Play fashion! : 「福田屋」は、水戸の文化そのものだった 【column】
「福田屋が水戸の文化だった」と言われても、ほとんどの人がそもそも福田屋が何者なのかは分からないだろう。
福田屋は茨城県水戸市発祥の洋服店であり、今や多くのブランドを擁するアパレル製造小売企業となった現在の「アダストリア」の旧社名だ。
地元・水戸でも福田屋の名を覚えているのはおそらく50代なかば以上の世代だと思うが、何かとメディアでイジりの対象になる北関東の街が(今では考えられないのが残念ではあるが)スタイリッシュだった時代の記憶とともに語っておきたい。
男子の場合、ファッションに目覚めるのは中学生ぐらいからだと思う。それまでは親に買い与えられるものを何の疑問も抱かず、テキトーに着ていたろう。
少なくとも私はそうだった。まれに「VAN Boys」などを身につけたりもしていたが、それとて同じだ。小学生では洋服は買ってもらうものだから、当然と言えば当然だ。
中学生になると行動範囲が広がり、街を動き回れるようになる。ちょっとマセた同級生が詰襟学生服の下に着ていたボタンダウンシャツが気になって、売っている店を教えてもらい足を運んだのが中心市街地の「カジュアルポイント・フクダ」だった。
福田屋は水戸のメインストリートに路面店のほか、いくつかのテナントビルにもそれぞれ名前を変えて出店していた。
中高生に有難かったことがいくつかある。それらの店では手の届く価格帯の商品を充実させてくれていたこと。正直知名度は低いメーカー、当時の空気に照らして分かりやすく言うと「MEN'S CLUBに広告は掲載しているが、記事で紹介されないメーカー」だが品質は十分だった。
もう一つは「取り置き」。ある程度顔なじみになる必要はあったが、気に入った品物の代金の一部を入金して保管してもらうことができた。
クレジットカードの持てない年齢層にはこの上なく有り難く、人間味ある仕組みだったと思う。
余談になるが、当時の福田屋のユニークなPR活動として朝のチラシ配りがあった。主要ターゲットになる高校生に向けて、登校時間に主だった学校の登校時間に合わせて校門前でチラシを配布するのだ。今ではとてもできないだろう。
福田屋時代の幹部だった方に思い出として語ったことがあるが、
『ああ、あれは大変だったんだぜ』
と、そうは言いつつも懐かしそうだったのも覚えている。
水戸市内に名前や品揃えの異なる複数店舗を展開していたのは、現在のアダストリアが多数のブランドを展開していることの原点のようにも思う。
UNIQLOはどこまで行ってもUNIQLOだが(著名デザイナーとのコラボがあっても)、アダストリアは社名よりも個別のブランドに主張があるところに違いがある。それゆえの大変さはあるだろうが。
「文化」と風呂敷を広げてしまったが、当時の若者の行動に影響を与えたという点では決して大げさではないと思っている。
先述の水戸のメインストリートに配された各店を学校帰りに巡回しながら次の狙いを定めつつ、自分よりちょっとお兄さんお姉さんのスタッフたちとのコミュニケーションも少し早い社会勉強だったろう。
そんな時を過ごしながら水戸近辺の若者たちが目指した店が、社会人となっても通える品揃えの中核店舗。名前は何度か変わったが、福田屋時代の最終的な店名はトラディショナルファッションのブームもあって「THE BOSTON」だった。
THE BOSTONはスーツなどビジネスウェアから青年層以上に向けたカジュアルウェアがメイン商品であったからか、「足を踏み入れるのは高校3年になってから」という暗黙の了解事項が一部にはあった。想像するに店の「格」を尊重してのわきまえ、自主規制だろう。私も足を踏み入れたのは高校3年だ。
THE BOSTONの扱った商品は質も高く、消耗品を除けば40数年を経た今でも着用できるものがいくつも残っている。
私は大学進学で東京に出たが、東京でなければ買えないBEAMSやジョイマークデザイン(BOAT HOUSEなどを展開)の商品も扱ったので、地元組も重宝していたはずだ。
あくまで当事者でもあった筆者の感覚ではあるが、装うことの楽しさから中高生の自律的な消費行動参入、生活物資の購入局面を誘引したことは青少年の人格や地域文化の形成にも大きく資していたことは想像に難くない。
1984年ぐらいから若年層のファッションはDCブランドの旋風が吹き荒れ、トラッドやアメカジ主体の福田屋には逆風であったかもしれない。
しかし、のちに社名ともなる「ポイント」の広域チェーン化や、旧体制のスクラップによるポイント以外の自社店舗を独立社員への譲渡するなど、新しい風を吹かせてもいたと思う。
「グローバルワーク」や「ローリーズファーム」が全国的に広く認知されるようになると、それらがかつて福田屋だった会社のブランドとは知らない地元の人たちも増えた。
だが、アダストリアは創業の地・水戸を忘れてはいない。営業上の本部こそ東京だが、今も「本店」は水戸だ。水戸を本拠とするプロスポーツチームも積極支援し、これまでの地域貢献活動も実のあるものだ。
アダストリアが声高にアピールすることもせず静かに進める水戸での各種事業が新しい地域の文化として認知されるまでにはまだ少し時間がかかるかもしれないが、人を動かすことでビジネスを成功させてきた福田屋時代と変わらぬスタンスで、その日は確実にやって来るだろう。