オタク、終わりについて考える

みよちゃんのこのnoteを読んで
久しぶりのクソデカ感情を抱えて
記事作成画面に辿り着きました。

クソデカ感情そのままに書き殴ります←


初めての終わり

みよちゃん同様、私も長いことK-POPのファンをしていて、いまだに懐かしんで曲を聞くことはあります。
好きなグループのCDを買ったりね。
しかし当時のように日本各地、時には海外までも、飛び回って追いかけたりすることはなくなりました。

1つきっかけがあるとすれば中国人の推しが急にいなくなったこと(これがまたすごかった。寸前まで活動してたのに気が付いたらいなくなって、しばらくしたら中国で坊主頭になってた衝撃たるや。もはやネタ)
それと初めての推しが入隊したこと。
一番の推しがユニットから卒業したこと、かな。
虚無感に襲われて何も観る気が起きなかったのは
意外と鮮明な記憶。とはいえ2年以上前←
これが私にとって初めての「オタクが終わった瞬間」

この頃からみよちゃんの記事の冒頭にある「いつまでも、あると思うな 推しと現場」そしてもう一つ、「推しは推せるときに推せ」をオタク信条として生きてきた(?)
行った後悔より、行かなかった後悔の方がいつまでも忘れられないことを身をもって知ったから。
そして、どれだけ悩んでも実際に行ったら後悔なんてしないことを知ったから。
あの時、少し無理してでもあのライブに行けていたら…
あそこに行っていたら…最後に会う機会があったのに…
あの悔しさはきっと一生忘れないなぁ。

後悔しない終わり方がしたい

初めてのオタクの終わりを経験した私はアイスホッケーでは絶対に後悔したくない、と私なりに真剣にオタクしてました←
色んな所に飛び回って時間もお金も使った。

そんな中知らされた廃部報道。
正直覚悟しました。と言うか確信していた。
推しは引退する。
推しの何を知っているわけではないし、理由を言うと気持ち悪いからやめとくけど←
とにかくそう感じたし実際に引退した。

あの日から、来るべき最後の日まで私は後悔しない終わりを迎えるためにとにかく全力だった。

短期間であんなに飛行機に乗ったのは初めてだし、友人と過ごすのが大好きな私が全ての休みを趣味に捧げたのも初めて。
干され続ける推しが氷上に現れたときはアジアリーガーとしての最後の姿を絶対に忘れないと、とにかくたくさん写真を撮って目に焼き付けた。
なんだって出来ることはすべてやったつもり。

最後の日は本当にあっけなく訪れて、もう最後だ、と覚悟して交流会に行った。
(ファン感の時には引退発表してなかったけど(笑)来シーズンもいたらいたでまた応援するだけだ、って思ってたから)
最後に本人に「この先どんな選択をしても応援しています。」そう伝えられたのはあの日まで全力で駆け抜けたからだと思う。
まだできることがあった、って思いがあったら、あの言葉は言えなかったと思うし、あれから今までずっとあの時期のことを後悔した日はない。
沢山犠牲にしたこともあったけど、あの時の私の行動は間違えていなかったと胸を張って言える。

そして、もう一人の推しをさらに全力で応援しようと思えた。
これが三浦選手が言っている「正しい終わりを迎えたものにだけ、新たな始まりが訪れる」だったのだろうな、と思っています。
きっと後悔が残る終わり方だったら私はもうアイスホッケーから離れてしまっていると思うから。
今、推しを推せているのはあの時のおかげだな、と。

オタクは続くよどこまでも

私は本当に根っからのオタク体質なので、これからも色々なものにハマって色々なところでオタクをしていると思います。

でもスポーツ選手には特別なものを感じていて、それはやっぱり終わりが明確であるってことなんだと思う。

必ず訪れる引退の日。
推しのその日を私は悔いなく迎えたい。
これからも応援してるよ!と笑顔で次のステージに送り出せるように。


オタクのクソデカ感情にお付き合いいただきありがとうございました。(笑)
正直推しの引退についてこんなにちゃんとアウトプットしたのは初めてだから恥ずかしいやら切ないやら色んな感情が渦巻いているけど。
noteはその時に感じたことを吐き出す場所にしているからこれでいいとします(笑)
後で読んで恥ずかしくて死にたくなるんだろうな~~~

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