幸せを願うなら、頼って”あげる”ということ。
先日、ハーバード大学で75年かけた研究で「人は何が幸せか」についての結果が明らかになった。
それは金・富・健康ではなく、「同じ志をもつコミュニティで頼り頼られ生きること」だ。
志とは
結局、人の幸せとは人との関係なしには成されない。
(僕なんかは家で1人で本読んでれば幸せなタイプなんだが、それは友達だと思い込める関係性があってこそ、というのはこちらで述べた。)
志とは人生をかけて社会にコミットしたいことである。
完全に利他的に世界の貧困を救っても志だし、限りなく利己的に隣人を笑顔にし続けたいと思うことも志だ。
そんな志を共にしたコミュニティの中で、役割を分担する。自分に出来ないことを他人にやってもらい感謝を述べる。そして他人に出来ないことを自分が行い、感謝と承認を得る。
そして貢献を記帳し、みんなで時間という文脈を仕合わせて共同体をよりよく形成していく、そのプロセスこそが人を幸せにするのだ。
あの人を救いたかったら、あの人に自分の悩みを打ち上けるの。誰かの困難を解き放つことがあの人のライフワークであり使命。それが果たされると肩の重荷が取れたように心が軽くなるのよ。だから頼って”あげる”の。
これは今までの自分の中の感覚には全くなかったもので、これには結構驚いた。
悩みというのは相談側にメリットがあり、ややもすればその対価を何かしらで支払うものだと理解していた。まさか悩みを受ける側にもメリットがあるとは。
なぜこうなるかを考えた。つまり志を共にしているからだ。
世界をよくしたい相談受け手側。悩みを解消して自分をひいては自分に影響する世界をよくしたい相談する側。
この利害関係の一致が、志をともにしたコミュニティで頼り頼られることだと帰納的に腑に落ちた。
頼り頼られ生きていくには
己の志を仮定し、コミュニティを探すことである。
オンラインサロンでもいい、子ども食堂で働くでも、趣味のコミュニティを探そう。そしてまず自分から小さいことで貢献してみることから始まる。
コツは、自分が今まで他人に何を言われて嬉しかったか。自分では簡単だと思うことを他人から褒められた経験を書き出してみることだ。些細なことか書き出してみよう。
これは二枚目の名刺運動に繋がるものだ。
まずは己の得意、と社会(コミュニティ)で求められているものを重ねてみよう。
そのコミュニティへの貢献度が信用に代わり、その貯金された信用をお金に変えるか、感謝の形で己をマインドフルにするかは自分次第である。
さあ頼ってみよう。どんどん志を共にする友に悩みを打ち明けてみよう。
世界は君の頼みを待っている。