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英霊の言の葉 2 抜粋

靖国に祀られている英霊が遺した言葉を、一部抜粋して月替わりでご紹介。
表記は皆さまが読みやすいように、すべてかな及び漢字表記に変換し記載します。


【あとをたのむ】

海軍少佐 西田 高光 二十三歳 命
昭和二十五年五月十一日 南西諸島方面にて戦死

五月十日
大空に雲は行き、雲は流れり
星は永遠に輝き 久遠にきらめく
空、空

五月十一日
五月十一日の朝は来た。
今より五時間後は心中する。
総ての人よさらば、後を頼む。
お父さん、お母さん、征って参ります。
一生の最後の書。

神雷一轟處 砕敵艦無跡

【最後の手紙 何か宗教の本を送ってください】

陸軍少尉 瀬田 万之助 二十一歳 命
昭和二十年三月七日 フィリピンルソン島クラークにて戦病死

この手紙、明日内地へ飛行機で連絡する同僚に託します。
無事お手許に届くことを念じつつ、筆を執ります。
目下戦線は膠着状態にありますが、何時大きな変化があるかもしれません。
それだけに何か不気味なものが漂っています。

生死の境を彷徨していると、学生の頃から無神論者であった自分が、今更の様に悔やまれます。
死後、どうなるか?といった不安よりも、現在、心のよりどころのない寂しさといったものでせうね。
その点信仰厚かった御両親様の気持が判るやうな気がします。
何か宗教の本をお送り願へれば幸甚です。

マニラ湾の夕焼けは見事なものです。
かうしてぼんやりと黄昏時の海を眺めていますと、どうしてわれわれは憎しみ合ひ、矛を交へなくてはならないのかと、懐疑的な気持ちになります。
兄上、姉上、そして和歌子ちゃんにくれぐれもよろしく。

早々不一
昭和二十年三月五日 瀬田 万之助

【死を前に愛児に告ぐ】

陸軍憲兵曹長 大庭 早志 三十三歳 命
昭和二十三年四月八日 上海にて法務死

勝子よ、お前も生れ落ちたるままにして父の顔も見ずに父と別れることは実に悲しい事だらう。
父もお前の顔を見ずにそのまま別れることは実に哀惜に堪へない。
之も運命だ。

勝子よ、寂しからう。
辛からう。
お前が一人前になった時必ずや 苦労するであらう事を考へるときに 父は さう簡単には死んでゆけないのである。
父が 居さへすれば、お前だけは不自由な生活をさせまいと思ってきたが、之もままならぬ 現在の世の中だ。

父も可愛いいお前があればこそ安心してこの世を去ることが出来る。
お前はお母さんに孝行して立派な人間として又立派な女性として生長して呉れよ。
それが父として最後の言葉だ。
父の今迄にやって来た行為は天地神明に恥ぢないものだ。

この父の気持をよく知って最後の言葉を実行しておくれ。
三月二十三日

【明朝出撃】

海軍中尉 鹿野 茂 二十二歳 命
昭和二十四年四月二十八日 沖縄方面にて戦死

四月十一日 朝
明朝出撃と決定
俺の名前も出た
何をする間もない
心残りは、面会もせず、休暇もなくして出撃すること。
家の人は おそらくこれ以上であらう。
然し これが戦の姿である。

父上、母上、兄上 
ここまで書くと涙が出る。
皆元気でやれ。
後でトランク、荷物が届くと思ふ。
今、それを作っている。

【お母さん!!】

海軍中尉 富田 修 二十三歳 命
昭和十九年九月三日 台湾高雄西海上にて航空殉職

九月二十五日一時半、我一生ここに定まる。
お父さんへ、いふことなし。
お母さんへ、御教訓身にしみます。
お母さん、御安心下さい。
決して僕は卑怯な死に方をしないです。
お母さんの子ですもの。
それだけで僕は幸福なのです。

日本万歳、万歳、こう叫びつつ死んで征った幾多の先輩達のことを考へます。
お母さん、お母さん、お母さん、お母さん!!こう叫びたい気持ちで一杯です。
何か言って下さい。
一言で充分です。
いかに冷静になって考へても、何時も何時も浮んで来るのは御両親様の顔です。
父ちゃん!母ちゃん!
僕は何度もよびます。

「お母さん、決して泣かないで下さい」
修が日本の飛行軍人であったことに就て大きな誇りを持って下さい。
勇ましい爆音をたてて先輩が飛んで行きます。

ではまた。

【兄弟仲よくしなさいよ】

陸軍上等兵 粂野 利雄 三十七歳 命
昭和二十年六月二十日 北支山西省永済県にて戦死

御両親様 
大君の為御国の為に命を捨てるのは、もとより男子の本懐であります。
三河男児、日本男子のこの上ない名誉であります。
わが子の魂が聖恩の下、九段の杜に祀られることをおよろこび下さい。

一枝 
男子一度戦の庭に立つからには、断じて生還は期すべきでない。
夫が潔く一命を君国に捧げることを銃後を護る日本女性の誇りとせよ。
しかしか弱いお前が、四人の子供の養育は並々ならぬことだ。
我が子の為に、お前自身の体をいたはれ。
そしてこうした言葉は、かへって気にそはぬかも知れないが、亡き夫に対しては無理な義理立てはいらぬ。
お前達母子五人のために、最も幸福と考へられる道を選べ。
お前はひどい荒れ性だ。
しもやけや赤切れの手当を決して怠らぬやう。

芳春、千代子、お母さんに心配をかけぬやう早く立派な人間になりなさい。
風邪をひかないやうに、食べすぎをしないやうに気をつけて。
決してけんかをしてはいけない。
四人きりの兄弟だ。
仲よくしなさいよ。
まだ小さくて何も知らない勝秋や行成をかはいがってやりなさいよ。

では皆んな、さやうなら。

【戦地より愛児へ 組長おめでとう】

陸軍伍長 中嶋 正敏 三十歳 命
昭和十三年八月十二日 中支江西省東林街野戦病院にて戦病死

敏彦さん、おてがみ有難う。
父さんはほんとうにうれしくて、何回もくりかへしよみました。
このたび組長になったさうですね。
ほんとうにお目出度う。

あなたが学校からよろこびいさんで家にかへり、組長になったことを、母さんに話した姿を戦地からそうぞうしました。
ほめてあげます。
父さんはほんとうにうれしくて、なみだがにじみました。
また、よみかたの百てんもほめてあげます。
じもじょうずになりましたね。
そのごほうびに母さんからはんごうべんとうを買っていただきなさい。

これからも、ますますしっかり勉強して二人の弟と仲よく暮しなさい。
母さんのいふことをよくきいて、公ちゃんも祐ちゃんもかはいがって下さい。

敏彦さんあなたは軍人の子供です。
学校ででも家ででもたとへかなしい事があっても、めそめそないてはいけません。
男の子はどんなときでも強くなくてはなりません。
父さんのいふことがわかりますか。
父さんはお国の為にしっかり働いて居ますから、あなたもまけずに軍人の子供として強く成長してください。
父さんは近いうちに〇〇の第一線に出動します。
げんきで暮しなさい。
そして公彦や祐介も父さんのぶんまでかはいがって下さい。
たのみますよ。

敏彦よ、強く、たくましく成長あれ。
〇〇にて父より
敏彦殿

-以上 英霊の言の葉 2巻より-

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