見出し画像

カフェでもないバーでもない、カフェバーの時代 【Tokyo 80's】

かつて、「カフェバー」と呼ばれる飲食業態があった。それは今のカフェとは違うし、また本格的なカクテルを供するオーセンティックバーとも違う。ひと言で表せば、

真っ昼間からアルコールが飲めて、真夜中でもコーヒーが飲める店

である。なんなら始発電車の出る前の時間でもコーヒーもカクテルも出してくれた。テーブルにつっ伏して居眠りしようものなら、「寝ないでください!」と店員が起こしにきてくれるサービスつきだ。
本稿では筆者の思い出とともに、そんなカフェバーを語ってみよう。

これがイマドキのカフェでしょう。

今のカフェでも店によってはキリンのハートランドやクラフトビールを用意していたりもするが、インテリア雑貨やスタイリッシュ文具を販売していたり、至って健全そのものだ。対してカフェバーは、

どこか男女のシタゴコロも垣間見える空間だった。


80年代の東京でカフェバーはたちどころにブームとなり、学生街の喫茶店もレストランもカフェバーを名乗り出すが、本流は青山・六本木界隈にあることで価値を創出した店だ。

その筆頭が、原宿・表参道にあった「Key West Club」だ。

建物内外装からスタッフのユニフォームまで白で統一し、カタカナ職業(自称)やオールナイトフジに出ている(かもしれないような)女子大生の集まる人気のスポットだった。
店はそういう(今でいう「オサレ」な)雰囲気を守るため、ダブルのネイビーブレザーにキリリとネクタイを締めたマネージャーを門番に立たせる。それはもちろん、店の雰囲気に合わない客を入れないためにだ。

実は私、それを「突破」したことがある。

(ということは、ストップさせられたってことね)

まあ、待ち合わせ場所に指定されたからなんだが、

美人さんでしょ?

こういう人が好み好まれたのがKey West Clubというカフェバー。
もともとモデルとして同志的存在の一人だったのが彼女。赤文字女性誌への登場もしばしばながら真正お嬢様ゆえ専属はせず。
確かこの(写真の)あとに篠山紀信の撮影による週刊朝日の表紙で脚光を浴び、海外ニュース番組のアシスタントを経て主演でドラマデビューというスターの階段をかけのぼることになる。


そんな彼女との待ち合わせだ。私もKey West Clubのような場所に出入りできる「有資格者」みたいな気分でいたのは間違いない。それがなぜ入り口ブロックをカマされたか。それは

コきたなく見えたから。

色のガッツリ落ちたリーバイス501にオリーブグリーンのくたびれたミリタリージャケットでは、さもありなん。だいたい服装チェックをする店は、「高見えしないカッコ」は問答無用でNGだ。少々お高いビンテージのリーバイスだとかは一切カンケーない(芸能人別)。

多分、テレビの仕事が増えることについての近況報告をかねてゴハンしましょ、みたいな誘いだったと思う。デートでもなんでもないから、そんなカッコで行っちまったワケだ。

そうして無事予定通り入り口で止められた私だが、

『お客さま、どちらへおいででしょう?』
(チッ、また場違いなヤツが来やがったよ)

と入店阻止にかかるマネージャー氏に対して

「ん?オレを誰だか、知らないの?」
(いや別に、誰でもないんですけどね)

と(ハッタリで)怯ませて、ブルーハワイのグラスが置かれた彼女のテーブルに悠々と向かった。
確か、わざわざ(マネージャー氏に聞こえるように)「この前の撮影でさー」とか「オーディションがー」とか話してたわね(


とまあ、そんな有象無象の集まる場所だったわけです。(スタッフも含めて)

もちろん近寄りがたい雰囲気の店ばかりでなく、ミュージック・ビデオをBGVにしたり映画を上映したりビリヤードができたりと、カジュアルなカフェバーもたくさんありました。
中にはミニFM局のスタジオを併設した店も。

(RIP Miho Nakayama)


バブル前夜にカフェバーという文化が花開き、あっという間に散っていったことは「時代の記憶」としてアタマの片隅に置いていてもいいでしょう。


え?あの彼女が気になる?


今は名前を出したらビックリな方の奥さまです。


(シタゴコロは、オトナのBarで発揮しましょう)


★ 新マガジン [cafe & Bar]開設記念

いいなと思ったら応援しよう!