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要求ばかりはつまらない

‘○○して欲しい
○○して欲しい’
要求ばかりはつまらないね。

‘○○してあげる
○○してあげたのに’
これも押し付け.

こんな関係も悲しいね。


人と関わる以上、自分の意志(希望・期待・自身の主観)があるように、相手にも意志(希望・期待・相手の主観)があります。


私はついつい「○○してくれたらよかったのにぃ~」と相手のせいにしたり、「この間○○してあげたのにっ」と、恩を着せるような感情が動いてしまいがちです。でも、これって、相手はこちらの気持ちには全く気が付いていないこともありますし、こちらは相手のことを思って、「やってあげた」気持ちでいることも、相手にとっては、逆に「有難迷惑」だったかもしれないのですよね? つまりは、相手は必ずしも自分が思っているのと同じ気持ちではないということなのです。

それに気が付いてから、私はできるだけ、この「相手に対する要求」や「相手に無意識に願っている押しつけ的な気持ち」をできるだけ手放そうと意識しています。それは、そう簡単にはできないので、未だにずっと意識をしていないと難しいことなのですが、それでも相手に「○○して欲しい!」と要求するよりも、自分が動けることは動いて、解決できることは自分自身で完結させたり、「○○して欲しい!」ではなく、「○○してもらえたら嬉しいな♪」とか「助かるわ!」という言葉に置き換えるように心がけています。
 そうすると、どうでしょう? 相手も「そうか」と、とりあえず聞く耳を持ってもらいやすくなったりします。きっと伝え方が強い要求から、ぐっとソフトになるからなのでしょうね。
 そして、「○○してあげる」は、自分がしたいからしているのよね?と自問自答して、それなら相手に自分にとって都合のいい期待を持つのはおかしいよね?と言い聞かせます。もっといえば、たとえ相手が期待通りのリアクションを起こしてくれなかったとしても、相手の喜ぶことを想像したり、相手のためになるかと思って、起こしたその行動は、その時に既に、その相手から私自身が幸せなパワー(あるいは時間)を分けてもらっていることになるからです。つまり、結果が応えではなく、その過程こそが大きな喜びの時間になっているのです。

 普段は、なかなかそこまで深くは考えないかもしれません。けれども、時々でいいので、どうして私は嬉しいのか?悲しいのか?不満があるのか?・・・等、ゆっくりその気持ちと向き合ってみると、その気持ちの裏側にある大切なことに気が付く瞬間があるかもしれません。
 そして、要求や期待ばかりの関係性よりも、お互いが互いの気持ちをそのまま、ありのまま受け入れていく気持ちのゆとりを持つことの方が、ずっとはるかに心地よい関係性が生まれていくことを長い年月をかけ、いろんな人との経験の中、ようやく感じられるようになりました。

 互いを認める。自分の気持ちも素直に見つめてみる。これがポイントだと思います。皆さんはいかがですか?


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