先の大戦が始まった日
三島由紀夫が危惧した無機質で空っぽで豊かな日本社会はもう豊かでもなくなり、
当初の予言はとっくに体現され、それ以上に本来の姿を忘れ去ろうとしている。
創世神話の中に建国理念の大本があるのはどの国でも同じ。
それは遠い過去に消え去った。
言い換えると神話からの神々の支配の時代が終わり新しい貨幣支配に変わったからであろう。
人民を支配する道具として神の脅しから、経済(貨幣)の脅しにシフトしていったのである。
しかし今は21世紀、すれっからしの現代人は、もめごとは起こさないが、多くの極めて頭の良い現代人たちは、
流行歌にあるように支配からの卒業の時期に来ているのだと思う。
世間にあふれる支配のための虚偽、欺瞞。
そしてそれを見かけ上、正当化するのための情報。
歴史を学ぶにつれて眉に唾する唾も涸れ果ててきた。
多くの人々がその違和感に気づいている。
ならば21世紀にどのような支配からの独立が必要なのか?
問い続けている。
善悪を評価しない鍛錬を続けてきたが、発信をすることの必要性もあるのだろう。
現在の閉塞した社会の空気を受け入れながら、人の真の独立を目指したい。
※以下 三五館 濱田政彦著 ※写真はチリ日食第三接触
“神々の軍隊”三島由紀夫あるいは国際金融資本の闇 帯より
三島は歴史上の反乱者が見せる“狂気”に注目した。
天皇から「神話」を剥ぎ取り、日本を西欧の模造品(レプリカ)に改造しようとした者たちが、驚愕し最も恐れたのは、国の骨を豊かにする天皇を守る者たち、すなわち、“神々の軍隊”の武士道的狂気であった。
日本史における最後の“狂気”を、彼は二・二六事件の中に見たのである。
そして新世紀、日本を「日本」たらしめてきた神話が、完全に打ち捨てられようとしている…。
明治二十五年に始まったナオのお筆先は、
弱肉強食の植民地支配を是とする欧米列強の金がすべての風潮に染まりゆく日本人を激烈に批判するものであった。
大和魂を捨てたら日本は滅びると。
二・ニ六事件の決起は、大和魂を取り戻す絶好の機会だったが、
結果は惨敗。日本は戦争へと突き進み、言いようもない艱難辛苦を味わった。
国体は、神話である。しかし、すべての民族を民族たらしめるその精神の中核は何かと問えば、それは神話である。
世界は今たった一つの神話が、他の全ての神話を死に至らしめている。それは、貨幣神話である。
日本をかつて戦争に駆り立てたのも、それもまた貨幣神話である。
出口ナオは貨幣神話を邪神、悪霊と呼んだのである…
神々の軍隊とは、その國體を護ろうとする人々のことをいう。
天皇(現人神)は太陽だ。いまその周りには天皇を縛り付け利用しようとするスモッグが取り囲んでいる。
スモッグを払わねば。そうすれば、太陽は再び輝きを取り戻し、すべてがよくなるのだ-------
神々の軍隊として決起した二・二六事件の青年将校、そして三島由紀夫。かれらの魂の振動は、
それ以前に大本教を起こした出口ナオのお筆先とも同じものだった。
神々の軍隊の一人だった三島由紀夫の市ヶ谷の自衛隊乱入、そして自害の本当の意味を知るものは、
果たしてどれほど居ただろうか。神々の軍隊が限りなき思慕を寄せる天皇は、果たして本当に太陽として、
神々の良き原理を体現しているだろうか?神々の軍隊の聖なる敗戦は、今も続いている。
※注 統制派と軍産複合体に支配され、無謀な開戦へと導いた旧帝国陸海軍指導部は決して神々の軍隊ではありません。