見出し画像

日記祭日記

 2024年12月8日(日) 晴れ
 夜明け前だしカーテンも閉めたままだからまだ天気はわからないが、きっと晴れているだろうと思う。昨日は内科を受診した。先週末に体調を崩して、薬のおかげで咳が治ったのはいいがまだ本調子じゃない。夜中に一度目が覚めて眠剤を追加した。できれば7時くらいまで眠りたかったがまだ5時。三度寝はあきらめてこのまま起きてしまおうと思う。眼球が痛んで感じるのは乾燥のせいだろうか。季節外れの花粉が飛んでいるというウワサも聞いた。遠足の前の日は眠れないというけれど俺が眠れないのは今日に限ったことではないし、毎日がそこはかとない緊張の連続なのか。

 体温36.6℃。瞑想。心拍が速まっているのを感じる。腰の違和感。咳。遠くにカラスの声。入浴。入浴剤は十和田。図書館で借りた「耳をすませば」のパンフレットを読む。「ボクらの時代」を観ながらカップヌードルラクサ。前髪を少し切る。そして荷物を支度していつでも家を出られる状態。
 "すこやかさとは、庇護のもとでのもろさであるとか、障害のない時代に愛は成立しないとか、皮肉に指摘するのは簡単だ。それなら、もっと強く、圧倒的な力で、すこやかであることの素晴らしさを表現できないだろうか。現実をぶっとばすほどの力のあるすこやかさ……" 宮崎駿 1995年

 この日のために買ったキャリーカートだが、これを引っ張っていくのに慣れない。普段何気なく闊歩している路上の、凹凸や段差が注意の中心になる。10年ほど前にスケートボードの練習をしていた時期があったけれど、そのときの感覚にも似ている。滑らかな路面を見つけると「ありがとう」と思う。車輪も喜んでいる。一枚だと宙を舞うくらいに軽々しいペーパーが、ダンボールいっぱいに詰め込まれたときに現れる暴力的な重さを俺は知っている。多少遠回りしてもエスカレーターやエレベーターを利用したい。湘南新宿ラインから京王井の頭線に乗り換えるルートを頭の中で思い浮かべ、いったんハチ公改札を目指すことにした。

 京王井の頭線で下北沢駅に向かうときはなるべく各駅停車を選んでいる。会場が物理的に、開場が時間的に近づくにつれて、うっすらと緊張している自分が明らかになる。iPhoneでシルヴィ・バルタンを聴く。「Irrésistiblement」。読み方もわからないがフランス語で「どうしようもなく」という意味で、邦題だと「あなたのとりこ」。映画「ウォーター・ボーイズ」で使われていたので耳馴染みがある。なんて美しい曲なのだろうと思う。パートの終わりにだけかかるディレイの深さが気になる。1968年。3分のあいだでキーが6回くらい上昇しているように感じたが、コード譜を見ながら数えてみると最後の最後で1回だけだった。

 会場に着いてまっすぐに自分のブースに向かう。なにか受付とか登録みたいなもの、もっと言えば参加者の顔合わせやラジオ体操くらいはあるかもしれないとも思っていたので、ぬるっとスタートしていく全体の動きに拍子抜けした。ユザワヤで購入したネイビーの布をテーブルに敷き、見様見真似のレイアウトをし終えたタイミングで新木くんが現れた。
 新木くんは今日一日出店の手伝いを引き受けてくれた友人で、そもそも俺が日記祭に出店するきっかけを作ってくれた存在でもあった。2023年4月9日、第3回日記祭に行くというので声をかけてくれたのだ。書店B&Bは移転前から知っていたけれど、BONUS TRACKというこの一帯も、日記屋月日のことも、日記祭のことも、このとき初めて知ったのかもしれなかった。その日もよく晴れていて、アルコールも売っているし、腰かける場所がいくらでもあって、犬を連れてたまたまそこを通り抜けていくだけの人もいた。風通しの良さ、と言ったらもうそれ以上にふさわしい言葉がないのだけれど、俺はたぶんそのときにはっきりとそれを感じて、まさか自分が何か印刷物を作ってそれを売る、日記祭に出店するなんて考えてもいなかったけれど、結果的にそうなった。

 気づいたら11時になって、それと同時にトークイベントが始まって、第5回日記祭が今、開催されたのだとようやくわかった。何かクラッカーのような、運動会で鳴る発砲音のようなものでもあれば気合も入るのに、と思わなくもなかったが今になって振り返ると、そのぬるっとした感じもまた風通しの良さの一部だったのだと思う。出店中にも暇があったらリアルタイムで日記を書いていこうなぜならばこれは日記祭だから、と意気込んで自宅からMac Bookを持ってきていたが、最後までそれを開くタイミングは訪れなかった。書きたいこと、書けることはたくさんあったけれど、日記というものはいつだってそういうふうに書かれるものなのかもしれない。あとになって、いくつもの出来事や匂いを忘れて、淘汰された記憶だけを、まるでそれ以外には何もなかったみたいにして書かれるものなのかもしれない。とにかく楽しかった。

いいなと思ったら応援しよう!