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【自己紹介】朗読家・飯干大嵩(いいぼしまさたか)と申します!

初めまして。
飯干大嵩(いいぼしまさたか)と申します!

noteを始めよう始めようと言ってて、全然始めていなかったのですが、ふとその気になったので始めてみようと思います。

「朗読家」です。

文字通り朗読、つまり文学やお話を読んで、皆さんに喜んでいただくことを営みとしている一介の表現者です。

僕は童話を始めとして、特に決まりなく様々な作品を声に出して読んでいます。
気ままに活動しており、過去には何度か、栄えある賞も頂いた事がございます。

さて。
こうして堂々と名乗ってみるものの、朗読家というのはまだまだ自分が思っているよりも浸透していないし、そもそも朗読、って、どんなもんなの?と思う方の方が多いと思います。

このnoteでは自己紹介の代わりに、
僕が現在思っている「朗読」の在り方についてちょっと書いてみようと思います。



朗読は、多くの場合方も「このお話好き!」から始まると思います。
小説や物語の、この一説が好きでつい声に出して読んでしまうというような。
かなり個人的な感情から始まっていくと思います。

あるいは、役者さんや声優さんが、レッスンや稽古、はたまた仕事などで小説や物語を読むことになり、それから始めてみると意外と奥が深く、しかし楽しくてハマっていった、という方もいらっしゃると思います。

ただそれにしても、目の前に書かれているお話の一説を読む、ということ自体は、極めて個人的な営みであることに変わりはありません。


よく朗読を習っていると、「伝える」ことが大事ということを言われます。
あるいは「感情を込めて!」とか。
これは至極もっともで、人前で朗読をするとなればこういった事が大事だというのは明らかです。朗読論云々の前に、人前で何かをやるとなれば、当然の事として。

ただ「物語」というもの自体は、先に書いたように、本来は極めて個人的な営みだったりするんですよね。
「このお話が好き」。

その、お話が好き、ということは、そのお話に繋がるもの、世界観だったり、人物だったり、そういったものが、自分の心のどこかで響くものがある、ということだと思うんです。
「お話」、というのが、仮に空想だとしても、そこに繋がる自分の心の「なにか」は、空想ではなく本当の事だと思うんですよね。

だから。人は(「人は」って一般化しちゃうけど)。
お話を声に出して読む。

で。

「朗読家」ってはっきり言えば誰でも名乗れてしまうのです。
ちょっとでも、一節でも、声に出してお話しを読んだことのある者なら、誰でも。

俺も、そんな「名乗り朗読家」の一人にすぎません。本質的には。

で。
さらにもうひとつ。

発音や発声が上手ければイコール一流の朗読家、
であるというわけでもありません。
いや、それで人前で朗読させて頂くなら大事なことですが、それだけでプロの朗読家と言えるとは思いません。


プロの朗読家、がもしあるとすれば一言でいうと、

おはなしのこころ

とでもいえるものを知っていて、それを然るべき時に然るべき形で人に伝播させることのできる人、

を僕はプロの朗読家だと思います。

おはなしのこころ、

というのにも色んな形があるのには間違いないですが、
僕はそれは誰でも持ってるものだと思います。
誰の心にもある、いちばん純粋な部分の鏡とでもいいましょうか。

それを、朗読という形で明らかにして、声や言葉でしっかり形作っていく、それが朗読家だと僕は思ってます。
僕もこんなこと言いながらまだまだ道半ばの朗読家ですが、
僕の中での、今の理想の朗読家の形は、こんなところです。




人は言葉で喜び、楽しみ、また言葉で酷く傷つきます。

僕も傷つけたこともあれば、傷つけられたこともあります。

言葉には言霊がある、といいますが、
僕にとってその、人の心と言葉との繋がりの実態というのは、本当はもっと物理的な感触があって、
時には暖かかったり、冷たかったり、
触れれば涙が出たり、また時には微笑がこぼれたり、
そんな繊細なものがあるだろうと思っています。
言葉にできる部分と、できない部分との境は、なかなか簡単に割り切れないものがあるだろうと思っています。
人ひとりの心でさえも、全てを言葉で語り尽くすことはできないし、できると思ったらそれは大変おこがましいことだろうと思います。

そんな不思議さを心の内奥に抱えながら、
それでも生きていくにあたって、
どの人にも必ず何がしかの「物語」を、どんな形であれ作っているだろうと僕は思っています。

それを、すべて白日の元に晒すことが良い事、
だとは思いません。
でも、月並みな話ですが、物語を口で語ってみせることによって、あくまでその人の中で、自分の中にはこんな物語があったんだ、
と思ってもらえるような朗読がもしできたら、それが僕の朗読家としての冥利に尽きるかな、と思います。

僕の話したこれはあまりにも理想を夢見ている気がするので、自分でもこれからあっち行ったりこっち行ったりしながら試行錯誤していくんだろうとは思いますが、
それでも、僕が迷った時に立ち戻るのはこういう事だと思うし、誰もが持ってるかけがえのないものを守っていく、その指標は忘れずにいようと思います。



ただ。
こうお話しながらも留意しておきたいのは、
誰かを傷つける言葉を意図的に使ってはならないということです。

あるいは、一見綺麗に見える言葉でも、その言葉の連なりの中で無意識のうちに誰かを丸め込もうとしたり、都合のいいように操作しようとしたり、そんなことに言葉や物語を使ってしまうことは絶対にあってはならない。
それは強く思います。
朗読って、物語ってそれができてしまうので。

だからこそ、誰かに共有するその以前に、
自分が選んだ物語や言葉で、まずは自分自身が立ち上がること。
自分が今生きてここにいる証として、物語や言葉を自分の足でたって表現すること。
これを大事にしていきたいと思います。


長くなってしまいましたが、
朗読を通して、誰かの未来を照らしだすことの出来る、そんな朗読家を目指して精進していきたいと思います。

きっとマイペースな更新になるんだろうと思いますが、どうぞ宜しくお願いいたします!

2024年8月22日
飯干大嵩

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