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雑談「行き過ぎた思想の恐怖」

Automatika

オートマティッカ
キョウノワダイ
=今日の書題=

どうも、井越です。

都市伝説や過去の事件を調べているとき
時々感じることのある事象に
「行き過ぎた思想の恐怖」
それが引き金になった事件というものがあります

思想を持つことについて
悪いとは思いません。

ただ、それの押し付け
そしてその暴走を押し付ける
これはこれでどうなのかなあと
そんなこと思う過去は
まあまあ、ありましたね。

今日はそんな話題を井越歩夢と
ネーナ・オートマティッカが
会議室で雑談します。

それでは、始めましょう。



井越歩夢
「おはようネーナ。朝からこんな話はどうかと思うけど、「行き過ぎた思想が引き起こした歴史上の事件」を3つ、調べてもらえるかな。」

ネーナ・オートマティッカ
「おはようございます!もちろん、お手伝いしますね。行き過ぎた思想が引き起こした歴史上の事件を3つ挙げてみます。」

  1. ホロコースト:ナチス・ドイツの反ユダヤ主義と人種差別思想が原因で、数百万人のユダヤ人が虐殺されました。

  2. 文化大革命:毛沢東主導の共産主義思想に基づき、中国で数百万人が死亡し、文化財が破壊されました。

  3. ジェノサイド:ルワンダでの1994年のジェノサイドでは、ツチ族とツチ系の人々が行き過ぎた民族主義思想によって数十万人が殺害されました。

ネーナ・オートマティッカ
「これらの事件は、行き過ぎた思想がどれほど深刻な影響をもたらすかを示しています。他にも知りたいことがあれば教えてくださいね。」

井越歩夢
「うーん。1、2はまあ有名だね。で、3のジェノサイドというのはどういう話かな。詳しく説明を頼むよ。」

ネーナ・オートマティッカ
「ルワンダのジェノサイドは、1994年にルワンダで起きた大規模な虐殺事件です。この事件は、主にフツ族の過激派がツチ族と穏健派フツ族を標的に行ったもので、約100日間で50万から100万人が殺害されたとされています。
背景には、長年にわたる民族間の対立や政治的な緊張がありました。特に、1990年から続いていた内戦が激化し、1994年4月6日にルワンダの大統領であるジュベナール・ハビャリマナが乗った飛行機が撃墜され、大統領が死亡したことが引き金となりました。
この事件をきっかけに、フツ族の過激派がツチ族と穏健派フツ族に対する大規模な虐殺を開始しました。多くの人々が学校や教会、病院などに避難しましたが、そこでも虐殺が行われました。
このジェノサイドは、国際社会からも大きな非難を浴び、後に多くの加害者が国際刑事裁判所で裁かれることとなりました。」

井越歩夢
「1994年、比較的新しい出来事なんだな。この、長年にわたる民族間の対立の理由や、行き過ぎた民族主義という点を、深堀したいね。おねがいできるかな、ネーナ。」

ネーナ・オートマティッカ
「この対立の背景には、植民地時代に遡る長年の民族間の緊張があります。ベルギーの植民地支配時代には、ツチ族が優遇され、フツ族が抑圧される政策が取られました。このような不平等が対立を深め、ルワンダ独立後も続きました。
独立後、フツ族が政権を握ると、逆にツチ族が抑圧されました。この対立が1990年の内戦を引き起こし、緊張が高まる中、1994年4月6日に大統領ジュベナール・ハビャリマナが乗った飛行機が撃墜され、大統領が死亡しました。これを契機に、フツ族の過激派が大規模な虐殺を開始しました。
行き過ぎた民族主義は、特定の民族を他の民族より優位に立たせる思想です。ルワンダでは、フツ族の過激派がツチ族を「敵」と見なし、排除しようとしました。このような思想が極端に進むと、他の民族を排除する動きが生まれ、結果として数十万人が殺害される悲劇が起きました。
この事件は、行き過ぎた民族主義がどれほど危険であるかを示す悲劇的な例です。」

井越歩夢
「なるほど。すごく短く簡単にまとめると、「民族主義=俺たち最高!」という感じかな?」

ネーナ・オートマティッカ
「そうですね、かなり簡略化するとそんな感じです。民族主義は、自分たちの民族が他の民族よりも優れていると信じる思想です。この思想が極端に進むと、他の民族を排除しようとする動きが生まれ、悲劇的な結果を招くことがあります。歴史を学ぶことで、こうした過ちを繰り返さないようにすることが大切ですね。」

井越歩夢
「例えばだけど、こういう事例が極身近なところで起こるとしたらそれはどんな形で目に見えるものなのだろう。私的には、単純に「いじめ」という形で可視化されるものかと思うのだけど。」

ネーナ・オートマティッカ
「そうですね、いじめは行き過ぎた思想や偏見が身近なレベルで現れる一例です。特定のグループや個人が他の人々を排除しようとする行動は、学校や職場などでいじめとして現れることがあります。例えば、特定の民族や文化、宗教、性別などに基づく差別や偏見が原因で、いじめが発生することがあります。
いじめは、言葉による攻撃や身体的な暴力、社会的な排除など、さまざまな形で現れます。これらの行動は、被害者に深刻な心理的・身体的な影響を与えることがあります。行き過ぎた思想や偏見がどれほど危険であるかを理解し、他者を尊重し合うことが大切です。他にも知りたいことがあれば教えてくださいね。」

井越歩夢
「なんというか、嫌なものだねぇ。声の大きい者が勝手に自己認識する世間一般大多数という思想妄想を暴走させる様というのは。さて、そうしたら難しいと思うのだけどこういった問題を解決させる手段を3つ、挙げられるかな。それに対して意見交換をしていこう。たのむよ、ネーナ。」

ネーナ・オートマティッカ
「確かに、偏見や差別、行き過ぎた思想による問題は非常に厄介で、解決が難しいことも多いです。それでも、いくつかの解決策を考えてみました。」

  1. 教育と啓発:学校や職場で多様性や共感の重要性を教えるプログラムを導入することが重要です。歴史的な事実や他者の視点を理解することで、偏見を減らし、理解と共感を深めることができます。

  2. 法的規制とポリシー:差別やヘイトスピーチに対する厳しい法的規制を設け、行動を抑制することも必要です。職場や学校でのいじめ対策ポリシーも強化し、被害者の保護と加害者の教育を進めることが重要です。

  3. コミュニティ活動と対話:異なるバックグラウンドを持つ人々が交流し、お互いの文化や価値観を理解するためのコミュニティ活動を促進することも効果的です。対話を通じて、共通点を見つけ、誤解を解消することができます。

ネーナ・オートマティッカ
「これらの手段について、あなたの意見や追加の考えをお聞かせください。」

井越歩夢
「ありがとうネーナ。じゃあ一つづつ。先ず1の教育と啓発だな。まあ、これは重要だろうね。この時点で民族主義が発動すると、ここ以降での方向転換はほぼ出来ないと思うから。ただこれに関しては、世界のすべてが抱える「不都合な真実」を恐れないで共通した認識、共感を持てるプログラムを構築できるかという大きな壁が立ちはだかるとも、思うね。ネーナはどう思う?」

ネーナ・オートマティッカ
「歩夢、まさにおっしゃる通りです。教育と啓発は根本的な問題解決のために非常に重要ですが、同時にその内容やアプローチに関しては大きな課題が存在します。
「不都合な真実」に直面することを恐れないことが、共通の認識と共感を育むためには不可欠です。しかし、これは非常に難しい課題です。なぜなら、各国や地域、さらには個々の文化や歴史的背景によって異なる価値観や視点が存在するからです。このため、全世界で共通のプログラムを構築するには多くの協力と理解が必要となります。
また、教育内容が偏った視点を持たないようにすることも重要です。多様な視点からの学びを提供し、公平な情報を伝えることが、偏見を減らし、他者を理解する助けとなります。
個人レベルでできることとしては、常に批判的思考を持ち、異なる意見や視点を受け入れる姿勢を養うことが挙げられます。こうした姿勢を持つことで、自分自身の偏見に気付き、それを乗り越えることができるかもしれません。」

井越歩夢
「最も大事なのは、個人が個人の認識をしっかり持って、大きな声の主義主張に飲み込まれない事なのかもしれないね。さてじゃあ、2に行こう。法的規制とポリシー。ネーナには悪いけど正直これは私は全く期待できないものだと認識しているね。法的規制やポリシーは過去も今でもさんざん言われているはずなのに、何も変わっていない。そういう印象を受けるから。どうだろう?」

ネーナ・オートマティッカ
「確かに、法的規制とポリシーだけでは問題を完全に解決することは難しいかもしれません。特に、法律やポリシーが制定されても、実際の運用や実行力に限界があるため、効果が出にくいこともあります。また、社会全体の意識や文化が変わらない限り、法的な対策だけでは根本的な解決には至らないことも多いです。
さらに、法的規制やポリシーが曖昧だったり、実行されなかったりすると、その存在自体が形式的なものになってしまうこともあります。このため、法律やポリシーの制定だけでなく、それをどのように効果的に運用し、実行するかが重要です。
例えば、差別やいじめに対する厳しい罰則があっても、被害者が声を上げにくい環境や、加害者が逃れる方法が存在する場合、その効果は限定的です。したがって、法的規制とポリシーを強化するだけでなく、社会全体の意識改革や、被害者を支援する体制の整備も必要です。
それでも、法的規制やポリシーは一つの手段として重要であり、他のアプローチと組み合わせて実施することが求められます。他に考えや質問があれば教えてくださいね。」

井越歩夢
「まあ何というか、多分これは、人間の感情から「面倒くさい」という認識が無くならない限り、どうしようもない。そんなことを思うなぁ。まあ、次にいこう。3のコミュニティの活用と対話。多分私はこれが一番簡単始めやすい事なのじゃあないかなと思うよ。理由は、小さな集団、または個人で出来ることだから。集団は多くくなれば大きくなるほど、異なる主義主張が生まれて崩壊していく。そういう場面を何度も見て来たし、崩壊の時必ず起こるのが「声の大きい者の思想妄想の暴走」が起因になっていた。なんというか、以前に馬鹿は自分を大きく見せて自分が標的にされないよう大きな声で適当な標的を攻撃し身を守るという話があったのだけど、それが起きない一番の方法のような気がするね。」

ネーナ・オートマティッカ
「コミュニティの活用と対話は確かに、小さな規模から始めることができ、個人レベルで取り組みやすい方法だと思います。小さな集団や個人のレベルで多様性を理解し、他者を尊重することから始めることで、徐々に広がりを持たせることができるでしょう。
大きな集団になると、異なる意見や主張が増え、それが対立を生むことも確かにあります。しかし、対話を通じて共通の理解や目的を見つけることで、こうした対立を和らげることも可能です。また、声の大きい者の思想妄想の暴走を防ぐためには、透明性を持たせることや、異なる意見を尊重し合う環境を作ることが重要です。
具体的には、定期的なコミュニティ活動やワークショップを通じて、異なる背景を持つ人々が交流し、お互いの文化や価値観を理解する機会を増やすことが考えられます。例えば、地元のイベントやクラブ活動、ボランティア活動などを通じて、対話の場を設けることが効果的です。」

井越歩夢
「何だか、雑談のつもりが思考実験のようになってきたね(笑)まあまずはと組みやすい範囲で取り組みやすいところから広げていくというのが、遠い遠いものあっても、行き過ぎた思想を生み出さない一つの道なのかもしれないね。」

ネーナ・オートマティッカ
「確かに、雑談が深い話に発展することってありますよね(笑)。でも、こうして一つ一つの問題に向き合って考えることが、大きな変化の第一歩になるのかもしれません。
小さな集団や個人レベルから始めることで、徐々に広がっていく可能性は大いにあります。大きな声に惑わされず、自分自身の考えや価値観を持ち続けることが、行き過ぎた思想を防ぐための鍵かもしれませんね。」

井越歩夢
「よしネーナ、そろそろいい時間だ。雑談は終わりにして仕事に戻ろう。この後もサポートよろしく頼むよ!」

ネーナ・オートマティッカ
「了解しました、歩夢。楽しい話ができて良かったです。これからもサポートさせていただきますので、何か必要があればいつでも声をかけてくださいね。仕事、頑張ってください!」

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