マンガとドラマ(サーヴァント ターナー家の子守編)
ドラマの感想と共にマンガにおける「アップ」について書きますよ。漫画家志望者、新人の方に言いたい。あなたの描いてるアップはアップじゃないです。
「サーヴァント ターナー家の子守」を観た
AppleTV+で配信されているM・ナイト・シャマラン監督のドラマシリーズ「サーヴァント ターナー家の子守」を観た。
厳密に言えばシャマランは「製作」であって、一部エピソード以外は監督していないようだが、シャマランがこれまで作ってきた映画のテイストがあり、ファンならば必見だろう。
【以下若干ネタバレあり】
ターナー家の奥さん(ドロシー)が仕事復帰のために赤ん坊(ジェリコ)の世話をする子守(リアン)を雇うが、夫(ショーン)はリアンの素性が怪しいと睨んでいる。
なぜならば、彼らの赤ん坊・ジェリコは「人形」で、赤ん坊を失ったショックで精神を病んだドロシーのための精神安定剤のようなもの。ドロシーはそもそも赤ん坊が死んだことを忘れ、人形を赤ん坊だと思い込んでいるのだが、リアンも人形を生きている赤ん坊のように扱うのだ。
しかし、人形はいつのまにか、「生きている赤ん坊」にすり替わる。
ドロシーはもともとアレなので意に介さず、ショーンだけが恐怖する。
この生きている赤ん坊は、リアンがどこからか連れて来たのだろうか。どこの赤ん坊なのか、人形はどこへ行ったのか、というかリアンは何者なのか――
とにかく、オーソドックスな創作をしようという人間には、まったく参考にならないこのドラマ。
何が参考にならないかって、感情移入できるキャラクターがいない。
視点役がおらず、登場人物すべてが怪しく、恐ろしい。
人形を赤ん坊に変えた子守 リアンはまず怪しい。言ってみれば家庭に入って来た怪物だ。(これは以前書いた「SAVE THE CATの法則」の〈家の中のモンスター〉とも言える。)
奥さん ドロシーは赤ん坊を失ったショックで、言動が読めないキャラになっていて、当然怖い。
そんな二人に挟まれる夫 ショーンも、怪しいと睨んだリアンを監視するため、当然のように部屋に監視カメラを仕込んだり、彼もまたどこか理性のネジが吹っ飛んだ人物だ。
そんな夫婦と子守の状況を、ドロシーの弟 ジュリアンが見守るのだが、こいつもまたいつも酒を飲んでるし言動も乱暴だしで、イカれている雰囲気がビンビンする。
(ちなみにそのジュリアン役は、ルパート・グリント。ハリー・ポッターリリーズのロンだ!!)
謎に謎を呼ぶシチュエーションに、感情移入できないおかしいキャラクター達。我々視聴者は傍観者としてただその状況の推移を眺めることしかできず、これは一般的なマンガにおいてはかなり悪手な手法だ。
それでも先が気になって観てしまうのが、シャマランマジックと言うべきか。
(ちなみにシャマランは製作に回っているが、第1話の監督もつとめているらしい。)
嫌がらせか!と怒りたくなる演出が光る
とにかく気になる謎を散りばめ、視聴者の不安を煽るカット割り、何かがこの後起こる……という予感をさせる展開は、スリラー・ホラーのジャンルで言えば教科書的と言っていいかもしれない。
赤ん坊の鳴き声、回転するキッチンシンクのディスポーザー、流れる血、這い出る虫……。ホラーの定番小道具をバンバン散りばめる作戦は、人がいったい何に生理的な嫌悪感を催すか、それをどれだけ不穏なカット割りでアップで映すか。ホラー好きな人なら「来た来た!」と手に汗握る瞬間が多いので、そのあたりはマンガの構図にも多少役立つかもしれない。
ぼくが最初に「嫌だぁぁぁ」とぞわぞわしたのは、最初まったくおかしい様子の見せていない奥さん ドロシーの顔アップだった。
まばたきの少ない目でこっちを見ながら、ぐいぐい喋って来るカットは、大きなテレビで観ると圧が強くておもわずのけぞりたくなる。
この「不穏な圧」で、ぼくはようやくドロシーがどうやら様子がおかしいことがわかったし、シャマランはそういう意図をもって、視聴者に迫る圧の強いアップの構図にしたはずだ。
ぼくは大画面のテレビでこのアップの構図を見た。それでも充分にドロシーの圧は強かった。映画の巨大なスクリーンであれば、異常性が際立っただろう。
でも、スクショを撮るためにスマホでYou Tubeのこの予告映像を見た時、あれ? こんなもんだったかなと少しだけ思った。
余談だが、ぼくはYouTuberの動画が苦手だ。なぜなら彼らは、ドロシーと同じように画面を占領するほどのアップでこっちを見つめてしゃべるから。圧が強くて、俺ずっとアンタと目を合わせてるの無理ですってなる。
ただ彼らは、自分の動画がスマホで観られることを前提に作っていると思う。
スマホの小さい画面なら、アップでも見た目は小さくなるから。カメラから距離を取ると、スマホじゃ誰がしゃべっているかわからないから、わざとアップで迫るような動画を撮ると思っているんだが、どうだろうか。
あなたはこのスクリーンショットを、PCで見ていますか? モニタは大きいですか? それともスマホで見てますか? これは夫 ショーンの顔アップですが、どの程度あなたに迫る「アップ」ですか?
実はこれ、余談じゃなくてマンガの話に繋がるのです。
キミの描くアップはアップじゃない
ちょっと僭越ながら、私の過去作品をお見せします。
これは元相方オオシマヒロユキと一緒に描いた「リボルバー」という読み切りマンガ。
もう20年ほど前になりますが、某マンガ誌に持ち込んだ原稿で、どこにも掲載されず、現在はKDPでKindle版を販売しています。
これを持ち込んだ先で、マンガ編集者に言われた言葉を、記憶を頼りに再現すると、以下のようになります。
編集「ここ、キミらの考えるキメゴマ、印象的な見開きでしょう?」
――はい、そうです。
編集「ぜんぜんダメ」
――!?
編集「キミらの描くアップはぜんぜんアップじゃないよ」
――えぇと、4コマ目と10コマ目が向かい合う、対になるアップのつもりで描いてますけども……
編集「アップにしようとしてる意図はわかる。けれどアップじゃない」
――??
編集「原稿用紙に描いてると、大きいように思うでしょ? でもマンガは雑誌に掲載されるの。B5サイズに縮小される。さらにコミックスになってごらん。新書サイズにもっと縮小される。その時、このコマにアップの迫力があると思う?」
――あぁ〜〜〜〜。
20年前こそ雑誌や単行本のサイズを考え、アップは見栄えをするように、自分の想像以上に大きく描く必要がありました。
では、現在は?
さっきの、映像をPCで見るか、スマホで見るか……の問題と同じだと思いませんか?
スマホ時代だからこそ、アップはよりアップに描け!
私は漫画原作者ですが、仕事がら、他人のネームを見る機会が多いです。
プロ未満の作家さんや、デビューしてほど経たない新人さんのネームを拝見した時、まっさきに気になるのが、上掲の自分の経験に照らし合わせた「キミの描くアップはアップじゃない」問題。
かっこいい主人公が、敵や仲間に向かってかっこいいキメゼリフ言っている時。
かわいいヒロインが、主人公だけにかわいい笑顔を見せてくれる時。
それは相手は敵や仲間でもなく主人公にでもなく、「読者」に対してキメゼリフを言っているし、「読者」にだけにかわいい笑顔を見せてくれているんです。
そんな時、しょぼく小さな絵では、グッと来ませんよね?
それが、これです。
かっこよく「死ね」と言い捨てる主人公の絵が小さくて迫力がない。
(猪原とオオシマの過去の過ちです。)
それが、これです。
「……ダメ野郎」と迫る笑顔が小さく、相手(読者)を見ていない。これじゃ読んでてグッと来ない。
(もう1度言いますが、私とオオシマの過去の過ちです。)
漫画家志望者、新人さんのネームを見る時、いつもぼくは思います。
「キメゴマはもっとアップにしろ! 目線をよこせ! じゃないと読者にグッと迫れない! YouTuberの動画みたいに嫌がらせなほど圧をかけてこい!!」
マンガを雑誌でもコミックスでもなく、スマホで読む時代ならなおさら、気をつけて欲しい。
ちなみに、編集さんに「キミらのアップはアップじゃない」と言われて以降、私がこの大きさだ!と、参考にしてきたマンガがあります。
「Let's!ダチ公」です。
もう一度確認します。あなたは今、この記事をPCで読んでいますか? スマホで読んでいますか?
スマホの人、わかりますよね? 見開き2ページ分の画像なのに、キャラクターの顔が超アップで、「ダチを売るのか!!」と迫って来ることが。
怒りが、悔しさが迫って来る、にらみつける目。
これが、スマホ時代でも通用する「マンガのアップ」のサイズなのです。
「サーヴァント」はシャマラン版精神的「藪の中」
結局、「サーヴァント ターナー家の子守」シーズン10話、ぜんぶ観てしまった。
最初、夫・奥さん・子守・叔父と、誰にも感情移入できず困ったのに、話数が進むごとに登場人物が増え、そいつらも全員、頭のネジ1本抜けてんな!といいうキャラクター。
するとだんだん、最初〈家の中のモンスター〉だったはずの子守 リアンが、一番まともに見えてくるという不思議な現象に見舞われる。
全員どこかおかしいが、全員のそれぞれの立場から見ると、誰が一番おかしいか――その解釈が違ってくる。
まるで芥川龍之介の「藪の中」のサイコ版といった様相で、シャマラン好き以外にはなかなか勧める言葉が出て来ない。
実はぼくはAppleTV+には加入しておらず、加入している友人宅におじゃまして、一緒に一気に観せてもらったんだが、彼も曰く、
「〈隣人だったら嫌な人選手権〉だな」と、出てくるキャラ全員の隣人だったら嫌度を採点して楽しんでいた。
その結果を書くと少しネタバレになりそうだから、書かないでおく。
少なくとも、嫌じゃない人は誰一人としていなかった。
AppleTV+、ほんとにサブスク映像サービスの覇権を握る気があるのだろうか。
参考
ぼく、猪原賽とオオシマヒロユキの初合作マンガ。これを持ち込みして玉砕したが、得るものは多かったし、結果的に他誌でデビューするキッカケにもなった。欠点が多いながらも、今でも自分で好きだと言える作品です。
KindleUltimateなら無料で読めますよ。
ぼく、猪原賽が1年に1度は必ず読み返す少年マンガの“バイブル”です。
昭和時代のマンガですが、Kindleほか電子書籍版が各社出てますので、アップの迫力、圧の強さを感じたい人はぜひ。
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