「紅い旋風」始まりの涙の記憶 【column】
本日(1月13日)は、大学ラグビー選手権の決勝。ラグビー大学日本一が決定する。
名門・早稲田大学と我らが母校・帝京大学が決勝に進んでおり、今季関東大学対抗戦グループの1位と2位が順当に勝ち上がってきたわけだ。
地力の差はわずかだろう。前に勝った相手に次も勝てるとは限らない。それが対抗戦のレベルの高さだ。
ゆえに「そうやすやすと『荒ぶる』を歌わせてなるものか」というのが2位帝京大学の思いだろう。それはラグビー部だけでなく、卒業生も含めた関係者すべての。選手権9連覇を含み、21世紀の大学ラグビーを牽引してきた自負もある。
そしていよいよ
新興の帝京大学が対抗戦上位に進出し始めたのは1983年のことだ。対抗戦グループ加入以来初めて早稲田大学に勝利し、翌84年は明治大学に勝利している。
両年とも対抗戦4位として、大学選手権に進むための関東大学リーグ戦グループとの交流戦に進んだ。
組み合わせはそれぞれのグループの上位校と下位校のタスキがけ。2年続けてリーグ戦グループ優勝校の法政大学が関門となった。
当時は学内でも話題となり、授業中に「応援に行こう!」あおる教授もいたぐらいだ。
ウェンディーズとのダブルネームになったが、今も残っているのは嬉しい。
毎回事前に打ち合わせて、スタジャンだったりダッフルコートだったりとドレスコードを決めてラグビー場に向かったものだ。
しかし法政との交流戦はラグビー部だけでなく、そこにいるすべての帝京大生にとって厳しいものとなる。
今でも残る部分はあるが、大学ラグビーは伝統重視だ。長い歴史のある大学は強く、卒業生も多い。その分一般のファンもつく。母体学校は戦前に開校しているが、四年制大学の設置から当時20年にも満たない帝京大学にはそれら全てがなかった。
試合会場にいる帝京大生の周囲には「敵」しかいなかった。伝統ある大学ラグビーの世界に入り込むなと言わんばかりの、四面楚歌だ。
当時話題になっていたドラマ「スクールウォーズ」(撮影は大学近くでも行われてもいた)の舞台になった学校にたとえての揶揄は序の口、悪口雑言の限りを尽くして帝京大学を侮辱する野次も飛び、悲しさと悔しさで目に涙を湛えた女子学生もいたのを私は忘れていない。
だが、
帝京大学ラグビー部は(83年84年ともに)法政大学を下し大学選手権に進出した。
新興大学の活躍をメディアは「紅い旋風」と呼んだ。
その後、若干の低迷期を経験したが、日体大出身の岩出雅之氏が監督に就任すると様々な部内改革も奏功し同志社大学の選手権3連覇を超えると、9連覇まで記録を伸ばした。
選手権10連覇はならなかったが、岩出監督の後を引き継いだ相馬監督(帝京大OB)の手腕で大学王座を奪い返し
対抗戦では早稲田に負けているだけに喜びもひとしおだろう。
関東対抗戦に加入している大学はわずか16校。帝京大学は最後に加入した大学だ。加入に抵抗もあったと聞く。だが同時に、若く荒削りな帝京大学ラグビー部を早稲田、明治の指導者たちが推したとも。
歴史や伝統は、どんなに頑張ったところで追いつくことも追い越すこともできない。
だが勝って驕らず。全国の大学が「打倒帝京」を目標にするようになった今でも、挑戦者の立場にいることを見失わないところに帝京大学の強さがある。
「紅い旋風」というフレーズに、少々「番狂わせ」のようなニュアンスもあったかもしれない。だが今はどうだ?
赤い応援フラッグの打ち振られるスタンドからはテイキョーコールが選手を後押しする。野次にまみれた昔日とは真逆の、自らつかみ取った光景がそこにある。
こうして大学ラグビーの価値観をも大きく変えた帝京大学だが、その始まりの片隅に今の歓喜とはまた真逆の涙があったことも忘れてはならぬと記す次第である。