【小説】 クリームパン

【ヒロナ】

 「音楽祭が終わったら、ミニアルバム作りません?」

 リハーサルスタジオには、クリームの甘い匂いが立ち込めていた。阿南さんが差し入れに大量のクリームパンを買ってきてくれたのだ。どうやら有名店のパンらしい。カスタード、イチゴ、チョコ、メロンと色々な種類がある。
 休憩時間に、みんなでパンを頬張っているところに、阿南さんが話し始めた。

 「みんなの春休みの間にレコーディングをして。アルバム、作りません? ちょっとキツいスケジュールになってしまうかもしれないんですけど」

 阿南さんは柔らかい表情をしているが、声に情熱が詰まっているのが分かった。提案しているつもりかもしれないけど、これはほぼ決定案件なのだろう。
 口の中に広がる甘さが邪魔をして、真剣な話をしているはずなのに、自分の気持ちに締まりがない気がする。
 実は、自分の中でも楽曲の音源化という想いはずっとあった。しかし、ノウハウも知らなければ、まだ曲自体が成長しているため、避けて通ってきた。録音してしまったら、曲が完成してしまうのではないかという恐れがあったのかもしれない。

 「いいですね! やりましょう!」

 反射的に言ってしまった。絶対にクリームパンのせいだ。気分が上がっているから、心のタガが外れてしまっている。これまでの逡巡はなんだったのか。単にキッカケが欲しかっただけなのかもしれないが、それにしたって、あまりにもノリノリすぎる。
 そのためのクリームパンだったのか・・・。

 「よかった。ありがとう。実は冬休みにレコーディングをしようと動いてたんですけど、みんなが所属したタイミング的に、色々間に合わなくて。レコーディングは時間もかかるから、まとまった休みがないと難しいかなと思って」

 「え、そんな、本格的なやつなんですか?」

 ミウが真面目な顔で質問をした。手にはイチゴのクリームパンが握られている。パンの中にぎっしり詰まったピンク色のクリームが可愛らしさを演出してしまい、ちょっと面白かった。

 「一応、うちの会社の強みとしては、レコーディングスタジオがあるということ。だから、コストをかけずに本格的なレコーディングができるんです。営業しようにも、いかんせん資料が足りなくて。だから、ボクのためでもあるんです」

 「なるほど・・・」

 「それに、君たちは異常なほど曲数が多いバンドだから、どんどん音源化して、カタチとして残していった方がいいよ!」

 そう。音源化。カタチに残すことで、自分たちの活動の証明にもなる。頭ではずっと理解してきた。ライブをするたびに「音源は?」と言われ続けてきたし。自分の中で踏ん切りつかなかったところを、こんな贅沢なカタチで実現できるとは思っていなかった。

 「そして、みんなは、ライブで鍛えられているから、レコーディングにも耐えうる力がある。だから、忙しい高校三年生になってしまうかもしれないけど、一緒に頑張ろう」

 「あ、あ、あ、あの・・・」

 アキちゃんが、メロンのクリームパンを持った手を挙げた。

 「わ、わ、わた、私、実は、自分で作った曲、ぜ、ぜ、ぜぜん、全部録音してあるんです」

 「え!?」

 全員の声が揃った。
 衝撃とは裏腹に、口からは甘い匂いが溢れる。

 「ボイスレコーダーにですけど・・・」

 「た、谷山さん、それほんと? 今もあるの?」

 阿南さんは、宝箱でも見つけたように動揺していた。

 「い、い、い、家にあるから今は持ってないんですけど。お、お、おと、おと、お父さんが、よく自分で録音をしてたから、わ、わ、私も真似して、ずっと録り溜めてきたんです」

 初めて聞く話だった。アキちゃんは、自分の話をするような子ではなかったから。曲を量産できる天才的な才能を持ったアキちゃんだから、相当な数の曲が収められているに違いない。

 「えー! すごい! 全部で何曲くらいあるんですか?」

 マキコちゃんは興奮していた。口元にはチョコのクリームがついている。気付いてないのか、わざとつけているのか分からない。

 「分からないけど、たぶん、500くらい・・・」

 「ごひゃく!?」

 また全員の声が揃った。
 今度は甘い匂いすらも吹き飛ばすほどの衝撃。

 「あ、あの、む、む、昔のは、お父さんみたいに、カ、カ、カセットで録音してあって、最近のがボイスレコーダーだから。せ、せ、正確な数は分からないけど・・・。たぶん、それくらいはあると思う」

 「谷山さん、それ、全部聴くことはできる?」

 「あ、は、はい」

 「今度、それ全部事務所に送ってくれるかな? いや、ボクが車で取りに行ってもいいですか?」

 「でも、む、昔のなんて、子どもが作った曲だから、ヒ、ヒ、『ヒマワリが綺麗』とか言ってるだけの歌ですよ!」

 「何それ! 可愛い! 聞いてみたい」

 「アキ、本当にすごいわ」

 「あたしも聞いてみたい! 昔から歌もうまかったんですか?」

 「いやいや! え、ほ、ほ、ほんとに恥ずかしい・・・」

 休憩時間はとっくに過ぎていたけど、練習が再開されることはなかった。それほどアキちゃんの告白は衝撃的だったし、新しい可能性が見えた瞬間だった。
 キャッキャと盛り上がる私たちとは反対に、阿南さんは震えているように見えた。彼はクリームパンを持っていなかったからかもしれない・・・。


 2100字 1時間30分

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