学びとは何かの考察
学びについて、頭で考えるのではなく
まずは文字に書いてみようと思う。
荒削りすぎて、これは外に発表するというよりも
私の頭の整理のために書いたもの
でも、とりあえずここに発表することにする。
そもそも学びとは何か?
広辞苑によると
1 真似をする
2 教えを受ける
3 学問をする
とある。
私が思うには、これ学びの説明であって、
学ぶ本人にとって大事なことは、
それが学ぶに値すると思えるかどうかだろう。
学ぶことがこれほど大事にされているのはどうしてだろうか?
それは学んだ結果として、
学んだものが、変化する、成長することが期待されているからだ
ちなみに広辞苑によると
変化
・ある状態から他の状態に変わること
変わる
・物事の性質や中身が前と相違する
成長
1 育って大きくなること
2 育って成熟すること
学問
1勉強すること、学芸を修めること。(武芸などに対して)
2一定の理論に基づいて体系化された知識と方法
学んだ結果として、どう変化したのか
それが大事にされてしまうけれど
学ぶことそのものを学ぶ人がどう捉えているかの視点は欠かせない。
前段階
・学ぶことを楽しみにすること。計画。想像
その最中
・探求している瞬間に、喜びを感じること
終わった後
・終えた後も振り返ること自体が楽しく、経験を踏まえて次への工夫が生まれること
結果として、学ぶことは
喜びの源泉とも言える。
幸せになるためのエネルギーを高めていくこと。
と定義できるのではないか?
だからこそ、学びというのは
「学ぶ内容」「学び方」がとても大事になってくる。
それは、学校や先生が勝手に定義するものでないだろう。
例えば、サブカルチャーだって、社会学として一つの体系を持っている。
多様な学びとは、当然、これが学びですと、誰かが外から一方的に決めつけるものではなくて、学んでいる主体が判断するものである。
一方で、問題点は、学びとして、学ぶに足りるかどうか、外から判断されがちなので、学んだことについて、こういう学びがあったと実証していくことも大切である。
もちろん、学びは、子供たちだけのものではなく
生涯が学びである。
・興味のあることは尽きないという無限の好奇心
・変化の激しい時代だからこそ、温故知新
でも、ただ流行に流されるだけでは、単なる消費者にしかならない。
そういう意味では、ピアジェの発達モデルは有効である。
・多様な学びに興味を持った理由
・高校までのいわゆる受験勉強に代表される学びがつまらなかった。
・一夜漬けの勉強で終わった。
・単位を取るための勉強
・かといって、大学で学問を深く追求したとは思えていない。
・社会人になってから、語学を学ぼうと思っても、学びきれていない
・仕事では成果を出せても、自分で自由な時間を与えられると、だらだらと過ごしてしまう
・性教育が知らされていないで、困っている人が多くいるように
自由に学ぶことが、後回しにされている。
・先送りの教育。大事なことは、今勉強すること。
・学ぶことの意味をずっと考えないままに、卒業をしていく
なぜ、公立学校の先生は給料をもらえるのか?
給料をもらうに値することを、本当に子供達は受け取っているのか?
・国家による教育に、絶対に外してはいけない視点があるのではないか?
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