『貧困のなかでおとなになる(中塚久美子著、かもがわ出版、2012年)』を読み終えて
朝日新聞記者である中塚久美子さんの著書『貧困のなかでおとなになる』を読み終えた。
今年2月17日から19日までの、子どもの貧困対策センターあすのばが主催した「子どもの貧困対策レベルアップ研修会2017」に参加した際、講師の一人としていらしていたのが中塚さんで、私は中塚さんの講義を受講した。
新聞記者である中塚さんが、どのようなことを考えて取材をされているのか。取材先に対しては丁寧に取材をされ、しっかり裏付けをとり、また資料等がないようであれば、調べたことから図表などのデータも作成する。そういう中塚さんが、どうして子どもの貧困の問題に出会い、今日まで取り組んでいらっしゃるのか、そういうお話をおうかがいすることができた。冷静でもちろん知的であることはお話ぶりからも推測できたが、ソーシャルワーカーの幸重忠孝さんのお話に涙されていたお姿も忘れない。
その中塚さんのご著書をやっと本日一気に読んだ。
要約はできない。私の色になってしまうので。
ただ、本当に丁寧に取材されたことが伺え、きっと取材された方々も「ただ貧困の現状や対応を聞かれた」のではなく、中塚さんの取材を受け、「いろいろ考えることができた」「これまでの自分を振り返ることができた」と思っていらっしゃるように推測する。中塚さんにはそういう人間のこころの機微をお持ちであると拝察した。
また、安易に貧困のアピールしたり、世間の不安をあおるということではなく、事実やデータをもとに丹念に意見を述べていることも素晴らしいと思った。
あとがきで、子どもの貧困に対する自己責任論を主張されるいくつかの意見が紹介されている。
「家にお金がないとわかっているなら、もっと勉強しておけばよかったのに」「近所の母子家庭には男が出入りしている。福祉制度を不正に利用している」「自分の意思で離婚した家庭に、我々の血税が持っていかれることに納得できない」
私も臨床心理士として、いろいろな方のお話を聴く仕事であるし、いろいろな意見があることにはできる限り理解に努める。また、大学教員として、学生や同僚の教職員もいろいろな考えがあるので、尊重するようにしている。
ただ、私自身は、いろいろなよいタイミングが重なり、いまの生活があることをわかっている。自分が支援を受けざるを得ない立場であったかもしれないし、明日そうなるかもしれない。
子どもの貧困という現象だけが重要というよりも、子どもや大人の抱える生きづらさに対し、当事者の自尊心を大切にした個別的社会的かかわりが大切であることを、この本を読んで改めて感じ考えた。
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