、その時のことを「お父さんは私のことが一番やと言ってくれたから許した」と。慰謝料は母のお兄さんが払ってくれたらしく、親戚中がこの話でもちきりだったそうだ。

泣き崩れる母を目の当たりにして観た私は、なおさら、子どもながらに、父親との距離感に慣れるのに、苦労した記憶がある。

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