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われもわれもと「DCブランド」へと走る【Tokyo 80's】

「DCブランドって、何じゃい?」という人の方が多いでしょうね、2025年。
デザイナー&キャラクターブランドの略で、1980年代なかばに大ブームとなって若者たちをオシャレに走らせた「現象」と言う方がいいかもしれない。

大衆文化史的には1980年ごろに端緒があるとする説もあるが、ブームとなったのは雑誌POPEYEがファッション特集でDCブランドに全振りしてきた1983年秋だと私は見ている。


前年の1982年だと映画「炎のランナー」の影響で、まだまだ英米式のトラディショナルファッションが主流。

当時の筆者 (おそるべきハタチ)
デイリーカジュアルもまた然り。


だが確かに83年から84年にかけては風向きが変わっていくのは感じられた。
広告撮影などでスタイリストが用意してくる衣装が、色づかいやディテールにピュアトラッドとは違ってきていたことを覚えている。

日経トレンディ (2022年5月12日)

セーラーズやKファクトリー、パーソンズといったキャラクターブランドがタレントの着用やテレビでの露出で注目され、また現在のファッションウィーク東京に連なる「東京コレクション」の企画の始動は若手のデザイナーの台頭を促しただろう。

83年からトレンドとなりつつあったDCブランドがトラディショナルファッションから主役の座を奪取したことには、メディアの力も大きかった。

「ハウスマヌカン」なる言葉が登場!


要はデザイナーブランドの店の販売スタッフではあるが、単にスタッフとは呼ばないちょっと持ち上げての新しい表現。
しかし、あまりに増殖したハウスマヌカンはブームの反面オモシロおかしく取り上げられたりすることも少なからず。


対して男性ブランドのスタッフは

「ショップギャルソン」と命名されたが、

世間は「ハウスマヌカン・オム」と呼んだ(


ブームの間はショップ、主にラフォーレやPARCO、丸井といった商業施設のテナントだったが

セールの行列は「季節の風物詩」。

残念ながら筆者のサイズはセールの時期までは残っていないのが1980年代ってヤツなので、行列に並んだことはない。というか

トラッドで通しましたから。

とは言え、カジュアルシーンではトラッド系統で少し前まで主流だったアメカジが浮いて見えたりと、時代は確実にDCだった。

DCブランドのブームの時代は東京に限らず、さまざまなブランドが地方の商業施設にもテナントとして進出していったが、退潮も意外に早く87年〜88年には終息していったと思える。
90年ごろになると、若年層では渋カジ、キレカジ、デルカジ(モデルの普段着風ファッション)など◯◯カジの細分化が進み、青年層以上ではアルマーニが注目され多くの模倣品があふれ、中高年以上の世代ではクラシコイタリアが注目され始める。

その後はファッション分野では、何がメインストリームなのかは判然としない状況が続いているように感じている。それはそれで、さまざまな個性が(無個性も含めて)混じりあい悪くはないとも。


定着とまでは行かなかったかもしれませんが、デザイナーなりショップオーナーなりの作り手の自由な発想の商品(洋服)が街を闊歩した時代は、今よりもっと若者が若者らしかったように思えます。

多少は残っていますよ。

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