知らぬ間に、おじいちゃんが亡くなっていた。色んな感情が渦巻く深夜。
こんばんは:)IHAKUです*ニューヨークは、仕事が落ち着き深夜3時。
今日は、凄くプライベートな話になります。
私のおじいちゃんが知らぬ間に亡くなっていました。
知らぬ間って・・・本当に知らない間にでした。
私の家庭は、私が高校1年生の時に両親が離婚。
それからは母と姉と暮らしました。
そして、実は、両親が離婚した理由を今日まで知りませんでした。
先ほど、母の電話で知りました。
当時は、朝から晩まで部活動、家に帰っては寝る。
そして朝5時には起きて朝練。そんな生活で、家族に興味はなく、
離婚問題なんてどうでもよかったのです。
しかし、この10数年で、愛も知ったし、人として成長して、
自分のことを知らないことほど哀れなことは無いなと思い、
ニューヨークと日本で距離もあり、恥ずかしさもなかったので、
素直に、母に離婚の理由を聞きました。
私の両親は、完全に母の家系の方が財力・権力があり、
婿養子のような結婚だったこと、姑問題もあったこと、どちらの親も2人の結婚に対して不満だったこと、当の本人同士2人が愛し合っていたとしても外部の問題で崩れたこと。離婚の理由は、積み重ね。
24歳、今日で、やっと府に落ちたというか、少しスッキリした。
離婚当初は、どうでもよかったし、固定概念で、父の問題だろうと思っていたけれど、実際は、もっと根深い問題だった。
そして、初めて父に会いたくなった。10数年もの間、会っていないのか。
長い葛藤だったな。昔は、父の血が通ってることすら、吐き気がしていたり、昔の自分の名前が本当に嫌いだった。
今なら、きちんと父と向き合えるかもしれない。
そして、父のお父さん、私のおじいちゃんが知らぬ間に、亡くなっていた。
それも結構前に。そんなこと、微塵も知らなかった。
そして、おじいちゃんとの思い出が蘇った。口数は少ないけれど、いつもニコニコしていた、おじいちゃん。正直、小学校くらいから会っていないから、記憶が少ない。だけど、愛されていたことは覚えている。
おじいちゃんの地元は、だんじりが有名。私も小さい頃、よく走ったものだ。
こうやって書いてる最中に、記憶が遠くなっていることに気付き、思い出したくても思い出せない自分がいて、本当にもどかしい。もっと、きちんと会っておけばよかった。死際に、寄り添ってあげたかった。手を握っていたかった。後悔ばかりだ。私は今、ニューヨークにいる。本当は、明日にでも飛行機を取って、会いに行くのが自分の中での礼儀。しかし、ここでやるべきことがあるから行けない。帰国したら、必ず会いに行く。10数年ぶりに会うのが、お墓でなんて、そんな悲しいことがあるだろうか。
私が、もっと早く離婚問題を許して、会いに行っていたら、こんな後悔はなかったのかと思うと、胸が本当に苦しい。
父方のおばあちゃんから、会いたいとメールをもらったこともある。何度も電話もきた。父からメールをもらったこともある。しかし、心の整理ができていない未熟な私は、ことごとく無視を貫き通した。
24歳になって、初めて思う、ごめんなさいと。
モヤモヤしすぎて、でも、これを、誰に話したいとかもないから、
ブログに書くことで、心と脳を整理したい。
今も、泣きながら打っている。おじいちゃん、ご冥福をお祈りします。
帰国したら、挨拶しに会いに行くね。
今日は、本当に私情すぎて、すみません。
それでも、読んでくださった方は、ありがとうございます。
IHAKU