場の見直しと場づくり
■ まじめな雑談
「気楽にまじめな話をする」ミーティングの場が増えるという事はどんな変化をもたらすのか。
ここでは、ミーティングと会議と区別して「気楽にまじめな話をする場」という意味で使っています。やり取りされる情報の質が変化してくるというのが会議とミーティングの一番大きな違いです。また、ミーティングは会議の比べてやり取りそのものも活発です。正規の会議に乗りやすい情報しか出てきません。
たとえば、
①定型化された情報
②起承転結のはっきりした情報
③定量的情報-などは正規の会議向けの情報
これらの情報は「報告しやすい」「通達されやすい」正確をもっているため会議に向いています。
正規の会議はどうしても「まとめなければならない」ノルマをもっているケースが多い。したがって、まとまりにくい情報を本能的に排除しようとします。
ミーティングの一番の特性はノルマを持たないということでです。
ゆるやかな目標を持つことはあっても、ノルマがないのは気分的に楽なものです。テーマ(課題)を明確にしたミーティングでないわけではありません。しかし、この場合も、ノルマとして課題の解決を押し付けることはしてはいけません。もし、参加者が押し付けられているような気分になったとしたら、そのミーティングは不成功に終わる可能性が強い。
ミーティングの場では、気楽いろいろな話ができます。時には脱線したりしながら、まだあまりまとまっていない考えや、時には気持ち、「こういうことがもしかすると大切な事ではないのか」というような思いつき、とんでもない常識はずれの話など、何がでてきてもおかしくない。脱線すること、発散することは通常の会議ではあまり好まれませんが、ミーティングでは大歓迎です。
それに対して会議での雑談は、
①まったく時間のムダになるケース
②実りのないケースが多く、印象も良くない。
発散する中で出てくる話がみんな面白いわけではありません。
たいていはゴミのようなものかもしれない。しかし、その中には宝が隠されている可能性が高い。
「創造とは、収束よりも発散の中からのほうが種が見つかりやすい」
会議とミーティングで一番大きな差は、そこで生み出されるエネルギーの差です。正式の会議で、終わった後「よし、やるぞ」と思わせるものは少ない。会議は人にエネルギーをあまり与えません。
これに対してミーティングでは、先に述べた特性の為に、エネルギーが沸き起こりやすい状況ができます。
情報は人のエネルギーを介して伝達されます。
大きなエネルギーのあることろでは伝わりやすいし、エネルギーが小さい時は伝わりにくい。
■ 「会議」と「ミーティング」の違い
ミーティングは、自分の担当業務を超えた問題意識を可能にします。
ミーティングは立場やポジションで集まらない為、問題意識の強い者同士が集まり、刺激し合うことが可能になります。(問題意識の弱い者が増えるとエネルギーが低下する。)「改革」や「開発」のように創造的な知恵を必要とする仕事には、ミーティングはより効果的である可能性が高い。
気楽にまじめな場を多く持つには、それだけの時間的余裕が必要です。
<会議>
本質的特性 ⇒ ノルマがある
参加者 ⇒ 立場を背負っている
情報 ⇒ まとまりのある情報
定型化された情報
報告されやすさが大切
<ミーティング>
本質的特性 ⇒ ノルマがない
参加者 ⇒ 比較的自由な立場
情報 ⇒ まだまとまっていない考え、気持ち
思い付き
常識はずれの話
断片的な話
加工されていない生の情報
時間的余裕をつくる一番手近で効果的な方法は、会議と書類の見直しをする事です。というのは、特に管理職の場合、仕事の時間の三分の一から半分を会議にとられている事が珍しくない。そしてその会議の効率がいかにも悪い。
なぜか?一つの会議の中に、目的や要する時間、参加人数の異なるいくつもの会議機能を詰め込むからです。ことに、十人以上の大会議はこの傾向が強い。大人数の会議などによく見られるのは、時間帯によっては、ほんの数人だけが実質的な参加者で残りは傍観者になってしまうという光景です。
しかし、一人ひとりにとってはあまり実りの多くない会議であっても、会議に参加しているというのは立派な仕事であって、自他共に仕事で忙しいという認識をしています。
■ 会議にはどんな機能が内在しているか
(1)「情報伝達」機能
会議がもつ最大の機能であり、大抵の会議はこの機能を持っている
「通達」「連絡」「報告」などもみなこの中に含まれる。この機能を果たすには、参加人数の制限はあまりない。書類上でできる事も多いし、演出をうまくやれば多人数も対象にできる。ただし、時間は短くてもいい。情報伝達の場合、長くやらなければ効果がないというケースは少ない。誤解を恐れずにいうならば、短くても効果さえあれば短い方がいい。
(2)「意思決定をする場」「調整をする場」としての機能
この場合、多くの人数は必要ない。というより、人数は少ないほうがやりやすい。傍観者のような余分な人間は抜きにして、当事者(意思決定能力のある者)だけが集まってやれば意思決定は早くなります。
(3)「セレモニー」としての機能
何らかの課題を社内でオーソライズする為に権威をもつ会議にかけるということはよくあります。予期せぬ議論が急に始まったりして、せっかくオーサライズするつもりだったのものが台無しになるなどということも多いが、こういう会議を通過させるのは、お墨付きを得て社内で仕事を前に進めるために避けて通れない儀式(通過儀礼)なのだ。この機能は、中身自体はそれほど重要な意味を持たないから、儀式としての条件さえ整えておけばよくて、人数は問わない。
(4)「知恵を出す(問題を見つけ、全体像を浮き彫りにする)」機能
ある意味で最も期待されていい機能なのだが、残念なことにフォーマな会議ではこの機能はあまり果たせない。(特に多人数の会議では)というのも、フォーマルな会議の場合はまず課題が多すぎるので、一つひとつの課題に関わる時間はごく短時間に限られている。他にも知恵が出にくい理由はいろいろあるが、この「時間が限られている」という制約だけでもかなり決定的である。したがって、この四つ目の機能は「ミーティング(気楽にまじめな話をする場)」に譲ったほうがいい。
(機能) (参加人数) (必要な時間)
①通達・連絡・伝達 多くてもいい 出来るだけ
短く
②意思決定・調整 少ないほうが良い 少ないほうが
良い
③セレモニー 人数は関係ない 儀式として
必要な時間
④知恵を出す 数名 長くかかる事
を認識する
■ 「まじめな雑談」と「普通の雑談」との区別
「普通の雑談」というのは、どうしても愚痴や評論、人の噂話に終始しがちになります。もちろん前向きの話がでることもあるが、普通に雑談をしていて前向きの話に自然になるというのは、風土・体質の状態がよいことを示しています。お互いに牽制し合って「言いだしっぺは損」と思う人がほとんど、という状態では普通の雑談は後ろ向きになりがちです。
「まじめな雑談」というのを、まだ風土・体質が変わっていない状態でやるには、それなりの条件が必要です。すなわち”風土・体質とはどういうものか”ということを参加者がほぼ共有していることが必要です。
放っておくと自然に後ろ向きになってしまったり、評論家になってしまう心の動きのメカニズムを客観的にみてみんなで共有することで、人というのは意外に前向きになれるものなのです。
では、ミーティングや「まじめな雑談」の中身の質を上げるにはどういうことが必要か。まず、前提になるのが、お互い気楽になれるような雰囲気をどうつくるかという課題です。
① どういうかたちで集まるかということが大切。
上からの指示や命令で集まると、それだけで雰囲気は固くなります。
いつもやっていて慣れていれば、時には上の人が召集をかけても問題はない。しかし、特に初期の頃は集め方が大きな問題になります。
この問題を解決するには仲間うちで声をかける。つまり、世話人的役割を果たす人がいることが望ましいし、条件になってきます。
② 場のセッティングをどうするか。
地位が高かったり、偉い人と思われるような人物が参加している時は、その人を真ん中に座らせない事。偉い人は放っておくと、自然に真ん中に座りたがるものであるから、最初から準備をして端のほうに座ってもらうようにします。
③ ミーティングを成功させる為には、初めから目的とするテーマを大上段に振りかざさないほうがいい。
最初、たとえば「楽しんで仕事をするには」というようなテーマから始めると入りやすい。また、時にはポケットマネーで飲み物を用意したりするのも場をなごやかにする一つの手です。リード(司会)していく人間は、漫才で言うとボケとツッコミのボケタイプがいい。あまりビシバシ、テキパキやっているように見えないほうが望ましい議論の質を上げるにはどうすればいいか。
①参加者が異質である事が望ましい。
たとえば、同一部内の人間だけ、同一部門の人間だけではなく他の人間を入れることが大切。この人物は自分の考えをはっきり言える人である事が必要です。できれば複数そういう人がいるとなおいい。
②これは、と思う本や情報を前もってみんなで共有できている事が望ましい。
できれば風土・体質に関連する情報は共有しておいたほうが、その他のことを話題にする時であっても、実りのある話し合いをするのに効果的です。
場合によっては情報提供をしてくれる人を呼ぶ事も考えられます。