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「優しい風」のその先へ(違和感マガジン#01)

「違和感」について書くnoteやってみようぜと誘い、「あー、まぁいいけど」と生返事を返してきた友人釈迦が、当の発起人の自分よりガンガンnoteを更新しているのを目の当たりにして驚いています。
どうもまんじゅうです。

交換日記的な感じで相手のに関して意見を書いたり、そこから派生した違和感を書いたり、時に脱線したり、時に喧嘩したり、海に行ったり桜を見に行ったりしようね…なーんて言っていたけれど彼が意外にもたくさん書いているので何について返そうかなと迷っている。

まぁとりあえず最初に書いていたこれについてアンサーを返そうかな

釈迦とは大学時代に知り合ってもうかれこれ12,3年の付き合いになる。
大学を卒業してからも就職先が一緒で、社員数計4人という弱小設計事務所だったので毎日朝からほぼ終電まで一緒に過ごしていた。
あまりにその女社長と飼っている犬が嫌いだったので自分は勤続4年目の中頃でなかなか大変な案件を釈迦に預け、颯爽と設計事務所を退職した。

あの案件はなかなか大変だろーなー

と思いながらも釈迦は優秀だし、寡黙にガシガシと進んでいくタイプなので大丈夫だろうと思っていたがいつの間にかうつ病になっていた。まぁそのことが直接的原因かどうかはわからないし、この日からうつ病になりました!なんて一線が引けるものでもないのだろう。

実際のところこのnoteを始める少し前から釈迦とは週一電話でものすごい抽象的なことを2時間くらい話し合っていてなかなか元気そうだ。
多分あいつはうつ病だと嘘をついているんだと思う。

そんなことはさておき釈迦が書いた事でビビっと自分の違和感感知器が発動したことがある。
それがここ

違和感は疑問が生まれる前の生理現象で、感情が変な感じを察知している段階なんだと思います。よく先生や親から言われる「余計なこと考えなくていいの」は違和感を遮断させ、疑問を持たせなくする言葉だと思います。
世の中でうまくやって行くためのスキルですが、下手すると感性というアンテナをもぎ取られているのかもしれないですね。

(「違和感は疑問が生まれる前の生理現象」だなんて、こいつなかなかカッケー事書きやがる)
そう。
たしかに僕らは生きていく中で「余計なことを考えなくていいの」あるいは「目の前のことにだけ集中すればいい」とよく言われる。

これらの言葉は大抵の場合柔らかい、優しい口調で言われる。
いいんだよ
だいじょうぶだよ
無理しなくていいんだよ
優しくて、甘くて、一見体の力が抜けてリラックスできそうな感じがする。

でもどうだろうか。
これらは実際の話、強靭な精神力を持った強者だけが成せる技だ。
「余計なことを考えず」に生きていけたらどんなに楽だろうか。
「目の前のことだけに集中して」いればどんな偉業が成し遂げられただろうか。
自分の前にはいつも余計なものが割り込みしてくる。
あー、なんか書かないとなぁ
と思ったと同時にyoutubeのお笑い動画が割り込みしてきたり
よっしゃ!脚本考えよ!
と思った瞬間に消し忘れたエロ動画のタブが視野の外から飛び込んでくる。

いいんだよ
だいじょうぶだよ
無理しなくていいんだよ
これらの言葉は優しさの皮を被った化け物だ。
さも正しいように聞こえて、言われた方は余計に気にする。
こっちだって余計なこと考えたくて考えてるわけじゃねーんだわ!!と一発ぶん殴りたくなる。
こんな言葉は実際は何も考えていない奴が使ういかにも「優しい風」な「その場にあってる風」な言葉だ。
「手作り風カレーパン」は手作り「風」なだけで、実際は100%機械生産だ。

こんな文章を書いていて、且つ文章で一円も稼いでいない自分が言うのもなんだけれど一応は物書きとしての自覚を持って、誰かに投げかける言葉には最大限気を使いたい。

ちなみに釈迦がうつ病だと聞いたとき自分は
「まじかぁ」
と言った気がする。
誰かに投げかける言葉には最大限気を使わなければいけない。

でも思い返してみると、その場で使うのに適しているっぽい言葉でその場をやり過ごしたなーって思うことが結構多い。

例えば彼氏と別れた女の子がいて、自分ともう一人の男友達で慰める…的なシチュエーションで「まぁいつまでも悩んでないでさ、時間は限りがあるんだし、次行こうよ次!!」「男なんて腐る程いるんだからさ!ほら、ここにも二人www」そんなありがちな言葉でその場を過ごしていた。
というよりむしろ俺たちは良い事言った、元気づけてあげた、そんな具合に悦に浸っていた部分すらあった。

その時彼女は
「そうだよね、時間もったいないもんね!あたい頑張る!!」
と笑顔で言っていた。
でも、あの笑顔は本当だったのだろうかと今になって思う。

はたして彼女は笑いたかったのかだろうか。笑顔にさせたいのは自分たちだけで、本当は彼女はもっと悲しんでいたかったのかもしれない。
諦めんなよ!そんなんでいいのかよ!好きじゃなくなるまで好きでいたっていいんだよ!
そう言って欲しかったのかもしれない。
もちろん答えなんてないし、あったとしても人それぞれ違う。
でも、だからこそ「優しい風」「その場にあってる風」な言葉で済ませてはいけない。
仮にも彼女は外でもない自分に話してくれたんだから、自分はも手作りの言葉でしっかりと返すべきだったんだなと後悔している。

自分は「優しい風」「その場にあってる風」の言葉の先を見据えたい。
美辞麗句の皮をひっぺがして、欺瞞を破り捨てて、本当の言葉を、自分の言葉を伝える。
32歳無職実家暮らしというフル装備で、来るべき時に備えよう。

と、言いつつも女性の相談への一番の回答は「相槌」だそうだ。
現実は虚しい。

釈迦が交換日記形式を無視して荒ぶっているので今後はコメンテーター的なポジションで彼のnoteに意見を書いていくスタイルで行ってみようと思います。

とにかく書くことで気づくことは多い。
今のところ自分にとって「違和感」は「欺瞞」に近いものなのかな…とぼんやり思い始めている。
あまり愚痴や遠吠えみたいになるのもお見苦しいのでなるべくはそうならないようにしたいけれど、とにかくアウトプットしながら自分なり「違和感」の解像度を上げていきたいです。

それではまた〜!!
(マガジン化しました。見てね!!)


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