贈与とは”享楽”である。そして毒でもある。
LINEから人の誕生日の通知が来るじゃないですか。一時期は見境いなくスタバ券500円を配っていたんですね。
なぜかって、みんなが存外に喜んでくれるんです。たった500円で。きっと目新しかったのもあったせいで。
ただ次第にそれが当たり前になってくると、みんなが僕にお返しをしてくれるようになる。同額程度の。もっと言えば、同じスタバ券500円をもらったこともある(笑)
これは全く無意味じゃないかと思って、やめたんです。
英語でギフトは 贈与 ですが、ドイツ語では 毒 という意味合いもあるらしい。
もらったら返さないといけないという義務が発生してしまうので。
それでは、人を喜ばすにはどうしたらいいのか。
文脈とセンスについて。贈与と交換についてのお話
都会の交換主義で生きてきたので、田舎の贈与について困惑してしまった。
お店で野菜をもらったので、インスタの宣伝でお返しをしようとしたら、いきなり怒られてギンジ少年大変ビックリした話。
資本主義、合理性のもと交換をして生きていたため、全人格的な贈与に慣れていなかったのです。
そして女性経験。
ちょっとだけ女の子にもてたことがあるので、よく”無償の奉仕”をしてくれる人がいて、ありがたく受け取ったりしていたんですが、ある時に「見返りがない!」とヒステリックになる人にも多く、おおおおおく出会ってきました。本当に怖かったんです。ただ協力すると言ってくれてたはずなんですが。まあ僕も悪いんですけど。
こうして「タダより高いもんはない!交換という形にして瞬時に対等性を回復しなければ!」という脳が完成するんです。
これが贈与とは毒という概念の把握をしていたんですね。
贈与とは喜びである。
ただ本来、贈与とは喜びなんです。
人を幸せにすることが自分を幸せにする。誰かの笑顔が見たい。これが人間本来のあるべき形なんです。
ここでも述べたが、人は感謝をされるとうれしいものなんです。
繋がりと承認が欲しいんです。
好きな人が喜んでくれたら嬉しいじゃないですか。
頼り頼られ生きていくんです。
人の幸せは頼り頼られ生きていくことなんですね。
ギフトエコノミーを達成するためには
それでは気持ちよくギフトをするためにどうしたらいいでしょうか。
善意で回り続ける世界をつくるためにはどうしたらいいでしょうか。
インドにはオーロヴィルという政府公認の貨幣がいらない村が存在します。みんながとても幸せに暮らしているそう。
簡単にいうと、スキルシェアと寄付によってなりたっている約3000人の他民族集落です。(入るには審査が必要)
同じような世界はもう現代では答えを見つけ出しつつあるように思います。
それはオンラインサロンのようなサードプレイスです。
寄付:みんなが少しずつお金を出しあい、
スキルシェア:同じ志を共にするコミュニティで頼り頼られ生きている世界です。
もちろんまだまだ課題は存在します。(ガバナンスや民度など、後述します)
リアルでもそんなサードプレイスは必要です。
スポーティーなサードプレイス
リアルでもオンラインでも現代は自分の好きなコミュニティには出会おうと思えばすぐ出会えます。
地方創生のカギとして、関係人口が大事と繰り返し述べてきました。
各々が好きなコミュニティを探し、オンラインでもいいから同志を見つけることです。コミュニティを見つけることです。
そこで、ギフトを沢山行うことです。
見返りを瞬時に求めないことです。
信頼残高にまみれた人間関係をつくり、人の笑顔をつくりだすことを生きがいとして、生きていきしょう。