釣りの話
最近は定期的に釣りを娯楽として楽しんでいる。自分が釣りを始めたのは中学からで、たまに仲間と自転車で20分くらい漕いだところにある港でチョイ投げ釣りを楽しんだのがはじまりだ。高校を出てから自分は大阪へ行ってしまったので、最近までは釣りどころか買った釣竿もどこにしまったのか分からない状態で暮らしていた。
とはいえ自分自身海の幸は好物であったし、何かきっかけがあればまた釣りを娯楽にしても良いかなと思っていた矢先、親戚の伯父さんに釣りに行こうと誘われ、昨年ようやくフィッシングを解禁した。
釣り場も主に3つほどある中から季節や潮目を判断し最適な場所へ向かい、ただひたすらにカーボンを投げていく。
伯父さんは齢も60を超え、腰が痛いらしいがまだギリギリ現役で仕事をこなしている。人間60を超えるともう先のことはどうでもよくなるらしく、使い終わった針先を岩場に捨てたり、飲み干したポカリスエットの缶を砂浜に埋めたりするので、知らない俺は埋めたポカリスエットの缶につまづき竿を持ったまますっ転んでしまった。
竿を持ったまますっ転んでしまったとき、頭の中は第二の自分を増やさないためにも申し出ようか、ただ60を超えた人間が無敵なのは前職から割と知っていたのでここはひとつ静観し黙って缶や針やらをこっそり回収することでこの件は手を打った。
釣りの醍醐味は釣果も勿論大事だが、何といっても現地で吸う空気である。
伯父の知り合いであるペンキ屋は昔何度か釣りに誘われ、現地の空気を吸う内に持病の喘息を完治させたという逸話があるくらい海は壮大でリラックスの友である。伯父さんには釣りや海で吸う空気、空に流れる無数の星などを教えてもらった。特に星は「これはこぐま座」など指をさし丁寧に教えてくれたが、学生時代理科のテストで範囲に星座が少しでも入ると、てんで駄目になる自分には全くもって馬の耳に念仏だった。
馬の耳に念仏といえば、大阪に住んでいた頃、夜の10時過ぎに友達との集いを終えいざ帰ろうと初見の道をやみくもに進んだらやはり道に迷ってしまった。深夜12時を回った頃にはケータイの電池もなくなり、困った自分は近くにあった交番で道を聞いた。今になって思うが、そのときも何故だか今回と同じようにスイッチが切れ、馬の耳に念仏状態になってしまった。
馬の耳になっては仕方がないので、しっかりと聞いたフリをして交番をやり過ごした自分は当たり前のように今まで歩いてきた道を逆走してしまい、深夜13時には最初の集いの場所へ戻され完全にドツボに嵌まってしまった。後悔しても遅く、恥を忍んで交番に道案内2週目をお願いしようかと考えたが、さすがに道案内2週目は警察という範疇をこえてマジで怒られそうだったので、深夜15時ごろ交番の前を丁寧に平行移動し朝方無事自宅近くで保護された。皆さんも自分の為にしっかり教えてくれる方がいたら、ムゲにしないようにしましょう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?