まあちゃんはね、

どうして私は見返りのない本当の愛を人に与えてあげられないのだろうか。
私を好きでいてくれる都合のいい男とばかり関係を持っては、本気で相手を好きになってしまう前にわざとヒドイことをして壊してしまう。自分が壊れるのが怖くて仕方がないから。

愛し合いたかったのに、自分を愛してくれていたタイミングで愛せない。
そんな繰り返し。上に向かって届きもしない唾を吐いている人生だ。
本当の愛などない。昔からそんなつっぱねたガキだった。

厨二病全開なことを言ったけれど、児童養護施設を出てからというもの、見た目や金や地位で人を見定める人間の周りにいたんだもん。そうなっても仕方ないよな。

大袈裟に言えば、私は小5で住む家を失った。
ママは韓国人で日本に馴染めない人。母親になりきれないいわゆるオンナだった。

パパは”真面目”の逆にいる人。

でも、私はパパが大好きで、今の私の基盤もパパに準じている。

そんなパパは私が11歳の時に死んだ。
それから、児童養護施設に捨てられた私はパパとの思い出と生きてきた。

何か落ち込んでいたりすると、平日なのに学校を休んでディズニーランドに連れて行ってくれたり、引っ込み思案な私によくふざけたことを口にして大笑いさせた。下ネタとかもバンバン言った。友達をめちゃくちゃ大事にしていた。ママが鬱になってからパパは死ぬまで毎日炊事洗濯育児をこなしていたのに私はパパが死ぬ前の日に当たり前のように家のお手伝いなんかせずに寝た。テーブルに手書きで「おいしーのつくったよ!たべてね!」とひょうきんな絵が書いてある珍しくメモをテーブルに残していた。

このメモを捨てた事を私は一生悔やむことになる。

その日にパパは死んだ。


世界の中心がいきなりなくなってしまった。


愛したものが突然消える残酷さが怖い。


大切にしてくれた人を大切にできないで終わる。

それからは自分が生きることで精一杯でロクにパパのことを思い出していては生きていけなかった。忘れようとした。そうしないと自分がおかしくなってしまうのがわかったから。母を見て良くわかっていたから。だから私は落ち着くのが怖い。


起きた直後だけ切なくて苦しくて死んじゃいたい時があるんだけど。

これはいつも与えられた愛から背いていた罰なんだと思う。


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