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54.歌を歌おう


出てくる人 : 
ロミ子、安田、吉岡くん

 コメディは『?!』も太字も『♡』も出し放題で楽しいです☺️

◇ ◆ ◇


 カウンターとボックス席が二つの小さなスナックの一席に路海はいた。
 隣にいるのはいつもの強面大男、鉄人吉岡健一ではなく、その幼なじみ、夜の男安田康太である。

 路海のミニドレスは上等のベロア、見事なワインレッド、エッジの効いたパンプスも同色で、彼女のやや血統的な日本人離れした佳容にこれ以上なく相応しかった。華やかな栗色の髪の先がふわふわと軽やかで、夜の人々の肌を一層妖艶に見せる抑えられた照明を照らし返す瞳の底はチラチラ緑色に翻る。輝く太もも、膨らんだ胸、おすまし顔で黙っていると、人々が圧倒されて沈黙せざるを得ないほど綺麗な顔の路海の苗字が吉岡に変わってからまだ季節は一巡していない。

 薬指を守る銀色の輪の輝きも初々しい。
 そんな、見たまま『新婚さん』を連れてきた安田康太に、無論、夜の蝶と酔客たちは嬉々として絡んだ。

「ちょっと!!!ねえチョットこれが!!こちらが噂の!!あのケンちゃんの??!?!アタシたちのケンちゃんの新妻?!!?!お新妻なの!!?!?」

「そお〜〜〜!!!あたし達のケンちゃんのお新妻ヨ〜〜!!」

「いやだあ!! やっっっだわっっっか!!わかあああい!!みってよこのオッパイ信じらんない光ってる!!ねえアンタ何歳?!小5?!ねえ!!やだ見てチョーうける真島ちゃんが拝んでるわヨォ!!!」

年増トシマとオカマに囲まれて死ぬのは嫌だったから拝むくらいはしなきゃ」

「ナニをうまいこと言ってんのよ千葉のコンクリートにしちゃうワよあんた!!!ヤダいっくらケンちゃんがれーくん以上のロリコンヤクザでも小5はないわョ中2よねえ?!!?!」

「やだウチ未成年に酒なんか出さないわよ健全店なんだからおバカあんたねえジュースのむ?!ジュース飲むわよねえ??!?!」

「はい」

「良い子のお返事〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 『はい、せーの! カンッパーイ!』と声をそろえた夜の蝶(蛾)に囲まれて、路海はとりあえずオレンジジュースを掲げる。アルコールが飲めないわけではなく、むしろしばらく水商売で生計を立てていただけあってそれなりに強いのだが、アルコール自体が好きではないのだ。果実酒をジュースで割ったもの程度なら時々飲むが、ウーロンハイだの水割りだのはもう飲みたくない。このスナックに入るまでに、安田に連れられて何軒かハシゴをしている路海だったが、彼の配慮によってひたすらジュースばかり飲んでいた。
 どこの店でも酒を割るために柑橘系のジュースは常備されており、いずれも安田の勧める店なだけであって味はよかった。まあごアイサツ・・・・・くらいは付き合いなさいヨ、とビールの一杯を出されはしたが、それを飲みきらなくても、安田康太は決して怒ったり不機嫌になったりもしない。馴染みの店をぷらぷら、人妻ロミ子を連れて楽しそうに飲み歩いている。

「カ〜ワイイ。お新妻ちゃんは、なんてお名前なの?」

「吉岡ロミです」

「ッカア〜〜〜!! 21世紀の名前〜〜〜〜!!!」

「わかる〜〜〜〜〜!!!」

 カウンターの中のママが女性なのか、それとも安田康太と似た系統の男性なのかは路海にもイマイチわからなかったが、とりあえず似た畑の生き物ではあるらしくテンション高くやりあっている。
 路海は隣の席の『真島』と呼ばれた中年男性から果物の盛り合わせをご馳走になりながら、吉岡なにしてるかな〜、と呑気に思っていた。

 そもそも、なぜ過保護の吉岡健一が路海に同行していないのか。
 実のところ、最初の店では一緒だったのだ。
 路海が夜遊びに興味を示したため、吉岡は色々と考えた結果、幼なじみの安田が関わる飲食店に連れていった。席にドレスを着た可愛い女性、顔の綺麗な男性、それからスーツを着た安田がついて楽しくやっていたのだが、吉岡が用足しに離席した隙に、安田がニヤリと口角を上げて路海に囁いた。

『ロミ子ちゃんサ、あたしと・・・・一緒に夜遊びしましょうよ。』

 それで、さっと手をとられ、路海は夜遊び用の服を着て、夜の仕事に一番映える瀟洒なスーツを着こなした安田と一緒に、吉岡には内緒で、店を抜け出したのである。席に戻って『あの野郎!』と巨大怪獣さながら炎を吐いているであろう吉岡に追いつかれないように、二人は店を転々とした。
 路海が働いていた寂れた漁村とは異なり、ネオンも電灯も人の瞳もドレスもアクセサリもキラキラと輝く都会の夜。アルコールが、タバコの煙が、知らない国の言葉が、明るい笑い声がくるくる、目まぐるしく踊りながら混ざる賑やかな夜。熱気が籠る繁華街の中心を、夜遊びに誘い出した安田康太は泳ぐように歩いていく。眩い鱗の魚、あるいは、色とりどりにきらめく翼を持つ鳥みたいに綺麗な男の人。絶対に路海が迷子にならないように、でも、幼なじみの大きな背中を慮って、恋人繋ぎには決してしない、冷たい手をした男の人。

「それにしてもさァ、ケンちゃん今頃真っ青になってんじゃないの? こんなカワイイお新妻チャン拐ってきちゃって、コーちゃん今日が命日じゃないの? 辞世の句の代わりに一曲イッとく?」

「吉岡、私のこと全然見つけてくれなかったらどうしよう?」

「あ〜、ダイジョブダイジョブ! あのロリコンヤクザがロミ子ちゃん見つけられないワケな〜いじゃないのよぉ!! 命より大事にしてんだからあのイカれロリコンは!! 十三も年下の小娘イイ子イイ子で囲っちゃってさァ!!! 法に触れてないだけの性犯罪よ!! まあ今見つかったら間違いなく今日が」

「あらいらっしゃ〜い」

「あっ吉岡!」

「よう康太! 言い遺すこと、無いよな!」

命日ね!!『異邦人』入れて!!

「ハァ〜イ1曲400え〜ん! 香典がわりにおごっちゃう♡」

 額にうっすらと汗をかきながら、爽やかな笑顔で現れた吉岡健一の太い腕が伸びて青ざめた安田の肩を力強く掴む。隣で聞いている路海の耳にも『ミチミチ』という嫌な音が届く。安田が哀れっぽく『死ぬ前に一曲』と懇願しているが聞き入れられる様子がない。

「ロミ子もおうち帰ったらお話・・あるからな〜♡」

「う……」

 強面からの『♡』が形容し難いほど怖い。
 安田は既に落とされており、久保田早紀の『異邦人』のイントロが流れ始めている。路海は物言わぬ塊になった安田の手から咄嗟にマイクを取り、『100点取ったら許して』と勝負に出た。カウンターのママと真島から『おお〜!』と拍手が沸き起こる。吉岡健一は、路海が寝室で一番怯えるやり方で浅く首を傾げ、にこっと笑うばかり。これは本当に頑張らないと今夜が怖い。百叩きで済むとは思えない。

 路海は決死の覚悟で歌い始めた。


 圧巻とはまさにこのこと。
 路海は耳が抜群に良く、楽譜も頭に入っているからまず音を外さない。ファルセットもビブラートも完璧ときたもので、挙げ句の果てには宮本浩二カバー版のシャウトまでやってのけたものだから、安田も驚きのあまり息を吹き返した。
 外まで聞こえていたためか、客が興味本位でワッと入り、路海はリクエストされるがまま『喝采』まで歌い上げ、その日の晩の売り上げに相当貢献し、酔客達からたくさんのチップを貰って、吉岡健一と手を繋いで帰宅した。

「お小遣いいっぱいもらった……」

「よかったなぁ。さすがロミ子だよ。おまえ、ピアノだけじゃなくって歌もうまいのかよ。すごいなあ」

「えへ……」

 えらいなあ、すごいよ、かわいいね、と浴室で抱きしめて優しく撫でてくれる夫に、路海はすっかり油断して甘えており、

「ところで、100点じゃないのが一曲あったね、ロミ子。」

 この台詞が意味するところをすっかり忘れていた。
 さーっと額が冷えていく。

「あ、天城越えは難しいんだよ! 転調が……うわ、まって、吉岡、ご、ごめんなさ……わー!」

 時、既に遅し。
 
 翌日になってスナックのママから『お手当出すから、よかったらまた歌いにきて』とお誘いを受けて嬉しかった路海ではあるのだが、浴室と寝室で二日はまともに声が出せなくなるほどのにあわされたため、『吉岡と一緒の時にだけ行きます』としょぼくれて返事をする羽目になった。
 
 ところで懲りない安田康太は、もうひとりの幼なじみである鳴川嶺二の妻、葵のことも『夜遊び』に誘い出したことがある。前科はこれで二人。それから十数年後、彼自身も藤崎春子を妻にもらい、吉岡健一と鳴川嶺二から『意趣返し』をされ、夜の街をひっくり返して『春ちゃんどこ行ったの?!』と大騒動を起こすことになるのだが、腹心の塩崎直哉をして『自業自得です』の一言に尽きる。



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