国立市・東大、協定調印式の様子(2)
【質疑応答】
(注)質問者は全て「記者」と表記していますが、一人ではありません。また、必ずしも組織所属でもありません。
「今年度、ロードマップの整理を」
記者)協定に至る経緯を。どちらから声掛けをしたかということや、今後どういったことをどういうスケジュールでやっていくのかというところを具体的にお聞かせください。
橋本祐幸・国立市教育委員会教育部長)今年度は、まずスーパーバイザーの予算を議会に認められたというところから始まっています。その中で、小国先生のこれまでの実績、経験、知見というものを生かしたスーパーバイズをお願いしたいという話を、こちらの方からご相談をさせていただきました。
小国先生との協議の中で(スーパーバイザーとしての役割を)ご了解をいただいたプラスアルファで、もう少し発展的に、もう少し大きな視点で、教育委員会と東京大学大学院教育学研究科との間で協定を結べないかという話になり、ここに至りました。
今後ですが、今年度、国立市としてはまずロードマップのようなものを、フルインクルーシブ教育推進のために整理していきたい。小国先生、また教育学研究科のみなさんともご相談をさせてもらいながらやっていきたい。そういうところがメインな予定です。詳しいスケジュールについては、調整をしながら、月に一、二回程度の相談などを考えています。また、市民、当事者、保護者のみなさまともワークショップ的なものもやっていきたい。
フルインクルーシブ教育とは?
記者)「フルインクルーシブ教育」という言葉を掲げている。これは(文科省の言う)「インクルーシブ教育システム」とは違うものであるというふうに、資料の中でもご説明いただいているが、そのフルインクルーシブ教育ということについてもう一度御説明いただきたい。あと、現状とそのフルインクルーシブ教育に至るまでにやらなければならないこと、やっていきたいこと、そういったことを双方にお聞気したい。
雨宮教育長)フルインクルーシブということで、これはもしかすると私個人の見解になってしまう部分もあるかもしれないんですが、国の言っているインクルーシブ教育、あるいは東京都の言っているインクルーシブ教育っていうのが、基本はやっぱり、階層にわかれてるっていうんですかね。通常の学級、あるいは普通の学級があって、特別支援教室があって、特別支援学級があって、特別支援学校がある、みたいな形なんですが、私ども市長は先ほどもちょっと冒頭に申し上げたように、共生というんですかね、「誰も排除しない」、ソーシャルインクルージョンというのが、これからの先々人口減少社会などと言われていますが、そういう中においても、そのことが必要でしょう、というのが第一にあるんだろうと思っています。
そういう中において、市全体がやはり、コミュニティって言ったらいいのかどうかというのはあるんですが、障害もそうですし、先ほど言った国籍であるとかですね、いろいろ性的指向とか、国立は「LGBTQ」のほうも熱心にやっていたりするんですが、そういうことも含めて、みんなが一つになってやっていくんだっていうことが基本にあります。
距離感というお話があったんですが、去年から「フルインクルーシブを語る会」というのをやりだしたんですが、そこに参加されてる方々の距離感はそんなにないんだろうなと思います。
これはもう少し言うと、総論では、「もう全然それいいよね、当たり前だよね」となるんですが、ただ、一方でその各論の部分で言うと、「今、自分の子どもが、特別支援教育を特別支援学級で受けてます。少人数の中で、すごく個別支援をやっていただいていて、すごくそのことはいいです、評価します」とおっしゃっている方々がいらっしゃいます。それは、私もそうだろうなと思っています。でも「みんなが同じ場でそれが実現すればもっといいよね」と思っています。
そこを当事者の方々だとか、それから保護者の方々、それから教職員も含めてですね、「実現するためには、どういう工夫をしていったらいいのか」というのを、「国立のフルインクルーシブ」というような形で、今回、協定を結ばさせていただいたので、アドバイスをいただきながら(進めていきたい)。
正直に言って、かなり時間がかかるというふうに思ってます。私の個人的な見解で言うと「教育長がそういうふうに言ってるんだから、あんたたちやりなさい」って言っても、それは私がいる間はもしかしたら「教育長が言うんだから仕方がないな」と教職員たちもなるかと思いますけれども、それではきっと長続きをしないだろうと。時間はかかるかもしれないけれど、関係者のみんなの共通理解をいただきながらつくり上げていきたい。一歩一歩、その過程を踏んでいければいいのかな、と思っています。
普通学級を「誰もが安心できる居心地のいい場に」
小国教授)フルインクルーシブ教育という言葉は、これはアメリカなんかでも使っていたりする事例があるんですが、やはり日本で言えば、特別支援学校や特別支援学級といった制度は一切用いることなく、すべての子どもがすべての時間を地域の普通学校・普通学級で安心して共に暮らせる権利を保障することなんだ、そういう教育の制度を指しているんだ、と考えています。
現実に、たとえば特別支援学級の方がいいと思っているお子さんや保護者がいらっしゃるときに、それを否定するということではないですが、(普通学級に行く)権利としてはある。これは、こういうふうにできたらいいんじゃないかなという個人的な、まだ国立市とそこで合意が取れているということではないという前提で聞いてほしいと思うのですが、今までは、たとえば健康診断の前に地域の普通学校への就学通知を送ると言っても、実は学校しか指定ができないので、普通学校に就学の指定があっても、実は特別支援学級に行っている事例が結構そこに含まれていたりしたわけです。ですから、そのあたりがもし一歩前に進んで、普通学級に行ける権利が保障されているんだということが、コンセンサスが得られてできるようになるといいなと思います。その上で、たとえば私立学校に行きたいというのと同じような形で、特別支援学級に行きたいというお子さんがいらっしゃった場合には、それを保障していくという形になるんだろうと思う。
ただ、ここの難しいところは、これは国立市でどうなのかってことは私はまだよくわかってない状況ではありますが、実際は特別支援学級に行っていて、特別支援学級がいいんだと言っているお子さんや保護者の中に、一定の割合と言った方がいいんだと思いますが、実は普通学級に行ったときに「なかなかやっぱりこの競争的な環境になじめない」といったことで、実は特別支援学級を選ばざるを得ないと言う方々がいらっしゃると思う。その選ばざるを得ないことによって選んだものを、事後的に「これで良かった」と判断されているといった事例も結構あるのだと思います。そういう意味では、やっぱり普通学級自体が、「誰にとっても安心して学べるような居心地のいい場にどう転換されていくのか」ということ自体が非常に大事なことなんだと思います。
この間、ある統計調査を見てびっくりしたのはですね、小学生、中学生、高校生1万人に調査をしているんですが、授業で分からないときに先生に聞けない子どもが大体、どの学年でもおよそ30%いる。そして、友達に聞けないという子どもも、どの学年でもおよそ40%いるんです。これをもし会社で考えたら、ちょっと考えられないというか…。上司に聞けない従業員が30%いて、同僚に聞けない従業員が40%いたら、その組織はどうかなってしまうのではないか、と思います。しかし、それが全国の普通学級の当たり前になっている。そういう状況で考えると、特別支援学級うんぬんということを抜きにして考えても、普通学級を居心地のいい場に転換するということ自体は急務なんだろうと思います。
いろんな子どもがいることによって、助けたり、助けられたりということが当たり前の環境になっていく。そのこと自体が、誰もが安心できる学級をつくっていく一つの起点になる。その意味で、これはやってみると、意外と多くの保護者からも支持されるような、そういう改革になっていく可能性が十分にあるのではないかと思っています。
雨宮教育長)ちょっといいですか。すみません。今、あの、小国先生がおっしゃっていただいた「誰にとっても居心地のいい場所」。学校っていうのは、そうあるべきだというふうに思っているんです。今の子供たちって、きっと先生たちが「はい、このことわかりましたか」って聞いたら「わかりません」っていう子はあんまりいないと思うんですよ。でも、そこで変な話、忖度みたいなものが入っていて、「こんなことを言ったら笑われるんじゃないかな」っていう意識もすごく強いんだと思うんですよね。そうではなくて、自分の思ったことを、間違ってるかもしれないけれど、自由に言える学級みたいなものをやっぱり作るべきだと思っているんです。学校がやっぱり居心地のいい場所で、自分の言いたいことが言えて、お互いが信頼関係を持ちうる。児童・生徒同士はもちろん、教職員も合わせて、です。そういう場所にしなければいけないんだろうな、そういうことがすごく大事だろうな、と思っています。【(3)に続く】
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