【予告】第二回「空気」について
日程:10/23(火) 時間:18:15~19:45(全体90分){グループ作成・アイスブレーク・テーマ解説・考察タイム(20分)→グループディスカッション(30分)→フリーディスカッション(30分)→まとめ・次回予告(10分)}場所:メディアセンターラーニングコモンズ
〇前提とする議論
2007年の流行語には「KY(空気よめない)」という言葉がある 。また、2017年の流行語には「忖度」という言葉がある 。この両者にはちらも空気という言葉がありそうだ。KYとは直接的に空気読めないという意味の言葉であり、「忖度」とは相手の気持ちを推し量ることである。自分の意思や、本当の真実がありながらもそれを言うことがはばかられる場の雰囲気やルール。しばし日本ではそれを空気と呼んできたのではないか。
この空気と言うものは、今に始まったものではない。第二次世界大戦の神風特別攻撃隊の末期にはそれを無謀とするデータがあったにも関わらず、「全般の空気よりして、当時の特別攻撃は当然と思う。」といい、推し進めた上官の証言が存在する 。また前述の引用は評論家山本七平の「空気の研究」からのものであるが、本著は1983年に出版されたものである。そこには先ほどの大和の例に加えて、山本七平氏の周りでなされた、「会議の空気が○○」や「議場の空気から言って」と言った発言が取り上げられている 。
このような空気について、山本は次のような定義をしている。『空気とは非常に強固で絶対的な支配力を持つ、判断基準』であるとしており、それは時として論理的な判断基準を超えるとしている。大和の例がそれである。また、近年決裁文書書き換えなどの違法行為によって、組織の保護のための行動をする官僚などの例もあげられる。空気は宗教的な絶対性を持つのである。もっとも、その絶対性が形成されてしまえばそれは時として論理的根拠を度外視するような判断をしてしまうことがあるのだ。
また劇作家の鴻上尚史はこの空気の問題について、「空気」については山本と同じような立場をとったうえで、さらにその実態の解明に阿部勤也の「世間」の概念と合わせて、空気とは世間が流動化したものであると言う。 まず、阿倍勤也の定義する、世間とは「贈与、報酬関係」、「長幼の序」、「共通の時間意識」、「差別的で排他的」、「神秘性」に支えられた共同体のことを指す。その世間というものがグローバル化や情報化などによってメリットが薄れ、壊れていくときに発達したのがそのいずれかの特徴を持ち合わせた空気なのである。空気は世間の名残とも呼べる 。
このように空気というものに着目し、その問題を提起する人、作品は存在する。
しかし、必ずしも日本人が空気に圧倒されているわけでもないということもできる。国民性というものを定量化する、ホフステッド指数の「個人主義傾向の強さ」の項目では、2010年のデータで、世界の平均並みであり、また中国、韓国と比較しても高いということが言える 。これを通してわかったのは、西洋の標準から見れば確かに日本は個人主義的だが、他のアジア諸国から見れば個人主義的な国と言うことである 。こういったことから、日本は個人主義であり、空気というものは集団主義のものであるから問題ではないという帰結もされよう。また、一部の事例だけをとりあげて、空気があるというのは評論としては成立するかもしれないが、科学的であるとは言えないとの批判も考えられる。
しかしながら、実際に空気というものは言われ、それは問題であろうがなかろうが、個人主義的であろうが、集団主義的であろうが存在するのは流行語の例をみても明らかなように確かであると思われる。だから、まず私たちはこの空気についてその概念を定義し、それは問題かそうでないかということを考察したい。そして、最後に空気というものとどう生きていくのかを話し合いたいと思う。
〇参加者に投げかける問・テーマ
①空気とは何か?
②空気は問題点、良い点
③①②を踏まえたうえで私たちは空気とどう向き合っていけばよいのか?
※議論の内容は今後ブラッシュアップにより一部変わる可能性があります。テーマの変更など、大幅な変更はしません
サロンのルールややり方については以下参照を願います。
【「〇前提とする議論」における参考資料】