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早くて柔軟な組織

■ 決め方と責任の取り方


「マネジメントとは何か」と言うようなことが「理論的に」様々な形で説明されています。そういう本を読んだり話を聞かせて頂いたりすると、なるほどという点確かにありますが、いかんせん現実味に欠けています。

 マネジメントスタイルというのは、ある意味では人の「対人能力」を表しているわけで、個性や個人差があるのは仕方がない。だからマネジメントの理論として、ああすればいい、こうあるべきだというのは分かりますが、「そんなに理論どおりに全部やってられない」というのが、実際にいろいろ試した人間の偽らざる気持ちではないでしょうか。そういう意味では、いわゆるマネジメント理論というのは確かに参考にはなるますが、それをそのまま実行するのは至難の業です。

 マネジメントの研修などを手がけている講師の中には実際にはマネジメントはあまり得意ではないケースがかなりあります。

 この「理論は分かっているがマネジメントする能力がない」という実態をみても、マネジメント理論というのはあくまで理屈という側面を持つというのが良くわかります。マネジメントスタイルそのものは人の顔や性格が様々であるように無理に理論どおりでなくて多様であっていいのです。

 しかし、仮にマネジメントに今日的なテーマがあって、例えば「早さと柔軟性」が要求されるとしたら、それに見合った原理的なものはあるはずです。「早くて柔軟な組織及びそのマネジメントとはどんなものか」明確に意識しなければならないのは「責任」という概念です。

 組織が機能していくためには人が最も重要な役割を果たすわけだですが、その際「責任」という概念が、人が今日的な組織の一員になって機能するための中心概念です。
 つまり「責任」というものを組織の中で貫徹させ、うまく機能させるにはどうすればいいのか、ということです。

事にあたって責任を感じていない当事者が、ただ機械的にその案件を処理している組織ほど危ういものはない。どうすれば責任を本気で感じられるようになるのでしょうか。

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■ 日本的な物事の決め方


 みんなで合意して、お互いに納得するところまで話し合いを進めていくというやり方です。この場合、納得できるような話し合いができるときはいいが、それができないときは 時間切れになって、仕方なく「とりあえず」「いちおう」決めた形をとっておきます。曖昧な中身をもちながら形式的要件だけを整えておきます。しかし「とりあえず決めた事」というのは気持ちの上では暫定的なものだから、具体的な実効力を持って展開していきません。
決めたといっても妥協の産物のような決め方だから、話し合ったその当の本人が、決まった内容をそれほど重視しているわけではないし、周りも同じように、その内容を信用していません。

 さらに問題なのは、だれも「責任を持ってフォローする状態になっていない」という点です。形式上の責任者はいるがフォローがない。
これは責任の範囲が不明確というような問題ではなく、そもそも実質的な意味での責任というものが存在するのがどうか、という問題なのです。

 責任が不明確な例としてよく取り上げられるのは、プロジェクトをつくった場合などで、実際の担当者には物事を決定する役割は期待されておらず、その上のレベル、もしくはもう一つ上のレベルの管理者が実際の中身を知らないままに形の上での決定権を持っていることです。

 また、過去に不祥事などが起きた経験をもつ企業の場合などは特にそうなのですが、過剰に意思決定のミスを恐れ、何でもかんでも上にお伺いを立てるのが当たり前という習慣になってしまっているケースがあります。
案件の性格によってはトップの判断が必要なものも当然です。株主代表訴訟などを起こされやすい今日この頃だからなおさらです。
しかし、多くの場合はトップにいくまでの途中で判断しても差し支えない、
いや判断すべき事項なのです。

 本来、下のレベルで判断すべき案件を、上にお伺いを立てるということがいつも行われていると、待ちの姿勢が蔓延し、意思決定の能力をもつ人間がいなくなってしまう。つまり、上にお伺いを立てることで下は責任を上に預け、意思決定に関わっていながらも、直接担当していることではないから、責任は本気で感じていないということが起こり得えます。

 合議で何かを決めるという決め方の問題も含めて、こういう場面で問題なのは、形式上の責任者の有無ではなくて「誰も心の底から責任を感じていない」という事実なのです。

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■ 衆知を集めて一人で決める


一人ひとりが自らの責任で発案し、実行し、フォローしようとする組織は、言うまでもなく強い組織です。
しかし、たいていの組織はそうはなっていない。責任を感じにくい仕組みができてしまっています。


 最もよくあるケースは、他人が決めたことをただ受け取って処理、実行するだけというケースです。

 この場合、処理の仕方に関する責任は感じられていても、判断(意思決定)に対する責任は感じられていないということです。「指示待ち人間」「言われたことしかやらない」「最後までまっとうしない」・・・など、社員の責任感のなさを嘆くセリフはどこの組織内にも氾濫しています。

 なぜ、そのようなことになるのかといえば、人の決めたことを自分の手の届く範囲で処理するだけという”責任の分散”が横行しているからです。
事務的な仕事の処理なら、それで問題ないこともあるでしょうが、大切な企画業務などでもそうした傾向は非常によく見られます。

 では、どうすれば「責任」を本気で感じることが出来るのでしょうか。責任を本気で感じるには「他の誰の責任でもなく、自分の責任」であることをはっきりさせることです。つまり責任の分散をなくし自分の責任で決め、実行しフォローすることが責任をまっとうすることなのです。

 「自らの頭で考え、自らの責任で判断する」というのが、責任をもって仕事をする時の前提です。だとすると、自律的に動くための基本ルールの候補として、合議に頼らず「自らの責任で一人で決める」というやり方が考えらます。一人で決めるといっても、それは一人でこそこそ隠れて決めるということではありません。

 条件さえ許せば「みんなで議論した上で自らの責任で一人で決める」というのが望ましい。一人で決めるというのは、勝手に決めることと同じではありません。勝手に決めては誰もついてきません。どうぞ好きにやってくださいと単に無視されるだけでです。

 そういう意味では、話し合いはするけれど合議では決めない。「衆知を集めて一人で決める」といったほうがより正確です。

 もう一つ、一人で決めるというのは、そのことを担当し実行する担当者自身が決めるという意味であって、担当者の上司である役職者が決めるという意味ではありません。もちろん、担当者が課長ならば課長が、部長ならば部長が決めることになるわけですが、要するに役職で決めるのではなく”直接の当事者”が決める。

 決めた人間は責任を持つわけだから最後までフォローしなくてはならない。つまり、決める人間は「責任当事者」であり、その当事者が最後まで面倒をみるということです。

 もし何か問題が起きたら、他の誰でもない決めた人間の責任だから、その人は責任をもってフォローする必要があります。

 問題が起きたら煙のうちに(火が出ないうちに)早めに助けを呼ぶ。また、そうならないように適時に周りに情報を伝えておくのも責任当事者の大切な役割です。「こうなりました」という結果の情報だけをオープンにするというのではなく「プロセスがどうなっているのか」という情報も常に周りに伝えるようにする、という努力が必要です。

 「一人で決める」ということのリスクを減らす大切な条件がこのことなのです。1人で決めて自分が責任を持ってフォローするわけだから、もし抱え込んでしまうと何か起こった時、取り返しがつかなくなるというリスクがあります。それを避ける為には1人だけで背負うような状況に自分を置かない。そのための歯止めになるのが衆知を集める場であり、そこでつくられた信頼に基づく人間関係なのです。

誰が責任当事者(担当者)なのか不明確な場合、それを最終的に決めるのは上位の責任者です。この上位の責任者は直接、その中身に関する判断はしないが「誰が判断して決めるかを決める」ことになります。

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■ スピード経営を実現する


 合議で物事を決めなければ組織は動かないというのが今までの通念でした。
何故でしょうか。

 今までどうしても合議で決めざるを得なかったのは、合議ではない決め方は「勝手に決める」ことと同義であると理解されがちだからです。勝手に決めれば無視されても当然というとこになる。勝手に決めてしまって、故意に、しかも目立たぬようにサボタージュされた経験を持っている人は多い。

 1人で決めて、それで組織が動くようになるには、いくつかの条件が必要になります。一番ベーシックな条件は「みんなで議論したうえで」責任をもってフォローする者が最終的に1人で決めるということです。

 つまり、前もってみんなで議論をする、言い換えれば「衆知を集める」というのが条件の一つです。みんなで議論するというのは、多数の意見に従うという意味ではありません。責任をとるのは自分なのだから、大切にするのはあくまで自分の判断しかありません。

 仮に大多数の意見が「右」といっても、自分がどうしても「左」だと思えば、責任を持って「左」という判断をする必要があります。少なくとも、みんなが言うからといって多数意見の「右」を採って失敗し、自分のせいではなく「みんなの意見が右だったから」と言い訳をしたりするのは最悪です。

 みんなで議論をするといっても、限りなく長時間やるというわけではありません。本当に知恵出しが必要な時は長い時間をかけて議論する必要がありますが、そうでない時は短時間の議論でいい。しかし、急を要する物事もあるわけで、いつも衆知を集める余裕があるとは限りません。

 場合によっては、全く自分だけの責任で判断せざるを得ないこともありめす。こういう場合は、特に「この時点で意思決定をしました」という上司及び関係先への連絡等のフォローが大切です。

 1人で決めることには、常に暴走する可能性というものが付きまといます。勝手な判断をする人が多いところでは、なおさらその心配は大きい。この問題は、1人で決めるところに問題があるのではなく、情報がオープンにされるというシステムが機能していないところに問題がありむす。

 したがって、周りへの情報の開示がその前提の一つとなります。「みんなが納得する」ということと「1人で決める」というのは一見、相反しています。

 「みんなが納得する」ために一番手っ取り早いのは合議をみんなが納得するところまでやる事です。しかし現実はそんなに簡単ではありません。合議してもみんなが納得する状況にならないケースがよくあります。

 「みんなが納得する」必要のある事柄と、そうでなくてもお互いの基本的信頼関係さえあれば一人で決めてもよい事柄との区別が必要です。みんなが納得する必要のある事柄とは、例えば目標であるとかルールなどがそれです。

 決められた事の中身がみんなに関係することは、やはりみんなの納得がなければ機能しません。こういうことさえしっかり共有できていて、更にお互いの信頼関係があり、日頃からやりとりをこまめにやっていれば、お互いの事情もそこそこ分かるし、個々の案件でいつも「みんなが納得する」必要はありません。

 つまり「1人で決める」ことが可能になってきます。衆知を集める議論、1人の責任に基づく意思決定を可能にする環境をつくり、それを組織の風土・体質にしていくにはどうするか。一つは「衆知を集めて一人で決める」というルールを組織の基本ルールとして、組織のトップが正式に認知し、みんなで納得し共有しておくということです。

 この認知と共有があれば周りの理解や協力も得られやすい。この、どのようにして意思決定がなされるべきかという問題は、同時に自分達の組織が「どういう組織であるべきなのか」という基本的な方向性を明確にする問題でもあるから、中身の重要さを考えると組織の長が意思決定すべき事柄です。

 もう一つは、日頃から「相談し合える関係をつくる」という土壌の開拓をしておくことです。日常的に話し合える土壌があり、価値観の共通理解が得られる状況がつくられていれば、一人で決めてもみんなが協力してくれるのが当たり前になってきます。

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■ 「権限が委譲される」ということの中身


 「一人で決める」ルールが認知されるようになると、管理職意外の人間(しかも、判断するには経験も知識も不足しているんじゃないかと今までなんとなく思われていた人間)が判断する機会、せざるを得ない場合が増えてきます。

 当然、判断ミスというリスクの可能性も高まるわけだが「自分の責任で判断して失敗する」というのは教育の中でも最高の教育です。こういう本気の失敗は、取り返しがつきやすい時代(三十代ぐらいまで)にできるだけ多くの人に経験させておくことが大事で、それが将来への大きな経営資源になります。

 これに対して、同じ失敗でも責任の所在のはっきりしない失敗は単なるロスです。誰もそれからは前向きのことを学ばない。学ぶのは失敗した時のアリバイづくりの必要性と保険をかける技術だけです。失敗も一つの「教育機会」と見込んで仕事をさせることが本当に仕事を任せるということです。

 この様なマネジメントが出来れば、組織の中で判断できる人間が増えることによって組織の動作のスピードが格段に増すし、仕事の現場に近いことろで判断が行われるようになるため判断ミスも少なくなる。

 自分の頭で考えて行動する人間が増えることで細かな環境の変化にも対応しやすい。この状態は、組織の体質が活性化した状態です。

つまり、早さと柔軟性が備わった組織が出来るのです。

 判断する人間が増えるということは意思決定される事柄の方向が分散化されるということです。それによって早さと柔軟性は増大するが、そのことは同時に、意思決定する人間が分散化することで無秩序になる可能性も増大することを意味しています。

 そこに秩序を与えるためには、意思決定の方向の分散化が、ある一定のリスクの範囲内にとどまるような仕組み、マネジメントが必要となります。

 「衆知を集めて一人で決める」というのは、あくまで早さと柔軟性を実現するための基本的なマネジメントの原理です。実際に応用していくには、それぞれの組織の実態に合わせた運用をはかる必要があるのは言うまでもありません。


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