キラキラヒカル オンナハナイタ

子どもの頃、いつも母が絵本を読んでくれた。
母自身が本を読むのが好きな人で、自分も子どもに絵本を読んであげたいと思っていたらしい。

夜、布団に入る時間になると、母を挟んでわたしと2歳年下の妹が横になる。
母自身も仰向けになって、絵が子どもたちに見えるようまっすぐ腕を伸ばして絵本を持ち、読み聞かせてくれた。
ピーターラビットのお話、ぼくは王様、いやいやえん、白いうさぎ黒いうさぎ、ぐりとぐら・・・

文字を読めるようになっても、寝る前に母が本を読んでくれる習慣は変わらなかった。
母の読み聞かせは、歌ったり、声音を変えたり、まるで小劇場のようで楽しかったけれど、一つ不満があった。

寝てしまうのだ。

しかも、母が。

なぜそんなに楽しく読んでいるのに眠れるのか謎だけれど、読み手が寝てしまうのだ。
もしくは途中で夢を見ているのか、謎の登場人物が出てきたり、違う物語になったりする。
そして「もう眠い。明日にしよう」とおしまいになる。


そんなわけで、早くからわたしは自分で本を読むようになった。
読書は、転校を繰り返して生活環境が何度も変わっていったわたしにとって、数少ない変わらず行えることだった。

本の世界にいれば、他に干渉されない。
ずっと没頭して周囲の音が聞こえなくなって、気付いたら何時間も経っていた、なんてことも珍しくない。
寝食も忘れて、手元の小宇宙に飛び込む心地よさ!


もうすぐ中学生、というとき、その本と出会った。
姉の部屋に置いてあった、美しいモザイクのような表紙の文庫本。

「正常の域を脱していない」妻と、「エイズではない」夫。
寝る前のシーツにアイロンをかけることだけを妻に求める夫。
紫色のおじさんと、紺くんの木と一緒に暮らす妻。

わたしの知っていた世界は、もっと明瞭だった。
年齢に対して難しい本や、長い本、日本の本海外の本・・・
同じ学年の中で右に出るものはいないと自負するほど本を読んでいたけれど、こんな不思議な世界は初めてだった。

この夫婦を睦月の両親のように「頭がおかしい」なんて一蹴するのは簡単だ。
でも、違う。

これから本格的に思春期に足を踏み入れようというわたしにとって、夫婦は未知だった。
恋愛も未知だったし、人を大切に想って傷つく心の機微なんて、理解しようにも遠過ぎた。
そして、これが初めての恋愛に関する本だった。

恋愛の要素が含まれる本は読んだことがあるけれど、ここまで愛が中心に置かれた本は手に取ったことがなかった。

この本に出会って、もう20年ほどになる。
江國香織さんの本は栄養源のように次々と読んだ。
あんまり止めどなく読んだので、わたしの心身の支柱になっているんじゃないかと思う。


わたしにとって、江國香織さんの描く女性は、あまりにも魅力的だ。
身近にいたら関わるのを躊躇ってしまうほど繊細で、思慮深くて、まるでシャボン玉のようにはかないようなのに、竹のようにしなやか。
とてつもなく幼いようでいて、それでも決して庇護されるだけの存在ではない。


転校を繰り返した結果なのか、自分のパーソナリティの問題なのか、そういう年頃なのか。
中学生くらいから大人になるまで、わたしは自分が社会のなかでどう立っていいのかがわからないことがよくあった。
普通に楽しく接しているはずなのに、うまくいかない。
「あ、今わたし宙ぶらりんだ」という感覚。

そういうときに、江國香織さんの女性が胸の中に落ちてくる。
彼女たちもけっこう「宙ぶらりん」だ。
でもそんな彼女たちのことがとても好きな自分がいる。
共感はあまりできないのだけれど、愛しいな、と感じる。
「宙ぶらりん」な彼女たちを肯定することで、自分のことも「まあいいか」と目を瞑ることができる。

生きやすくない思春期を生きる時、「まあいいか」は絶対的に必要だった。
「まあいいか」としても生きにくいし、やっぱり彼女たちも生きにくそうだけれど、「宙ぶらりん」で揺れたままよりはずっとマシ。

あの頃のわたしにとって、江國香織さんの本はなくてはならなかったし、その入り口となった『きらきらひかる』は人生を変えたといっていいはず。

多少なりとも成長した今、『きらきらひかる』を手にとってもあの頃のようには読めない。
睦月に対して「人の感情ばかにすんな!」みたいに思ってしまうし、紺に対しても「ちょっといじわるだな」と思ってしまったり。
しかも続編ともいえる「ケイトウの赤、やなぎの緑」も読んでしまったから、このヤローみたいな気持ちもある。
みんな笑子に甘え過ぎでしょうに!!みたいな感じ。

でも、何か(特に人間関係)にぶつかった時に、こういう時に笑子なら(あるいは葉子さんなら、果歩ちゃんなら、ミミなら)どうするだろうと考える。
自分の中で決まった結果だろうと、一緒に考える仲間を得たような、そんな気持ちになってしまうのだ。

#人生を変えた一冊

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