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もしも自分が発達障害だったら?

あの、もしも自分が発達障害だったら、って思ったことあります?

最近、生きづらいなぁと思うようなことが多くなって、いろいろ足掻いた結果、発達障害の検査をすすめられたんですね。

そしたら、しっかり発達障害(自閉症スペクトラム障害=ASD)だったんですね。

多少変わったやつ、と思われるぐらいがちょうどいいと思ってたんですが、いざ、発達障害ですよ、といわれると何だか逆に困ってしまいました。自分の努力とかでなんとなるのかな?と思っていた困りごとが、突然、

「あーそれは障害のせいです、もうしょうがないです、お前はそういうやつだ。」

といわれた気がして。

努力や治療で何とかならないものこそ私にはしんどい。余計に囚われて生きてしまう。いや、囚われるもなにも、今直面している現実があるだけなんだけど、まるで目の前を閉ざされたような、そんな気持ちがしました。

一方で、発達障害の診断がおりて楽になった、という人がいると聞きます。

ちゃんと理由があったんだ、というところにフォーカスすると、自分が直面した問題に無理に向き合う必要はない、と気持ちを整理できるそうです。

診断結果をどうとらえるか

私は、診断結果を自分でどうとらえるか、と考えたときに、ある話を思い出しました。

何かを作るための作業用ロボットが2つ、いました。
あるロボットは、その作業を行う自分について、存在意義を考えるようになりました。自分探しをし始めたといいましょうか。
一方、もうひとつのロボットは、どうやったら効率よく作業し目的のものが作れるのかを考え、改善し続けました。

で、どちらの方がみんなのためになり、評価されるか、自分の価値を高めるのかというと、当然後者だという話です(まぁうろ覚えなんで、仔細は適当です)。

この話は発達障害と何の関係もないんですが、自分の存在意義について考えるよりも、自分が出来ることや今いまやるべきこと、やりたいことに打ち込んでいるほうが、自分にとっても有意義なんだよ、ということだそうです。

さらにもう一歩踏み込んで、今の私の立場からみると、何とか稼いで生きていけそうなんだったら、自分のやりたいことややるべきことに集中し、それに人生を費やした方がいい。それは発達障害があってもなくても関係がなさそう、と感じました。

まぁ、この話を知った当時、なるほどなぁと思った一方、なんだかなぁとも思ったものです。人間はロボットのように目的ありきで生きているわけではないし、単純に打ち込めるものがあるとも限らず、やりたいことすら見失うことも多いので。でも、人間は目的を自分で決められる余地があるともいえるのかな、なんて、ぼーっと考えたりしました。

結局、発達障害の傾向があるならなおさら、自分で目的を決めたり、やりたいと思ったことを大切にしておかないと、自らが生きやすい環境を作りにくいだろうな、と今は感じます。

で、なにをしたらいいんだろう

発達障害と一口に言っても、傾向やその種別は全く違っていて、日常を送るのさえ難しい傾向から、私のように診断でわかった、ぐらいの人もいて、みんながみんな、同じような対策や考え方でクリアできるものでもないそうです。それに、私にはクリアって呼べる状態がなんなのかもわかりません。(いや私の理解不足かもしれませんけど)

そもそも私は「そこはかとない生きづらさ」をどうにかしたいんですが、結局まだ私は打開策にたどり着いていません。打開策とかあるのかも知りません。
でも、先に書いたように

自らがどうあるべきかにフォーカスしない。
やりたいと思ったこと、気持ちと行動を、より大切にする。

たぶんこれが、迷った時の行動指針になると思います。

また、楽しい・やりたいと思った自分を否定しない。
「やること」と「したいこと」にフォーカスする。
そうすると、今と将来だけにフォーカスできる。
どう実現するか、何をするかだけを考える。
シンプル!!!

あと、どうしたら自分が楽なのか、楽をするための環境づくりなら惜しまない。(楽をすることは悪いことではない。)

非常に具体性にかける心構えですが、たぶんこれがスルッとできている人が、健常者なのでしょうか…。

何はともあれ、少しだけ、頭の整理ができたところで、早速したいことにフォーカスしていきたいと思います。

それではまた。


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