MyUniverse なんとなくのススメvol.2
少し前、Youtubeを開いた時に何かの拍子でユマニチュードに関するの動画が再生された。
2021年にTBS NEWS DIG Powered by JNNにアップされた動画だった。
特に見る理由もなかったけれど、なんとなくそのまま流して見ていた。
攻撃性が強い認知症の患者が、ユマニチュードによって行動に変容が起こる様子が撮られていた。
ユマニチュードの第一人者イブ・ジネストさんが、攻撃が激しいため手足に拘束具をはめられた患者の拘束具を外す。
ユマニチュードでは原則として拘束をしないという。
ベッドの上で拘束具が外される映像にナレーションが入る。
わたしの中にこの言葉がずっと残っている。
ユマニチュードはフランス語で「人間らしさ」を意味するという。
そのユマニチュードのベースに「動くことは生きること」があるというのがとても興味深かった。
ヤマトコトバの イ は イキル(生きる・活きる)のイであり、行動や動きを意味する。
ヤマトコトバを話す者は、生きることと動くことを同意としてきた。
また、たとえば、「この絵の赤は活きてるね」とか
「こうしたほうがあなたの才能が活きるよ」とかで使う「活きる」もまたイキルであって、イノチを生きると同じ音を使って表す。
肉体のイノチを「生きる」ということと、
その人(もの)じゃなくてはならないことを行使している状態(「活きる」)は同じってこと。
ヤマトコトバでイキルとは、
私がわたしならではの私らしさを、動きとして、表している状態のことをいうのだ。
”動き”には”存在するという行動”も含まれている。
存在することを イル というが
ル とはヤマトコトバで 活動力や行動力、動詞形となる音。
ク(凝縮 凝固 四方八方から中心めがけてキュっと集まってくっつく姿)に ル でクル(来る)
ア(無限のエネルギー 始まり 天=点)に ル で アル(在る・有る)
なので存在そのものは アル 。
その存在にイノチが入り、動きがもたらされると イル(居る・要る)になる。
というふうに
ヤマトコトバには
一音一音に情報があるのだが
書いてみるとわかるように、ヤマトコトバを操る者は脳内で
音(情報)からイメージする/イメージを音(情報)にする
という
左脳と右脳の橋渡しを行っている。
もちろん無意識の範疇で。
右脳と左脳を繋ぐところを脳梁というのだけど
聞いたところによると日本人の脳は、左脳と右脳を繋ぐ回路が他の人種よりも太いらしい。
ヤマトコトバが先か、そもそもそんな脳の構造だったからか
相乗でどちらでもあるのか、わからないけれど、
言語脳の左脳とイメージ脳の右脳の両方を、日本人(ヤマトコトバ環境で育った者)は日常、普通に、使いながら生きてる。
左脳からクルもの→ と ←右脳からクルものが凝集した一点から生まれ、るもの
→●←
を
”情緒”と呼ぶんじゃないだろうか。
情ではなく
情ほどはっきりとしたプロフィールをもっていない
”なんとなく”ふわっと湧き 感じるもの。
情緒。
日本語脳の人は虫の音を会話(情報)として捉えるけれど
単なる情報で終わらずに
そこから、季節を感じ、体感温度すら変わるほどのイメージを呼び起こす。
芭蕉は静けさまでを想起した。
それを 情緒 と呼ぶ。
と私は思っている。
SHOGENさんが伝えてくれたおかげで
今、日本の大切さをたくさんのひとが感じている。
でも、私が言うまでもないことだけど、本当に大切なのは
SHOGENさんもブンジュ村の村長も言っているように
日本語を我がコトバとして話す者の中にある 情緒 そのもの と
それを感じる感性だろうと思う。
なぜ、情緒 がそれほどまでに大切なのか
未来を左右するほど大切なのか
なぜ情緒が アル だけではなく
情緒が イル のか。
私が見ている世界を、これから少しずつ、書いてく。
飛び飛びのカケラになってパズルの様相になりそうだけど
パズルを組み合わせ
出来上がった景色を一緒に見てもらえたら嬉しい。