成人になったけれど

今年新成人となったみなさん、おめでとうございます。

私は数年前に成人となり、去年成人式がありました。あの日から一年が経ち、ふと成人になることについて思い返してみました。


そもそも自分たちの世代が成人となったのは、民法改正による成年年齢引き下げにより、19歳の時に晴れて成人となりました。でもその時からなんか中途半端だなと思っていました。18・20歳の時に成人になるのと19歳の時に成人になるのはなんか感覚が違う気がします。だったら私も18歳の時に成人になりたかった。その方がキリがいいし。

とはいえ、そればっかりはどうしようもないので受け入れるとして、だからって19歳になりましたあなまはもう成人ですと言われても「はぁ」としか言えないです。別に心境の変化なんてまったくでした。多くの人もそうだと思います。

18歳の頃から考えていたのですが、歳を重ねていくにつれ、自分の精神的な成長とのズレが広がっていくのを感じて真剣に悩んでいました。小学一年生の時の六年生がすごく大人に見えていたように、もっと18歳とか20歳になったら立派な「大人」になっていると想像していました。でも実際は中学の頃から趣味が大して変わらず、友達も少ない、頭も良くない、恋愛経験もない、将来の夢もない、そんな18歳になっていました。18歳になってしまえば自然とちょっとずつ「大人」に近づいてくものかと思いましたが、選挙の投票に行っても一人で手続きができるようになっても、そう簡単に実感は得られませんでした。

今でもそのズレがしんどく感じる瞬間はあります。中でも一番ひどかったのは成人式後の同窓会でした。実は私は成人式に参加しなかったのですが(なんとなく式典系が苦手)、その後の同窓会には参加するというよくわからない参加の仕方をしました。最初はそれも断ろうと思ったのですが、友達から強く誘われたのもあって結局行くことにしました。

会場では綺麗な衣装に身を整えた同級生たちで賑わっていました。そこでかつての旧友とも再会するのですが、もれなくみんなキラキラしてる。自信とか希望とかが顔や体から溢れ出てる。キラキラがどんどん床に積もっていく。話を聞けば名門大学に通っている、海外に行ってきた、将来に向けてこんなことをやっている、などの明るい話ばかり。成人式でいつもより気合入ってるのもあってかそれが倍増されてる。そんな彼らの姿を見て、私は逆に自信を吸い取られてもぬけの殻になってしまいました。「同級生はこんなに積極的に動いているのにお前はこれまで何やってた?」と突きつけられたようで、「へーすごいね」と絞り出すように返事をするのがやっとです。中学の同級生たちと会って過去の暗くて陰鬱な自分に引き戻されていたのもあって、ずーーっと息苦しかった。この同窓会自体は行ってよかったこともありましたが、それ以上につらい思いもしました。

でも一方で、今の感覚として18歳の頃よりは「大人」になったと感じる瞬間は増えました。野球場で売り子からビールを買ったとき、旅行の手配を自分一人でしたとき、同い年が逮捕されたニュースを見たとき、とか。酒だのタバコだのセックスだので欲求を満たすだけでなく、そういった日常のささいな積み重ねの中に「大人」になる意識を強化するものがあるのだと気づきました。

今でも私はしっかりした成人とは自信を持って言えません。ですが、社会規範的な「大人」になりたいかは別にして、少しずつ「大人」の要素を獲得して「大人」になりつつあるのだと思います。その時に心も一緒に成長できたら、ようやく一人前のおとなになれるかも。

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